「式を挙げられないほど貧乏な人と結婚したの?まあ仕方ないわね。お姉ちゃんの婚約者は私を選んだんだもの。一応言っておくわ。結婚おめでとう。まあ、底辺は底辺なりに幸せになってね。」
久しぶりに会った妹は、昔と何も変わっていなかった。私のことを「底辺」と呼んだ。この子はどうしてこんなに偉そうなんだろう。
私は宮本優香。33歳。産婦人科医をしている。昔読んだ本の主人公に憧れて、医者になるために頑張ってきた。人がこの世に生まれてくる手助けをしたいと思ったのだ。今までの努力が実って、産婦人科医になれた。正直、お産は緊急事態も多くて毎日忙しいけど、それでも今の仕事にはやりがいを感じている。そして、それを理解してくれるパートナーもいる。
しかし、ここに来るまで順風満帆だったわけではない。私のそばには、いつも私のものを奪おうとする存在がいた。それが実の妹、リリカだ。
私の実家は両親と妹と私の4人家族だった。妹は私の2歳年下で、末っ子ということもあり、両親は妹を甘やかしたし、ちょっとぐらいのことなら私も許してきた。例えば、父がお土産にケーキを買ってくれば、最初に選ばせるのは妹だった。私が選んだ方を「やっぱり食べたい」と言えば交換した。レストランで妹がドリア、私がパスタを注文した時も、妹が「やっぱりパスタがいい」と言ったので交換した。クリスマスプレゼントに、両親が私と妹がそれぞれ欲しがっていたプリンセス人形を用意してくれた時も、妹は私のをもらった方の方がいいと言って交換した。妹は小さい頃から、私が持っているものを欲しがる傾向があった。思い通りにさせてきてしまった家族や私にも責任はあるのだろう。
とはいえ、物を欲しがる癖ぐらい、私は気にしていなかった。だが、高校時代、とうとう許せないことが起きた。ついに私の彼氏まで奪ったのだ。
妹は私が高校三年生の時に同じ高校に入学してきた。それまで私は妹の受験のために夜中まで一緒に勉強に付き合ったし、応援した。当時私には渡辺君という彼氏がいて、彼も妹の勉強に付き合ってくれた。その彼に、妹はこう言った。
「渡辺君って教えるの上手だよね。」
「そうかな?」
「うん。お姉ちゃんより分かりやすい。」
「ひどい。私も教えてあげているのに。」
「だって本当だもん。渡辺君、これも教えてよ。」
こうして妹は私の彼氏との距離を急速に縮めていき、見事合格した。すると妹は入学した途端、学校で隙を見るたびに渡辺君に声をかけ、同じ部活に入った。そしてある日、私に向かってニヤニヤしながら堂々とこんなことを言ってきた。
「お姉ちゃんごめんね。でも渡辺君も私の方が可愛いって言うから。」
「優香、ごめん。俺、お前よりリカちゃんの方が好きになっちゃった。だっていつも笑ってくれて可愛いから。」
ああ、なんてことだろう。私のショックは非常に大きなものだった。だが、私の取った行動は、後から振り返っても偉いと思う。怒りを受験勉強に向けたのだ。家でも妹とは話さずに塾に通い、学校でも図書館にこもって勉強し、見事医学部に合格した。妹と距離を置きたかったので、私は進学と共に家を出た。そしてそのまま、実家にはあまり帰らないようにした。
医学部での勉強は大変だった。くじけそうになることもあったが、2つ上の先輩の正とゼミで知り合って仲良くなった。彼も医者を目指しており、夢に向かって頑張っていた。私もそんな彼に憧れて、交際をスタートした。彼は卒業後、医免許を取得し、研修医になった。私たちは、私が医免許を取得して、お互いに落ち着いたら結婚しようと約束までした。彼は研修医でかなり忙しかったが、それでも私たちはちょくちょく連絡を取り合って、休日にはデートをした。
そんなある日のデートで、思わぬ人物に遭遇してしまった。私も彼も甘いものが好きだし、この日は最近人気のパンケーキカフェに行こうと話していた。30分の行列に並んでやっとお店に入ると、あの子がいた。
「いらっしゃいませ。」
「え、あれ?お姉ちゃん。」
「リリカ。なんでこんなとこに?」
「私、ここでバイトしてるんだよ。だってこの制服可愛いでしょ。あ、こちらのお席にどうぞ。」
そう言いながら私たちがテーブルに着くと、妹は隣の彼をじろじろと見てきた。そして興奮した様子で私に聞いてきた。
「それにしてもこっちの人は彼氏?彼氏なの?」
私は彼氏を取られた経験から何て言おうか悩んでいると、彼の方から自己紹介をした。
「もしかして優香の妹さん?初めまして。僕は正。今、優香とお付き合いさせてもらってます。」
「へえ。彼氏できたの?お姉ちゃん、ガリ勉なのによく彼氏できたね。てことは、彼氏さんも大学生?同い年?それとも社会人?」
義理は次から次に質問攻めにした。そして彼は、その質問に丁寧に答えてくれた。
「僕は今は一応医者です。まだペーペーの研修医だけどね。」
「へえ。お医者様なの?すごいかっこいい。え、どこの病院ですか?」
「ああ、この近くの私立病院だよ。」
やばい。この流れに乗ってはだめだ。
「リリカ。ほら、他のお客さんの注文を取らないと。店内結構忙しそうだよ。もし邪魔になるならお店出ようか。」
「そんなこと言わないでよ。ゆっくりしていって。」
「そうだよ。せっかく妹さんに会えたんだし、ここでいいじゃん。」
2人にこんなことを言われ、店内からの脱出は叶わなかった。仕方ないのでそのまま注文をした。妹は彼にウインクして、やっと厨房の方に戻っていった。
「いやあ、優香にこんな可愛い妹がいたなんて。」
「私もこんなとこで会うなんてびっくりした。大学に入ってから連絡取っていなかったから。」
「じゃあさ、また今度来ようよ。妹さんに会えるし。」
「え?いや、それはやめよう。ほら、邪魔になるといけないし、今日が最後でいいわよね。」
そんな話をしていると、妹が注文の品を持ってきた。お皿にはチョコペンで「ウェルカム」と書いてあった。
「実は厨房の人に姉が来てるって言ったら、サービスで書いてくれたの。」
「へえ、わざわざありがとう。」
「リリカちゃんも店員さんも気が効くね。」
「実はよく言われるんです。」
お店を出てから、彼はこんなことを言ってきた。
「妹さんに会えて良かったね。しかもリリカちゃんだっけ?気が効くしいい子だね。」
「え?いい子?」
「うん。あんな妹がいるなんて優香は幸せ者だね。しかもあんなに可愛い姉妹だって言われないと気づかないよ。」
確かに妹は昔よりもかなり垢抜けて、カフェの制服も着てさらに可愛くなっていた。一方私は勉強ばかりで地味なメガネっ子。それでも彼は私を選んでくれていた。だから彼は見た目なんか気にしていない。私のことをちゃんと見てくれている。そう思っていたのに。
それから2週間後、久々に彼に会った。
「最近さ、リカちゃんが病院までよく差し入れに来てくれるんだよ。」
「は?なんで?」
「いや、なんかカフェで売ってたクッキーが余ったとかで差し入れって。疲れている時に可愛い子が甘いものを持ってくると癒されるよな。」
私は一気に過去のことを思い出した。
「ねえ、忙しいでしょ?あの子の差し入れなんかわざわざもらわなくていいわよ。」
「そうは言っても、わざわざ届けてくれるんだから、もらわないわけにはいかないだろう。周りの同期たちも喜んでるし。っていうか、お前なんかおかしくない?妹に冷たいっていうか。」
そんな話をしていると、
「あ、正さん、ちょうどいいところに。」
そう言いながら近づいてきたのは妹だった。
「あ、今日はお姉ちゃんもいるんだ。正さん、これ差し入れ。」
「うん。でもこれは売り物じゃなくて、私が焼いたの。今日はこれからバイトだから、その前に渡そうと思って。」
「ええ、わざわざ焼いてくれたの?感激だな。」
「私、疲れている人に甘くて美味しいものを食べさせたくて。だから立派なお医者様になろうとしている正さんを応援したくなったの。食べて。」
「ありがとう。」
「え、今からバイトなんだろ?優香も一緒に送ろうよ。なんならカフェに寄って行こう。」
「え、今日は久々に映画に行こうって。」
「そんなのカフェの後でもいいじゃん。俺、甘いものを食べたくなっちゃったし。」
「え、それなら映画の後にどこかに行っても…」
「お前、なんでそんなに嫌がるんだよ。」
「仕方ないですよ。」
そう言い出したのは妹だった。
「だって私、高校の頃お姉ちゃんの彼氏に好かれちゃって。あ、別に私が取ったとかじゃないんですよ。一緒に勉強したり遊んでいるうちに自然と…私はダメって言ったけど、彼の気持ちが変わっちゃって、お姉ちゃん振られちゃったんです。だから、きっとまだ私のことが許せないんだわ。」
妹は涙を浮かべながらそんなことを言った。だから私は思わず言ってしまった。
「嘘。あなた、わざと狙ってたくせに。」
「違うもん。私、ちょっと見た目が可愛いから誤解されるけど、わざとじゃないもん。」
「優香、やめろよ。リカちゃん泣いてるじゃん。そんなの昔のことだろ。もう責めるなよ。」
「正さん、優しい。さすがお姉ちゃんの彼氏。でもきっとお姉ちゃんは私のことを許してくれない。私のことを嫌ってるの。私は仲良くしたいのに。私、もう許してもらえないんだわ。」
妹はその場で顔を覆い隠した。
「ああ、そんな泣くなよ。過去のことだし、リリカちゃんに責任はないよ。優香も許してやれよ。」
何この茶番は?妹はわざとやっている。その証拠に、両手で顔を覆ってはいるが、そこから涙らしいものは流れ落ちていない。私が冷静にそんなことを見ていると、彼がこんなことを言い出した。
「とりあえず俺は優香ちゃんを送ってくよ。こんな状態で1人で歩かせられないし。え、今日のデートはキャンセル。お前、ちょっと頭を冷やした方がいいよ。じゃあな。」
彼はそう言って、妹に付き添って行ってしまった。頭を冷やした方がいいのは彼の方なのに。見事に妹に踊らされている。もう少し彼が落ち着いてからちゃんと話そう。いや、もう決着はついたのかもしれない。
後日、私が彼に会うと、案の定態度がかなり冷たくなっていた。
「何か用?」
「何か用って、彼女が彼氏に会いに来ちゃだめ?」
「どうしちゃったの?そっちこそ疲れてるの?」
「そりゃ疲れてるけど、俺は怒ってんのは?」
「何を?」
「俺、リリカちゃんから本当のことを聞いたから。」
「はあ?本当のことって何よ?何を聞いたのよ。」
「お前、昔からずっとリリカちゃんが可愛いからっていじめてたんだろ。高校時代に彼氏を取られたのも、彼氏がお前の本性に気づいたからだって、リリカちゃんが言ってたぞ。」
「何言ってんのよ。そんなの全部あの子の嘘よ。」
「お前、そう言ってずっと嘘ついてきたんだろ。そのせいでリリカちゃんはずっと辛かったって言ってたぞ。」
「ちょっと、私よりあの子を信じるの?」
「リリカちゃん泣いてたぞ。本当はお前と仲良くしたいのにできないって。お前がそんなに性格が悪かっただなんて思わなかったよ。」
「だから俺、決めたよ。」
「何を?」
「お前とは別れる。婚約もやめる。」
「な、何を突然言っているのよ。私の話も聞いて。あの子の言っていることは全部嘘なの。昔だって、私から彼を横取りしたのはあの子なのよ。」
「また嘘かよ。もういい。俺はリリカちゃんと付き合う。」
「はあ?」
「だってさ、あの子、お前より断然可愛いし、優しいし、俺のことかっこいいって言ってくれるんだ。差し入れだって頻繁にしてくれて、あんなに俺に尽くしてくれる子はいないよ。だから俺はあの子と付き合う。」
だめだこりゃ。この人、まんまとあの子に騙されている。私が何を言ってももうだめだ。私は諦めた。
「わかった。もういい。」
「やけに諦めがいいじゃん。やっぱり嘘だったんだな。嘘つきと別れられて清々するよ。じゃあな。」
そう言って彼と別れた。
後日、大学を出ると妹が私のことを待ち伏せていた。
「あ、お姉ちゃん。」
「リリカ。何か用?」
「何、つれないなあ。一応一言言っておこうかなと思って。素敵な彼氏を紹介してくれてありがとう。いやあ、さすがに医者の彼氏なんて早々できないからさ。おかげで友達みんなに自慢しちゃった。」
「自慢?あなた、そんなことのために私の彼氏を取ったわけ?」
「うーん。それだけじゃないよ。だってほら、医者ってもう手に職があるわけでしょ?つまり将来は安泰。結婚しても私、働く必要ないじゃん。だからこそ、そんな有料株を私の元に連れてきてくれたお姉ちゃんにちゃんとお礼を言おうと思ってね。もし結婚が決まったら、招待状送るね。じゃあね。」
しばらくして、妹と彼は結婚することになった。私の元にも招待状が来たが、誰が行くか。泥棒猫の結婚式なんて。私は両親に「国家資格で忙しいから」という理由を話し、欠席することにした。それ以降、私は妹たちに会うことはなかった。
それから10年後、私は産婦人科医として働いていた。この日も朝から外来対応しつつ、緊急オペもあり忙しい1日だった。しかもその後には別の予定もあった。だから体力的にはもうへとへと。今日はもう家に帰ってご飯を作る気力もない。クーポンがあったのを思い出したので、回転寿司でサクっとご飯を食べて帰ろう。いいじゃない。回転寿司。安くて好きな分量食べられて、気が向いたらデザートだってあるし。
そこで彼らと再会するなんて、思いもしなかった。
夕飯時ということもあり、お店に入ると待っている人もいたが、私はすでにネットで予約をしていたのでテーブル席にすぐ着いて食事を始めた。食べていると、聞き覚えのある声に呼びかけられた。
「あれ?お姉ちゃん?」
前を見ると、妹と彼だった。開いた隣のテーブルにやってきたのだ。
「久々ね。お姉ちゃんも回転寿司に来たの?奇遇ね。私たちも今日はここにしよっかってね。」
「うん。」
妹の呼びかけに答えたのは彼だった。あら、こんな見た目の人だったっけ?心なしか昔よりげっそりして、顔色が悪いような。
「それにしてもお姉ちゃん、まさか1人で来たの?しかもテーブル席って。あ、もしかしてお1人様ってやつ?お姉ちゃんのことだから、忙しくて彼氏どころか友達もいないのね。それで回転寿司のテーブル席って、メンタル強すぎ。私には真似できないわ。」
「1人じゃないわ。今、夫は席を外しているだけ。」
「え、結婚してたの?私、式に呼ばれてないんだけど。」
「私たち2人とも忙しいから式はあげてないの。籍を入れただけよ。」
「式を挙げられないほど貧乏な人と結婚したのね。ま、仕方ないよね。正さんは私を選んだんだもの。その後、どうでも良くなって、その辺の底辺彼氏でも見つけたのね。かわいそう。」
「はあ、でも一応言っておくわ。結婚おめでとう。まあ、底辺は底辺なりに幸せになってね。」
ああ、妹はまるで変わっていない。昔のままだわ。医者と結婚したら、自分が偉いと思っているんだから。何にもない空っぽの人間のくせに。
私は口角を上げて、妹にこう言い返した。
「祝ってくれてありがとう。私はあんたたちの結婚をお祝いできなかったけど、祝ってくれるの?優しいのね。」
「だって、お祝いぐらいしてあげないと、惨めなお姉ちゃんがかわいそうだもの。」
「いじめ?」
「そうよ。だって、婚約者を私に取られて、底辺彼氏と結婚だなんて、みじめ以外の何て言えばいいのよ。別に私はいじめてないけど。」
「またまた、それ負け惜しみでしょ。」
「いいえ。だって、仕事はやりがいがあって楽しいし、私は今の自分の人生に大満足しているもの。」
「はあ?仕事?えっと、お姉ちゃんって医者になったんだよね。でも産婦人科医になったんだっけ?母さんに聞いたけど。でもそれって、勝手に生まれてくる赤ちゃんを取り上げるだけでしょ。産婆さんがやる仕事なんだから、医者免許いらないじゃない。つまり、それぐらいにしかなれなかったってことよね。それに引き換え、うちの夫は脳外科よ。外科の中でもトップクラスの難易度。どう?逃した魚は大きいでしょ。」
相変わらずだわね。要は、医者と結婚した自分は偉い。でも医者の姉はダメだって、言いたいだけみたいね。
「あら、怒ったの?本当のことを言ったぐらいで怒らないでよ。」
「勝手に言うのはいいけど、あなた一体中身は何なの?夫が医者だっていう以外に、自慢するものなんてないじゃない。」
「悪い?夫が偉いと妻も偉いのよ。将軍の奥方と、野菜を売って歩く物売りの女将さんと、どっちが偉いか分かりきったことじゃない。うちの人は今だって腕を見込まれて、この近くの花坂病院に移ることになったんだから。」
「へえ、そうなんだ。」
「スカウトってやつよ。すごいでしょ。それに引き換え、お姉ちゃんは独身で惨めな産婦人科医。」
ちょっと待て。もうやめとけ。ヒートアップする妹の自慢に、堪えられなくなったのだろうか。妹の夫が口を挟んだ。
「ひょっとして、産婦人科でこの町にいるってことは…」
「ご存知なら話が早いわね。集産機医療センターのセンター長を任されることになりました。あなたと同じく、花坂病院でね。」
妹は目を見開いた。
「え、せ、センター長?あ、あんたが?そ、その年齢で、嘘でしょ?」
「何でも最年少での就任になるみたい。だから物件を探すために、今日はこっち方面に来たの。今の家、ここから遠いもの。」
「え、じゃあ本当にセンター長になるの?嘘ついても仕方ないわ。今作ってる医療センターのね。」
「へえ。」
妹は私のセンター長就任を知って、店内だというのに大声で叫んだ。妹の夫が言う。
「やっぱり今度、最年少のセンター長が赴任してくるって噂だったから、君だったのか?」
「そうなんです。通常業務に加えて、物件探しもしないといけないんだもの。引っ越しの準備も。だから今日も家に帰ってご飯を用意するのが大変だから、ここに来たの。」
「な、なんてことなの?これって医者の中でいう出世ってやつ?役職的には正さんより全然偉いってこと。」
「まあ、役職的にはね。」
「で、でも正さんもこれからよね。ねえ。」
「だって新しい病院に呼ばれていったんだもの。もしかしたらそのうち部長とかになっちゃうかも。」
「え、さらに彼は戸惑った表情をした。それに、そうよね。お姉ちゃんなんて高が産婦人科医でしょ。脳外科医に比べたら、全然大したことないものね。」
妹が開き直ったかのようにそう言った時だった。
「何を言ってるの?産婦人科医はすごいお仕事だよ。」
妹の後ろから声をかけた人物がいた。ボサボサの髪でメガネをかけた男性。
「だ、誰よ、あんた?」
「君は誰?僕は優香の夫だけど。」
はい、夫登場。妹は彼の言ったことに反応するどころか、彼の姿を見て笑い出した。
「え、夫?ふ、お姉ちゃん笑える。こんなだらしない人と結婚したなんて。え、ニート?それともヒモかなんか?」
「ああ、お姉ちゃんってことは、君が噂の妹か。略奪王に私はなるって宣言したという、人の物が大好きな妹。」
「そんな宣言してないわよ。それよりもさっきの話だけど、お姉ちゃんは正さんの足元にも及ばないわよ。だって正さんは、すごいでしょ。」
「奇遇だね。僕も外科医なんだ。」
「え、なんですって?え、あんたも医者?え?こんなボサボサ髪で?」
「ボサボサの医者だっているよ。外科医が産婦人科医よりすごいなんて、僕は思ってないけどね。産婦人科って、妊娠初期から赤ちゃんが無事に生まれるまでずっと見守って、何かあればすぐに対応するんだよ。そんなに長い期間見守り続けることなんて、なかなかないし。母や赤ちゃんを守るために、すぐに処置できる技術を身につけているのはすごいと思うよ。」
「え、お姉ちゃん本当なの?こいつ、医者なの?」
「こいつって、あなたより年上なのに失礼ね。彼は小心照明の医者よ。」
「え?夫婦揃って医者なの?」
妹はまたもや驚きの声をあげた。妹としては、夫が外科医なのが唯一の自慢のよりどころだ。それすら叩き潰された。もはや妹に自慢できる要素などないのに、私には負けたくないらしい。まだ頑張るのだった。
「で、でも、そんな格好だし、大した腕じゃないに決まってるわよ。どうせあれでしょ。腕は悪いんでしょ。うちの人には到底及ばないに決まってるわ。」
もはや子供の喧嘩レベル。夫は一言答えた。
「腕ね。まあ2本はあるけどね。」
と、ヒラヒラさせる。ずっとボケた人だが、ここは私がフォローをする。
「リリカ、あなたね。あなただって、自分のご主人が言われのない非難をされてたら嫌でしょうに。私の夫のこの人はね、業界では有名な医師なのよ。今日だって、やっと帰国してきたから、ようやく2人で物件探しに行けたの。」
「は?」
「そう、この人、今日アメリカから帰ってきたばかりなの。海外の外科医にも認められて、半年前からアメリカに行ってたのよ。それで今日やっと帰ってきて、寝てたから髪もボサボサだし、久々に日本に帰ってきたってことでお寿司を食べに来たのよ。」
「へ、アメリカ帰り?」
反応したのは妹の夫だった。
「ちょ、ちょっと待てよ。確か俺の勤務先にも有名な医師がいて、もうすぐアメリカから戻ってくるって。え、確か名前は…なんか歴史上の有名な人と同じだったような。」
「ああ、そう。まだ名乗ってなかったよね。僕は宮本武蔵。これ、海外の人に言うと、受ける人には受けるんだよね。」
夫は優しく笑いながら言うと、彼は真っ青な顔をした。
「ええ、あんたが噂の宮本武蔵先生?嘘だろ?」
「そう、今日も遅れて登場だよ。待たせたね、小次郎君。」
「え、夫と同じ職場?っていうか、有名ってどういうこと?」
「み、宮本先生は、外科医の中ではトップクラスの医師なんだ。」
「な、な、何ですと?」
妹は驚きのあまり、後ろにのけぞりそうなほどになった。
「いやあ、別にそんなに偉いわけじゃないんだけどね。」
「いや、でも、宮本先生って去年あの大御所俳優のオペも成功して、来週からもオペの予定が詰まってるって。」
「ああ、部長が勝手にオペの予定を組んじゃったみたいで。ああ、せっかく帰国してゆっくりしようと思ってたのに。僕のそんな予定がパーだよ。ごめんよ、優香。帰国後は旅行に行こうって言ってたけど、それもどうなることやら。」
「あら、いいのよ。だって私も来月から忙しくなるし。っていうか、今も忙しくて都合が合わないし。」
「そうだよな。センター長だもんな。夫婦揃って忙しいな。いつになったらゆっくりできるんだか。」
そんなことを2人で話していたら、なんと彼が夫の前で深々と頭を下げた。
「宮本先生、どうかお願いします。俺を先生のオペに入れてください。」
それを見て、妹はもう叫びのように顔を両手で抑えながら叫んだ。
「あ、あなた、突然どうしたのよ。」
「だ、だって俺にはもう後がないんだ。」
「は?あ、後がないってどういうことよ。」
妹は目を白黒させながら彼に聞いた。
「実は俺、前の病院でミスが続いて、医療過誤で訴訟になって、それで辞めざるを得なくて。それで昔世話になった部長に頼み込んで、今の病院に来たんだ。だからもうミスはできない。次にそんなことを起こせば、俺の医師生命は終わりだ。」
「な、なんですって。」
「だからお願いです。僕を先生のオペに入れて、勉強させてください。」
元婚約者の目には涙が溜まっていた。医師として相当追い込まれているんだろう。
「ちょ、ちょっと待ってよ。と、どういうことよ。そんなこと私、聞いてないわよ。」
衝撃の事実を知り、妹は真っ青な顔をした。
「なんでそんな大事なことを私に隠してたのよ。」
妹が切れ気味に彼に問い詰めた。
「言えないよ。だってリリカは、俺が医者だから安泰だっていつも言うばかりで、周りには自慢ばっかりだし、俺の給料で好き放題買い物してばかりで。俺が悩んでいる時も、お前は能天気に買い物の話ばかりで。だからプレッシャーで言えなかったんだよ。」
「プレッシャーですって?医者のくせに、何甘っちょろいこと言ってんのよ。」
「や、やめてよ。こんなとこで頭下げるなんて、格好悪いでしょ。」
「もういい。だって俺はお前のために働いているわけじゃない。多くの人を救いたいと、今の仕事についたんだ。それが今は、お前の買い物のためだけに稼がないといけない日々。もうこんな生活嫌だ。俺はお前と離婚する。」
「ええ?」
「ちょ、ちょっとこ、こんなとこで何言ってんのよ。正さん、正気?私と離婚?」
「本気だよ。そもそも、結婚式の時にお前の言っていたことが嘘だったことだって、気づいてたし。」
「は、な、何のこと?」
「お前、結婚式に友達をたくさん呼んでただろ。その時にお前の友人たちが話してるのを聞いたんだよ。昔の彼氏と一緒で、またお姉ちゃんから奪ったって自慢してたって。だから、リカが俺に言ってたのが嘘だったんだと気づいたんだ。」
「え?じゃ、じゃあなんで結婚したの?」
「それでもお前を選んだのは俺だし、仕方ないと思って。それに、嘘は嘘でも、きっと俺のことを思っていることには変わらないと思ってたんだ。それなのに、お前は年々自分勝手になっていくし、俺が医者だからって周りを見下すような態度をすることが多いし、もう限界なんだよ。」
「そ、そんな。そ、それでも今までうまくやってきたじゃない。これからも私のために頑張って。」
「それがもう嫌なんだよ。俺は俺のために頑張りたい。みたいに、仕事でやりがいを感じたいし、自分の腕を磨きたい。」
「わかったわ。じゃ、じゃあこれから私も応援するから。だから離婚なんて言わないで。私、あなたに見放されたらどうしようもないの。だってバイト以外働いたことないし。私を捨てないで。」
「いや、もう無理だ。離婚しよう。」
「へえ。」
離婚を突きつけられ、またもや妹は叫び声をあげた。しかしその時、妹とは別の叫び声が店内に響き渡った。
「やあ、誰か来て助けて。」
その声に私たちが駆けつけると、男性が1人倒れていた。
「て、店長が、い、いきなり倒れて…」
動揺する店員に、私はすぐ指示した。
「救急車を呼んで、早く。」
その間に、夫がすぐに倒れた男性を見ている。
「これはくも膜下出血かもしれない。急がないと。君、うちの病院に連絡しておいて。運んだらすぐに緊急オペだ。」
「あ、はい。」
私たち3人は倒れた男性を救おうとしているのに、妹は場の空気を読まずにこんなことを言ってきた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。ねえ、正さん、離婚ってどういうこと?」
「リリカ、その話は後で。今はこの人の命がかかっているから。」
「いやよ。私の人生がかかった話なんだから。」
「とりあえず、どいてて。あ、救急車が来たわ。花坂病院に運んでください。そこの医師が2人、付き添いますから。」
そう言って、夫と彼は救急車に登場した。残された妹は私を責めてきた。
「どうすんのよ。お姉ちゃんのせいよ。私、私、離婚されちゃうじゃない。」
泣き出す妹だが、私もゆっくり相手なんかしていられなかった。今の勤務先の病院から、担当の患者さんが産気づいたと連絡が来たのだ。
「ごめん、リカ。私もすぐに病院に戻らないと。だから、あなたの相手なんかしている暇はないの。じゃあね。」
「ふう。お姉ちゃんまで私を捨てるの?離婚を突きつけられた可愛い妹を置いていくの?」
「あのね、離婚はあんたの問題で、私には関係ない。そんなことより、生まれようとする赤ちゃんに待ったはないから。じゃあね。」
「置いて行かないで。」
叫ぶ妹を置いて、私はタクシーで病院に向かった。
私の担当患者さんは無事に出産した。夫が付き添った男性も無事で、順調に退院できるのだそうだ。医者としては、人の命を助けられた時はやはり嬉しいものだ。
さて、妹夫婦は離婚し、妹は実家に戻って引きこもっているそうだ。そして、部屋の中で1人、
「なんで私が捨てられるの?なんで?せっかくお姉ちゃんより幸せになったと思ったのに、なんで?」
そんなことばかり1人で叫んでいるらしい。妹よ、人のものを奪うより、自分の力を磨くべきだったのではないか。今まで人に頼ってばかりだったから、どうしていいかわからないのだろう。身から出た錆である。
それから数年後、私はセンター長として忙しい日々を送っている。今日は集産機医療に関する講演会に出席し、集産機医療センターの必要性についての講演をしてきた。その帰り、夫が待っていてくれた。
「お疲れ様。」
「え、来てくれたの?今日もオペがあるって。」
「大丈夫、ちゃんと終わらせてきたから。」
「そんな、わざわざいいのに。」
「迎えに来る時は来るよ。だって、大事な体だし。」
私は大事な体なのだ。今、妊娠している。だからこそ、産休を取る前に今の時点でできる仕事を頑張ってこなしたのだ。夫はそんな私のことを心配してくれる。
「もう、優香は本人が頑張りすぎだからな。どうせこの後も帰らないで病院に戻ろうとか考えてたんだろう?」
「え?うん。だって、院内の様子が気になるし。」
「でも、君が担当の妊婦さんが仕事付けだったら、『無理しないように』って釘を刺すだろう?『休める時は休んでもいいんですよ』とか言って。」
「え?あ、うん。そうだね。」
「今や君がそう言われる側なんだよ。だから、無理しないで。院内のことは他の先生に任せたんだろう?何かあれば連絡来るから。休める時は休んで。ほら、家まで送るから。」
「わかりました。ありがとう。」
私は笑いながら、大人しく夫の車に乗った。確かに、お腹の子のためにも無理は禁物だ。ついつい仕事中毒だから、仕事のことばかり考えてしまうが、今は1人の体ではない。お腹の子のためにも、夫のためにも、もっと自分自身を労わらなくては。来年には3人家族になるのだから。
充実した仕事に、優しい夫。そして、可愛い我が子の存在も加わって、私は今、最高に幸せだ。



