10年間、毎日欠かさず義母の介護をしてきた。朝の3時起きも、文句を言われ続けた日々も、すべて耐えてきた。なのに、義母は言った。「あんたには遺産、一円も渡さないから」その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。そして私は、静かに言い放った。「では、明日から施設に入っていただきます」義母の顔が凍りつくのを見て、私はやっと気づいた。この10年間、私が背負ってきたものは、私にしか下ろせ…

10年間、毎日欠かさず義母の介護をしてきた。朝の3時起きも、文句を言われ続けた日々も、すべて耐えてきた。なのに、義母は言った。「あんたには遺産、一円も渡さないから」その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。そして私は、静かに言い放った。「では、明日から施設に入っていただきます」義母の顔が凍りつくのを見て、私はやっと気づいた。この10年間、私が背負ってきたものは、私にしか下ろせ...

午前3時、枕元の目覚ましが震えるように鳴った。私は10年もの間、この音を頼りに目を覚ましてきた。隣では夫の正彦が穏やかな寝息を立てていて、その規則正しいリズムは私の早起きとはまるで別の世界の出来事のように響いていた。ちらりと彼を見てから布団を抜け出すのが、もう習慣になっていた。私は酒井さき、38歳。義母の介護のために新聞配達の早朝シフトへ切り替えてから、ちょうど10年が経とうとしていた。廊下は冷えきっていて、足の裏から伝わる床板の冷たさが意識を強引に覚醒させていく。今日もまた始まるか。呟いた声は誰にも届かず、薄暗い廊下に小さく落ちていった。

販売店までは自転車で15分。まだ街灯がぽつりぽつりと灯るだけの道を、冷たい風を切りながら走る。冬の朝の空気は鼻の奥がつんと痛むほどで、息が白く流れていくたび、自分が確かにこの時間を生きていることを実感する。裏口に着くと、同僚のかずが新聞の山の前にしゃがみ込んでいた。かずは私と同じ38歳で、中学からの幼馴染みだ。さき、おはよう。今日も早いね。おはよう。最近寒くて、布団から出るのが本当に辛い。かずは少しだけ眉を寄せて、いつものように私の体調を気遣う表情を浮かべた。私たちは黙々と新聞を折り、ビニール袋に詰め、自転車のかごに積み込んでいく。その手順はもう体に染みついていて、何も考えなくても指が勝手に動いてくれる。疲れた朝には本当にありがたかった。

配達中も頭の中では帰宅後の段取りを組み立てていた。朝食の支度、義母の薬の準備、デイサービスの送り出し、洗濯、買い物、昼食の準備。これらを全部、配達中に組み立て切ってしまわなければ午前中は回らない。販売店に戻った時、かずは心配そうに私を見た。さき、ちょっと最近顔色悪いよ。ちゃんと寝てるの? 大丈夫、と私は曖昧に笑って返事をした。

家に帰ると、義母はもう起きていた。畳の間に座ってテレビを見ている。おはようございます、と声をかけると、義母はちらりと私を見て、ふん、と鼻で笑った。何か言いたげだったが、私は構わず台所へ向かった。朝食の支度をしながら、今日のデイサービスの準備を頭の中で確認する。薬は3種類、着替えは2セット。義母が要介護の認定を受けてから8年。私は10年前に仕事を早朝シフトへ切り替え、1日も欠かさず介護を続けてきた。それが私の役目だと思っていた。嫁の務めだと信じていた。

朝食を運ぶと、義母は箸を取る前に私を見上げた。あんた、今日も遅いね。デイサービスの迎えが来るまでに、私の着替えを済ませておいてよ。はい、と短く答えて、私は洗濯物を畳み始めた。義母は何かにつけて私に文句を言う。ご飯が硬い、味が薄い、洗濯物の畳み方が雑だ。そのたびに私は黙って頷いた。反論したところで、事態が悪化するだけだと分かっていたからだ。でも、その日の義母はいつも以上に棘が多かった。あんた、最近ため息多いわね。何か私に不満でもあるの? 私は手を動かしたまま、いえ、そんなことはありません、と答えた。義母はしばらく私の横顔を睨んでいたが、やがてテレビに視線を戻した。

デイサービスの迎えが来て、玄関で義母を送り出す。行ってらっしゃいませ。義母は無言で車に乗り込んだ。迎えのスタッフが気まずそうに会釈をして、車は走り去っていった。私は玄関に立ったまま、しばらくその場を動けなかった。しんどい。その一言が喉の奥で渦巻いていたが、飲み込んだ。誰に言えるわけもない。夫の正彦は仕事で朝早く出かけ、夜遅くに帰ってくる。介護の話を持ち出せば、母さんも大変なんだよ、と決まって言われる。私が大変だとは、一度も言われたことがなかった。

昼過ぎ、買い物から帰ると、義母がもう帰ってきていた。デイサービスを早退したらしい。どうしたんですか? 具合が悪いんですか?

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私が聞くと、義母は不機嫌そうに言った。あんなところ、つまらないだけよ。行きたくないの。明日からも行きませんから。私は買い物袋を下ろして、義母の前に座った。でも、デイサービスには行っていただかないと、私は仕事があるので。すると義母の目つきが鋭くなった。仕事? あんたの仕事なんて、所詮新聞配達でしょうが。私が介護をしているから、あんたが働けるんですよ。感謝の一つもできないの? その言葉に、私は何も言い返せなかった。10年間、私は自分の時間をすべて削って義母の世話をしてきた。友人との約束も、自分の趣味も、何もかも諦めてきた。それなのに、感謝されないどころか、否定される。私はただ、俯いて「すみません」と呟くことしかできなかった。義母は勝ち誇ったように鼻を鳴らして、テレビをつけた。

その夜、正彦が帰ってきて、私は義母との出来事を話した。すると正彦はため息をついて言った。母さんも歳なんだから、大目に見てやってよ。お前がしっかりしないと、誰が面倒を見るんだよ。私は何も言えなかった。言ったところで、分かってもらえないことは分かっていたからだ。私は自分の感情を押し殺して、皿を洗い始めた。

次の日も、その次の日も、同じような日々が続いた。義母の文句はエスカレートしていく。あんたのせいで体が痛くなった、あんたの作る飯はまずい、あんたなんかに育てられた息子は不幸だ。そのたびに私は黙って耐えた。自分の心が少しずつすり減っていくのを感じながらも、これが私の役目だと自分に言い聞かせた。かずだけが、心配して顔を覗き込んでくれた。さき、無理してない? 大丈夫、と私は笑った。でも、その笑顔はもう限界に近づいていた。

ある朝、いつものように義母の世話をしていると、義母が突然言った。ねえ、あんた、私の遺産、当てにしてるでしょう?

私は手を止めて、義母を見た。いえ、そんなことは…。あんた、10年間私の面倒を見てきたんだから、何か期待してるんでしょうね。でも、残念でした。あんたには一円も渡しませんから。私は何も言えず、その場に立ち尽くした。義母は面白そうに私の顔を見て、にやりと笑った。あんたみたいな他人に、私の大事なお金を渡すわけがないでしょう。自分で貯金でもしておきなさいよ。

その言葉を聞いた瞬間、私ははっきりと悟った。この10年間、私がしてきたことには、何の価値もなかったんだ。義母にとって私は、ただの便利な道具でしかなかった。私は何も言わずに、家を出た。

その日、私はかずに相談した。かずは真剣な顔で私の話を聞いて、言った。さき、もう限界でしょ。施設に入れること、考えてみたら? 私は驚いた。でも、そんなことしたら、周りに何て言われるか…。周り? かずは首を傾げた。周りの人たちは、さきが10年間も義母の世話をしてきたことを知ってるよ。誰もさきのことを責めたりしないよ。私はしばらく黙って、かずの言葉を反芻した。確かに、私は何も間違ったことをしていない。ここまでやってきた。それなのに、義母に貶められ、夫にも理解されない。これ以上、私が我慢する理由なんてあるのだろうか。

家に帰ると、義母はリビングでテレビを見ていた。私の顔を見るなり、あら、どこ行ってたの? 私をほったらかして。買い物に行ってたんじゃないの?

私は義母の前に立って、静かに言った。お義母さん、話があります。義母はテレビから視線を外さずに、何? と短く聞いた。私は深呼吸をして、言った。明日から、施設に入っていただきます。義母の手が止まった。テレビの音だけが部屋に響く。今、何て言ったの? 私はもう一度、はっきりと言った。ですから、明日から施設に入っていただきます。書類はもう準備してあります。義母の顔色が一瞬で変わった。何言ってるの!? 私を捨てる気!?

あなた、私の面倒を見るのが嫁の義務でしょ!? 私は首を振った。私は10年間、お義母さんの介護をしてきました。それなのに、お義母さんは私に感謝するどころか、遺産は渡さない、他人だと言いました。もう十分です。私はこれ以上、あなたのために人生を犠牲にするつもりはありません。義母は立ち上がって、爪を立てるように私に掴みかかろうとした。ふざけないで! あんたなんかに決める権利があると思ってるの!? 私は一歩も引かずに言った。権利はあります。私はあなたの介護を放棄するのではありません。プロの方にお任せするだけです。それが、お互いのためだと思います。

義母は震えながら私を睨んだ。あんた…私が死んだら、許さないからね。私は静かに笑った。ええ、どうぞ。私は義母の部屋から出て行こうとした。しかし、義母の声が背中に刺さる。あんた、正彦に何て言うつもり?

まさか、認めるわけないでしょう。私は振り返らずに言った。正彦には、私から話します。あなたが私に言ったことも、全部含めて。義母は何も言えなくなった。部屋にはテレビの音だけが流れていた。

その夜、正彦が帰ってきて、私は一晩中、話し合った。正彦は最初は反対した。母さんを施設に入れるなんて、世間体が悪い。しかし私は、10年間のすべてを話した。義母に言われた言葉、私がどれだけ耐えてきたか。正彦は黙って聞いていた。最後に、正彦は深いため息をついて言った。…分かった。お前が決めたことなら。私は少しだけ、心が軽くなった。

翌朝、朝一番の便で、私は義母を施設へ送った。施設のスタッフが温かく迎えてくれた。義母は不機嫌そうな顔をしていたが、何も言わなかった。車を降りる時、義母は私を一瞥して、小さく言った。…あんたのこと、絶対に許さないから。私は頷いた。ええ、どうぞ。お体、大事にしてくださいね。その言葉に、義母は何か言いたげだったが、結局何も言わずに施設の中へ入っていった。

家に帰ると、静かだった。誰の文句も聞こえない、ただ静かな家。私はリビングのソファに座って、しばらく何もできずにいた。10年間、毎日ここで義母の世話をしてきた。もう、その必要はないのだ。私はゆっくりと立ち上がって、久しぶりに自分の時間を使うことにした。かずに電話をかけた。かず、施設に決めたよ。かずは安心した声で、そう、良かったね。さき、よく頑張ったね。その言葉を聞いて、私は涙が溢れた。10年間、一度も誰かに「よく頑張った」と言われたことがなかった。私は泣きながら、かずに「ありがとう」と言った。

それから、私の生活は変わった。朝はゆっくり起きられるようになり、自分の好きなことをする時間もできた。仕事は続けているが、以前のような無理はしていない。正彦とは少し距離ができたが、それでも何とかやっている。たまに義母の施設から連絡が来て、状態は安定しているとのことだった。私は月に一度、面会に行く。義母は相変わらず不機嫌そうで、会話もほとんどない。しかし、ある日、面会に行った時、義母が突然言った。…あんた、ちゃんと食べてるの? 顔色、悪いわよ。私は一瞬、言葉を失った。それは、私のことを心配しているのだろうか。私は小さく笑って、はい、大丈夫です、と答えた。義母はそれ以上何も言わず、またテレビに視線を戻した。

私はその帰り道、ずっと考えていた。介護を手放すことは、決して逃げではない。自分を守ることも、また一つの選択肢なのだ。私は10年間、義母のために全てを捧げてきた。そして今、自分の人生を歩み始めた。それは決して、後悔なんかじゃない。私は前を向いて歩き続ける。自分自身のために。