「ブス嫁が悪い。お前が反省しろ。」
その言葉を聞いた瞬間、私はすべてを悟った。三度も浮気を許してきたこの男は、永遠に変わらない。
妊娠中も、娘のために何度も目をつぶってきた。なのに啓介はまた同じことを繰り返した。問い詰めた私に向かって、彼は鼻で笑いながら吐き捨てたのだ。
「お前みたいな女がいるから俺が外にいくんだろ」
その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れた。ああ、この人は一生変わらない。私や娘を守る気など、最初からなかったのだ。
「お母さん、もういいよ。あんなお父さんなんていらないから」
ミキの一言が、私の背中を最後に押した。その夜、私は決意した。もう我慢しない。もう許さない。この結婚を終わらせる。
夫は自分が優位に立っていると思っていた。社長の息子という立場、収入、肩書き、「無職の女が一人で生きていけるわけがない」と私を見下し続けた。だが彼は何も知らなかった。
私が水面下で準備していたことも、彼の浮気と金の使い込みの証拠がすべて揃っていたことも、そして最後に待っている本当の地獄の存在も。
元キャリア組の私が本気を出せば、こんなものなのよ。最後に笑うのは私なのだ。
私、里見は結婚前まで第一線で活躍するキャリアウーマンだった。数字に強く、判断は素早く、部下からの信頼も厚かった。将来を嘱望される存在だった。だが啓介との結婚を機に、その立場を自ら手放すことになる。
「家のことは女がやるものだろう」
それが啓介の当然のような指示だった。彼は大手企業の社長である父を持つ。その看板だけで将来の役員候補とされていた。だが実務能力は乏しく、責任ある判断を自分で下した経験もない。それでも口癖のようにこう言うのだ。
「俺の立場が分かってるのか?」
義母はそんな息子を無条件に肯定した。啓介は義母から激しく甘やかされて育った。夫婦喧嘩が起これば、義母は当然息子の味方をし、事情も聞かずに私を責めた。
「はあ、喧嘩なんてくだらないわ。そんなの啓介が正しいに決まってるわ」
息子は絶対的な存在で、嫁はそれに従う側。それが義母の考えだった。
やがて二人の間に娘ミキが生まれる。私は我が子を胸に抱き、幸せに包まれた。
「自分の子供って、本当に世界一可愛いのね」
そう言いながら、娘の小さな手を握った。だが義母は吐き捨てるように言い放った。
「なんだ、女の子か。使えないわね。男の子じゃないだなんて」
その言葉に、義父が険しい表情で静止した。
「お前は何を言ってるんだ? まずは元気に生まれたことを喜べ。それに見ろ、可愛い女の子じゃないか。里見さん、お疲れ様」
義父は守ってくれたが、私はこの家で生きていく厳しさをはっきりと悟った。
私が妊娠したと知った時、啓介は表向きこそ喜んでくれた。
「そうか。よかったな」
しかしその目には、一家の大黒柱としての責任を背負う覚悟は見えなかった。不安を感じながらも、私の妊婦生活はそれどころではなくなる。体調が安定せず、つわりに苦しんだ。そんな私を気遣うこともなく、啓介の帰宅は日に日に遅くなっていく。
「啓介、今日も遅いな。そんなに仕事が忙しいのかしら」
そしてその裏で、啓介は最初の裏切りに手を染めていた。
啓介の浮気が発覚したのは、ミキを出産して間もない頃だった。産後の体も心も回復しきらない時期。置きっぱなしにしていた啓介のスマートフォンが光った。そしてそのスマートフォンに、女性らしきアイコンと共に怪しいメッセージが表示される。
「昨日の夜は楽しかった。次はいつ会えるの?」
それは決して仕事の連絡ではなかった。
私は手が震えた。産後間もない体に、その衝撃は重くのしかかった。しかし娘のためにと思い、私はその日のことを飲み込んだ。
「ミキのために。これで最後にしてほしい」
そう伝えると、啓介はしょげながらも「分かった」と短く返した。だが、小心者の彼はその言葉に固まっていた。
「な、何のことだ?」
挙動不審な様子だった。しかし、その場では何も責めず、私は我慢を選んだ。
それからも啓介の浮気は続いた。二度目、三度目。そのたびに義父が啓介を叱り、私はまた許した。義母は「嫁の我慢が足りない」と言い放ったが、義父は啓介を睨み続け、そして口を開いた。
「ミキの教育資金を使って、一体何をしたんだ?」
家のお金にまで手を伸ばしていたのだ。それでも私はまだ離婚を選べなかった。娘のために。この家を守るために。私は自分のキャリアも、尊厳も、少しずつ削りながら耐え続けた。
だが三度目の浮気が発覚した時、私はもう限界だった。今度こそ、啓介と正面から向き合おうと思った。
「もう許さない。離婚する」
今度は泣かなかった。怒りさえも静かだった。
「はあ? 何言ってんだお前。無職のお前が娘を連れて生きていけるわけないだろ。どうせ実家に帰るしかないんだろ? それとも慰謝料でも取るつもりか? 笑わせるな」
彼は私の決意を嘲笑った。無職の女が何をできるというのか。彼は確信していた。私は何もできないと。
「俺の立場が分かってるのか? 俺の父は社長だぞ。お前ごときが何をしようと、潰されて終わりだ」
その言葉に、私は静かに微笑んだ。
「分かってるわ。あなたの立場も、あなたの父の力も。だからこそ、私は準備してきたの」
啓介は意味が分からず、困惑した表情を浮かべた。
数日後、私は弁護士事務所にいた。手元には分厚い資料の束。啓介の浮気の証拠、写真、メッセージ、そしてクレジットカードの利用明細。彼が私の貯金まで使い込んでいた証拠も揃っていた。
「この資料があれば、離婚は確実に進みます。財産分与も、慰謝料も、十分に確保できるでしょう」
弁護士はそう告げた。
私は結婚する前、東京の大手企業で働いていた。産休育休を経て復帰するつもりだったが、啓介の強い希望で退職した。だが、私は退職する前に、自分名義の口座に少しずつお金を移していた。将来に備えて。直感で、いつかこの日が来ることを知っていたのかもしれない。
あれから一年。私はミキを連れて、この家を出た。啓介は、義母は、怒り狂った。
「よくもやってくれたな、裏切り者!」
「お前みたいな女は、どこに行っても幸せになれないわ!」
その言葉を背中に受けながら、私はミキの手を握って歩き出した。
今、私は小さなアパートで新しい生活を始めている。ミキは新しい学校にも慣れ、楽しそうに笑う。あの家にいた頃よりも、ずっと。
あの日から、私はもう何も怖くない。これから娘と二人で、ゆっくりと歩いていく。
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