「早く死んでよ。」
東京・銀座の大学病院の病室で、その言葉が静寂を引き裂きました。ベッドに横たわる72歳の母、鈴木福子に向かって、47歳の息子である太地が吐き捨てたのです。
福子は80億円もの資産を持つ女性でした。しかし、その 屈強な体も、3ヶ月前の階段からの転落で昏睡状態に陥ってしまいました。医師たちは首を横に振り、回復の可能性はほとんどないと告げました。
病室の外から、太地の声が聞こえてきます。
「いつまでこうしているつもりなんだ?入院費だけで、1日20万円もかかっているんだぞ。」
息子の言葉に、福子の心は凍りつきました。40年間、愛情を注いで育てた長男の本当の姿を、この瞬間に見てしまったのです。
その夜、介護師が驚きました。福子の頬を涙が伝っていたからです。
翌日、奇跡が起こりました。福子が目を覚ましたのです。
しかし、これは奇跡の始まりではありませんでした。復讐の始まりでした。
72歳の母の、静かで残酷な復讐計画が、動き出したのです。
福子は意識を取り戻したことを、誰にも知らせませんでした。昏睡状態が続いているふりをしながら、息子たちの会話に耳を傾け続けました。
太地は、毎日病院に通っていましたが、それは介護士や医療スタッフの前だけの演技でした。母の手を握り、涙を流しながら「早く目を覚ましてください」と祈る姿を見せていたのです。福子はその姿に、最初は騙されそうになりました。しかし、あの病室の外で聞いた言葉が、脳裏から離れません。
ある日、太地と次男の安子、末っ子の政治が病室に来ました。安子は45歳で、福子の会社で財務を担当していました。政治は38歳で、家業を継いでいます。
「母さんがこのまま目を覚まさなかったら、財産はどうするんだ?俺たちで分割するしかないだろう。」
太地の言葉に、安子が口を挟みました。
「兄さん、まだそんな話をするのは早すぎるわ。お母さんは生きているのよ。」
しかし、太地はむしろ安子に怒りをぶつけました。
「お前はなんでいちいち口を挟むんだ?お前は婿養子をもらったから、もう福子家の人間じゃないだろう。」
政治が兄を落ち着かせようとしましたが、太地は止まりませんでした。
「それに、なんで弟たちだけに遺産をやるんだ?俺が長男だぞ。俺が一番多く貰って当然だ。」
福子は、ベッドの上で静かに聞いていました。自分の息子たちの本性を、まざまざと見せつけられました。
その夜、福子は一人で考える時間を持ちました。しかし、どうすればいいのでしょうか?昏睡状態のふりをしているとはいえ、体はまだ動かないのです。
しかし、福子には才能がありました。ビジネスの才能です。彼女は、冷静に状況を分析し始めました。
翌日、福子は病室に呼んだ弁護士に、こっそりと遺言書を書き直させました。
そして、ある計画を実行に移しました。
彼女は太地に、まずは少しずつ財産を譲ると申し出ました。「回復の見込みがない」と医師に言われた自分が、息子たちの面倒を見られるうちに見ておきたい、という名目でした。
太地は、喜んでそれを受け入れました。母がまだ生きているうちに、少しでも多くを手に入れたいと思ったからです。
福子は、太地に会社の一部の株を譲り渡しました。太地は、その株をすぐに売却して、私的な遊興費に使いました。
福子は、そのことを知っても何も言いませんでした。ただ、静かに見守っていました。
次に、政治には、会社の事業を任せると言いました。政治は、それを機に、会社の資金を私的に流用し始めました。
福子は、それも知っていました。しかし、まだ動きませんでした。
安子には、あまり関心を持たせませんでした。安子は、母の異常なほどの静けさに気づき、疑い始めていました。
「お母さん、本当に何も感じていないの?」
安子が尋ねました。
福子は、ただ微笑みました。「何も感じていないよ。ただ、静かにしたいだけだ。」
そして、ある日、福子はついに動きました。彼女は、すべての息子たちを呼び寄せました。
「私の財産のすべては、私が選んだ者に譲る。ただし、その者はこれまでの行いを反省し、私の教えに従うこと。もし、誰かが不正を働いたなら、その者はすべてを失うことになる。」
福子は、静かに言いました。
息子たちは、一瞬、言葉を失いました。
「母さん、どういう意味だ?」
太地が尋ねました。
「そのままの意味だよ。私は、あなたたちが本当に私を愛しているのかどうか、確かめたいのだ。」
福子は、そう言うと、弁護士に遺言書を開示させました。そこには、息子たちへの遺産が、それぞれの行動に基づいて増減するという条件が書かれていました。
「つまり、これまでのあなたたちの行いを、私はすべて知っている。そして、今すぐにでも、すべてを私の遺産から除外することもできる。」
福子の言葉に、太地の顔が青ざめました。政治も、自分の不正が露見したことを悟り、震え上がりました。
しかし、福子は続けました。「でも、私はまだあなたたちにチャンスを与えようと思っている。これからは、本当に家族として、私を大切にしてくれるかどうかで決まる。今すぐ、それぞれの不正を認め、謝るならば、私はあなたたちを許そう。」
息子たちは、一瞬、迷いました。しかし、太地はすぐに頭を下げました。
「母さん、すまなかった。俺が悪かった。」
政治も、安子も、次々と謝罪しました。
福子は、深く息を吸いました。そして、静かに言いました。「いいだろう。今回は許そう。しかし、もう二度と、私を裏切ってはいけない。もし、また何かあれば、その時は、私はすべてを取り上げる。」
息子たちは、こくこくとうなずきました。
その後、福子は、息子たちに本当のことを告げました。「実は、私は最初からあなたたちのすべてを知っていた。昏睡状態のふりをしていたのは、あなたたちの本当の姿を見たかったからだ。そして、あなたたちは、私が思っていた通りの人間だということがわかった。」
しかし、福子は続けました。「でも、謝ったことは許そう。これからは、本当の家族として、一緒にやっていこう。」
息子たちは、恥ずかしそうに、しかし、どこか安堵した表情を浮かべました。
福子は、起き上がると、一人で歩き始めました。そして、窓の外を見つめながら、静かに微笑みました。
「この人生、まだまだ捨てたものではないな。」
そう呟きました。
その後、福子は、会社の経営を立て直し、成功を収めました。息子たちも、それぞれの立場で、家族を大切にするようになりました。そして、福子は、最後まで、家族を監督し続けました。
「家族とは、ただ血が繋がっているだけではいけない。本当の意味での愛がなければ、それはただの他人と同じだ。」
福子は、そう言って、静かに人生の幕を下ろしました。



