祖母を高級寿司店に連れて行く日。朝からそわそわして、予約の電話すら緊張でどもってしまったのは初めての経験だった。両親を早くに亡くし、祖父母に育てられた俺にとって、今日は恩返しの第一歩だ。
祖父が亡くなってから、すっかり塞ぎ込んでいた祖母が、ようやく友人と出かける元気を取り戻した。その知らせを聞いたとき、俺は本当に嬉しかった。だからこそ、少し遅れてくると連絡があった祖母を待つ間も、心は軽かった。
ところが、その幸せな気持ちをぶち壊す出来事が起こる。店内に響く大声。見れば、酔っ払った男性が店員に絡み、騒ぎ始めていた。俺は他人事だと思ってメニューに目を落としていた。だが、次の瞬間、その男が俺の席までズカズカと歩いてきて、見下すように言い放ったのだ。
「おい、お前誰の許可取って俺の席に座ってんだよ。」
突然のことに頭が真っ白になった。何を言っているんだ、この男は。俺はきちんと予約した席に座っているだけだ。そう説明しようとしたが、男は話を聞こうとしない。店員が間に入ろうとするが、酔っ払いの勢いに押されてしまう。店内の他の客たちも、ヒソヒソとこちらを見ている。俺は立たされ、周囲の好奇の目に晒されながら、無力感に打ちのめされた。必死に予約の確認を取ろうとするが、男は喚くばかりだ。
そこへ、待ち合わせていた祖母が現れた。俺の憔悴しきった様子を見て、目を丸くする。そして、事の経緯を理解すると、祖母の顔色が変わった。俺が何か言う前に、祖母はバッグからスマートフォンを取り出し、誰かに電話をかけ始めた。
「今すぐ来なさい。」
そう一言だけ言って、通話を終える。その声は、怒りというより、静かな冷たさを帯びていた。俺には、この電話が何を意味するのかわからなかった。だが、酔っ払っていた男性は、祖母の様子をクスクスと嘲笑っている。この瞬間、男性は自分が誰に喧嘩を売ったのか、まったく理解していなかったのだ。
祖母の放ったその電話が、この酔っ払いをどん底へ突き落とすことになる。だが、そのときの俺も、男性も、まだ何も知らなかった。祖母の電話の相手が、まさかあんな人物だったなんて――。



