母の家を訪ねたら、近所の子供たちが「お化け屋敷だ!」と叫びながら走り去っていった。玄関を開けると、薄暗い部屋で痩せ細った母が「月1000円しか届かないから、水道水と雑草で生きてるのよ」と笑った。私は毎月10万円を仕送りしていたのに。通帳を見ると、10万円が入金された直後に9万9000円が知らない口座へ移されていた。警察も銀行も動いてくれない。そして、夫のケ太の不自然な言動が頭をよぎる。あの日…

母の家を訪ねたら、近所の子供たちが「お化け屋敷だ!」と叫びながら走り去っていった。玄関を開けると、薄暗い部屋で痩せ細った母が「月1000円しか届かないから、水道水と雑草で生きてるのよ」と笑った。私は毎月10万円を仕送りしていたのに。通帳を見ると、10万円が入金された直後に9万9000円が知らない口座へ移されていた。警察も銀行も動いてくれない。そして、夫のケ太の不自然な言動が頭をよぎる。あの日...

久しぶりに母の家を訪ねた。近所の子供たちが「お化け屋敷だ!」と叫びながら、母の家の前を走り去っていく。何かが決定的におかしい。玄関を開けると、薄暗い廊下、湿った空気、冷え切った部屋。奥の部屋から現れた母は、やつれ果てた姿だった。頬はこけ、肩は骨ばっている。

「まあ、直美じゃないの?」

その声は弱々しかった。母は私の顔を見ると、申し訳なさそうに笑った。

「しばらくありがとうね。でも、月2000円じゃ生活が厳しくて、水道水と庭の雑草でしのいでるのよ。」

「え? 1000円?」

私は毎月10万円を仕送りしているはずなのに、頭が真っ白になった。10万円が1000円に化ける理由なんて、普通に考えてありえない。しかし母は、生活が厳しくて水道水と雑草でしのいでいるらしい。

「まさか……」

とにかく、痩せた母をこのまま一人にしておけない。私は同居を申し出た。

「助かるわ。」

母は足を引きずりながら、小さく頷いた。

世間知らずな母の急激な衰弱、消えた仕送り、そして胸の奥で膨らみ続ける嫌な予感。夫の不審な行動の数々。同居を始めたことで、様々な事実が浮き彫りになっていく。

私は直美。会社員として働きながら、夫のケ太と子供のいない二人暮らしを続けていた。忙しいが不満はない。実家で一人暮らしをする母のユリ子が、ある日ぽつりとこぼした。

「物価が上がって困っちゃうわ。パート代なんて、すぐに生活費で消えちゃうのよ。」

母は足に障害を抱えている。そのため、できる仕事は限られていた。なんとか働いてギリギリの生活を送っているが、暮らしは厳しいようだ。苦労する母の様子を見るのは胸が苦しい。

「お母さんには、もう少し楽に暮らしてほしいな。」

その思いから、私はケ太に相談した。

「ねえ、ケ太のことなんだけど。」

私は夫に、夫婦の共有口座から毎月10万円を仕送りに当てさせてほしいと頼んだ。

「そうか。まあ、仕方ないよな。」

夫は母への援助を承諾してくれた。母は生活が苦しかったようで、しきりに感謝してくれた。

「助かるわ。」

こうして始まった仕送りが、今後の騒動の発端になるとは、この時の私には知るよしもない。

ある日のこと、ケ太が私を誘ってきた。

「休みが取れたんだ。最近、直美の母さんに会ってないだろう。どうだ? 久しぶりに様子を見に行かないか?」

ケ太が自ら実家訪問を提案するのは珍しい。驚きの気持ちもあったが、私はケ太の心遣いを嬉しく感じた。そうして二人で実家に行くことになった。

実家へ向かう間、ケ太はぼそりとつぶやく。

「最近、仕事がきつくてさ。」

愚痴のような、世間話のような、何とも言えないつぶやきだ。そんな夫の様子に、私は違和感を覚えた。

心ここにあらずといったケ太の様子を不思議に思いながら、私たちは実家に到着する。

「よく来たわね。いらっしゃい。久しぶりに会えて嬉しいわ。」

母は少し痩せたように見えたが、笑顔で私たちを出迎えてくれた。茶の間に向かう母の背中も、以前より弱々しくなった気がする。年のせいかもしれない。

そして、母が昼食の準備を始めた時だった。

「あら、スマホがないわ。どこにやったのかしら。」

母が慌てた様子でポケットやを探し回る。

「もう、おっちょこちょいなんだから。どうせその辺に置きっぱなしにして忘れているんでしょう。」

そう言いながら、私もスマホ探しを手伝った。しかし、不思議と見つからない。台所の隅、下、洗面所も探したが、どこにもないのだ。

「おかしいわね。」

「本当にないわね。」

私は夫にも母のスマホを見なかったか聞いてみようかと思ったが、そういえば先ほどからケ太の姿が見えない。

「あら、ケ太もいないわ。」

スマホを探し始めて数分後、ケ太が現れた。

「ケ太、どこへ行ってたの? さっきから母さんのスマホが見当たらなくて、ずっと探しているんだけど、どこかで見なかった?」

「母さんのスマホ? さあ、知らないな。」

ケ太も見ていないという。

「困ったわね。」

しかし、それから数分後。

「おい、スマホってこれじゃないのか? トイレに置いてあったぞ。」

と、ケ太が母のスマホを持ってきた。

「まあ、でも私、トイレになんてスマホを持ち込んでいないわよ。」

母は不思議そうな顔をしながら、苦笑いを浮かべている。

「ボケちゃったのかしら、私。」

その言葉を聞き、私も不安を感じた。母が忘れっぽくなった。本当にそう感じたのは、ケ太も一緒だった。母がいない時に、こっそり私に耳打ちする。

「母さん、もしかしたら認知症の始まりかもしれないな。気をつけた方がいいかも。」

夫の言葉に、私の心は沈んでしまった。

その翌日、私が夕食の準備をしていると、リビングの方からかすかにケ太の声が聞こえた。

「いや、だから返済は来週にしてって言ってるだろう。うん、分かってるよ。明日までにってのは無理なんだって。」

何の話だろうか。返済。明日まで。私は野菜を刻む手を止め、耳を済ませる。ケ太の声には焦りが混じっていた。普段の仕事の電話とは違うような雰囲気だ。仕事の電話ではなさそうね。まさか、私に内緒の借金があるのではないだろうか。

夕食後、勇気を出して聞いてみた。

「ねえ、話が聞こえちゃったんだけどさ。返済の話?」

しかし、ケ太は笑いながら言う。

「はあ? それは仕事の取引先との話だよ。あっちが勝手に期限を早めてきてさ、大したことじゃない。」

声も表情も軽い。しかし、その軽さが何かをごまかしているようにも取れた。あまりしつこく聞くような話ではない。そんな気がして、私は黙った。

それから半年が経過する。ケ太の行動は時折奇妙だった。機嫌がいい日と悪い日の差が激しく、帰宅が遅い日にはわずかに酒の匂いが漂うこともあった。だが、私はケ太の世界に首を突っ込みすぎない方がいいと考える。

そんなある日、スマホが震え、画面に懐かしい名前が浮かんだ。その名は沢村ミキ。彼女は母の若い親戚だ。何か用事だろうかと、私は電話に出た。

「もしもし、ミキさん、お久しぶりですね。何かありましたか?」

すると、ミキは震えた声でこう訪ねてくる。

「直美さん、あの、おばさんは大丈夫?」

「え? どういうこと?」

ミキの質問の意味が分からず、私は聞き返した。

「最近、おばさんがすごく痩せてるって聞いて、気になって電話したの。そしたら、生活が苦しくて食べることにも苦労してるって。」

10万も仕送りをしているのに、なぜそこまで生活が苦しいのだろうか。

「でも、私、母さんに仕送りをしているのよ。なぜそんなことに?」

「娘夫婦から仕送りをしてもらっているとは言ってたわ。でも、おばさん、仕送りは1000円しか来なくなったから仕方ないって。」

私は息を飲んだ。

「どういうこと? 私、仕送りとして毎月10万を送っているのに。」

「え、おばさんは1000円だって言ってたよ。とにかく、おばさんが心配だから、一度様子を見に行った方がいいかも。」

私はミキに知らせてくれたお礼を言い、早速母へ確認の電話を入れた。

「もしもし。直美。」

電話の向こうから、弱々しい声が聞こえた。

「お母さん、大丈夫? 仕送りが1000円しか来てないって聞いたんだけど。」

数秒の沈黙の後、かれた声で母が答える。

「そうね。でも、直美の方でも色々あるんでしょう。私のことは気にしないでちょうだい。」

母は否定しなかった。どうやら本当に母の口座には1000円しか振り込まれていないようだ。

「電気も止められているけど、水道水を飲んでお腹を満たして、あとは庭の雑草を食べてなんとか生きているから。」

「雑草って何? そんなに生活が苦しいなら、なんで早く言ってくれなかったの?」

思わず私の口調は強くなる。

「だって、あんたも忙しいだろうし、急に仕送りの金額が減ったのは、直美たちにも何かあったんじゃないかと思って。」

私の膝が震え、床に手をついた。いても立ってもいられず、私は実家へ向かう。

「お母さん。」

実家の前に立つと、部屋の中は薄暗く、電気すらついていない。庭も玄関先も荒れている。近所の子供たちが「お化け屋敷だ。早く家の前を通りすぎないと、中からババアのお化けが出てくる」と騒ぎながら走り去っていった。

扉を開くと、そこには薄暗い部屋と湿った空気。電球は外され、カーテンは半分閉まっている。中央で母が布団に座り、ゆっくり振り返った。

「直美。」

痩せ細った細い腕。母の頬はこけ、目の下の影は深かった。

「お母さん、どうしちゃったのよ。」

私は思わず母にかけ寄る。

「ちょっと節約を頑張りすぎちゃってね。」

冗談っぽく母は笑った。

「私は毎月10万入れているのに、どうしてこんなことに?」

「分からないのよ。あなたは10万を入れてるって言うけど、私には1000円しか残っていなくて。」

震える手で通帳を差し出す母。その指先は痩せて骨ばっていた。私は通帳をめくる。毎月確かに10万円が入金されていた。だが、その直後に9万9000円が引き落とされているではないか。宛先は見知らぬ口座だ。

「え? 何これ?」

私は思わず母の顔を見る。

「お母さん、本当に自分が振り込みをした覚えがないの?」

「ないわよ。そんなことするわけがないじゃない。」

この数ヶ月、母は細い体で黙って飢えと寒さに耐えていた。一体誰がこんなことをしたのだろうか。

翌日、私はケ太と共に警察へ行った。事情を説明し、通帳を見せ、母の状態を訴える。しかし、その場でケ太が発した言葉に、私は凍りついてしまった。

「お騒がせしてすみません。義母はスマホをトイレに置き忘れたりするんです。近所の人も心配してて、認知症かもしれません。」

警察官は静かに頷いた。

「認知症の疑いがある場合、ご本人がされた可能性もありまして、事件性の判断が難しくなりますね。」

私は思わず身を乗り出す。

「でも、母はスマホの操作があまりできないんですよ。こんなことを年寄りの母にできるはずがありません。」

「確認はしますが、まずご本人の意思の問題が優先で。」

ケ太の余計な一言のせいで、警察は動いてくれなさそうだ。そう感じた私は銀行へ向かう。しかし、銀行でも同じ反応だった。

「警察で事件性なしと判断されている以上、対応としては申し訳ありませんが。」

私の胸の奥で疑惑が深まる。どうしてケ太はあんなことを言ったのかしら? 犯人は誰だろうか。母のスマホに触れた人間。母のネットバンキングを設定できる人間。そういえば、母がスマホをなくしたと騒いでいたあの日、スマホを見つけたのはケ太だった。だが、その事実を認めたくなかった。しかし、疑念はますます深まる。返済という言葉、半年間の不審な行動、実家訪問の違和感、トイレで見つかった母のスマホ。全てが繋がってしまう。

信じたい。疑いたくない。だけど、身内への疑惑を持ちつつ、母への仕送りを始めてから3ヶ月が過ぎる。私は母との同居を考え始めた。

「最近、夜の足の痛みも少し楽なのよ。薬も前よりいいのに変えたしね。」

電話で母は明るく話してくれた。だが、そんな言葉を聞く度、私は考え込む。以前のように私に遠慮して、自分が苦しいことを隠し、無理をしているのではないかと。今は大丈夫でも、また何か起こるかもしれない。

その一方で、ケ太の様子が少しずつ変わってきていることにも気づかないわけではなかった。以前は仕事の愚痴や近況を積極的に話してくれていたのに、最近は無言でスマートフォンを眺める時間が増えたような気がする。

ある日の夜、夕飯を食べながら、私はケ太に同居の話を切り出した。

「あのね、ケ太、母さんのことなんだけど。」

「どうした?」

茶碗を手にケ太が聞き返す。

「母さんと同居したいの。この家に呼んであげたいと思って。やっぱり年齢が年齢だし、一人で生活をするのは厳しいと思うのよ。」

私の提案を聞いたケ太の箸が止まった。

「いや、無理だろう。」

即座に反対された。

「どうして?」

「どうしてって? 今だって仕送りでギリギリなのに。同居なんてしたら生活が回らない。部屋の片付けも必要だし、水道代や光熱費だって増える。全部俺たちの負担になるんだぞ。」

冷たい言い方に、私は思わず反論してしまう。

「負担でしょ? それは分かってる。でも、その家族を支えるのに、俺たちの収入だけじゃ厳しいって言ってるんだ。」

「じゃあ、どうすればいいのよ。」

ケ太はしばらく沈黙し、口を開く。

「うーん。やっぱり経済的なことが俺は心配だな。なら、こういうのはどうだ?」

そして、こんなことを提案してきた。

「副業してよ、直美が。本業とは別にもう少し稼げる仕事を探すとかさ。それができるなら、同居を考えてもいい。」

今の世の中、副業が色々あるだろう。何でもいいから仕事を増やして、金銭的に余裕が出たら同居してもいい。母を受け入れる条件として、私に本業とは別に副業を始め、収入を増やすよう要求したのだ。

「私だけがさらに働くの?」

私は週に何度も残業し、家事のほとんどを担い、仕送りのために自分の小遣いも削っている。それでもなお、ケ太は私だけが努力することを条件として突きつけてきた。

しかし、母のためなら仕方ない。

「分かった。できる範囲で探してみる。でも、無理のない範囲でね。」

「いや、やるなら本気でやってくれよ。生活がかかってるんだから。」

夫の言い方に、私は気を悪くする。だが、文句ばかりも言っていられないので、副業を探してみることにした。

その翌日、私は会社帰りにスーパーへ寄り、食材を買い足して家へ戻ると、ダイニングテーブルの上に一通の封筒が置いてあった。

「子宮開封」と書かれた赤い封筒。見慣れた銀行。

「何よ、これ? 子宮開封。」

胸騒ぎがした。封筒は夫宛てだ。夫に悪いと思いながらも、中身を確認する。中には支払いの遅延の通知書が入っていた。

「え、家の固定資産税が一部滞納になっていた。」

固定資産税の引き落としはケ太が管理している。今までなかった。その時、玄関のドアが開き、ケ太が帰ってきた。

「ただいま。あ、それ届いたのか。」

私は封筒を手に、まっすぐ彼を見つめる。

「どうして固定資産税が滞納になっているの?」

「ごめん。ちょっと支払いのタイミングがずれちゃって、来月払う予定だったんだけど。」

ケ太は言い訳をした。

「タイミング? そんなことで支払いを滞納するなんて。うちのお金はそんなに厳しいの?」

ケ太は黙った。数十秒後、ぽつりと口を開く。

「いくつか支払いが重なっちゃってさ。実は俺、ローンがあって。」

「ローン? 何の?」

ケ太は唇を結んだまま答えない。

「まさか、借金?」

わずかにケ太の顔が歪んだ。否定の言葉はすぐに出なかった。それが答えだ。

「借金と言っても、少しだけだよ。本当に投資の勉強をしていて、小さく始めたつもりだったんだけど、ちょっと失敗しちゃって。」

投資。少しの借金。滞納。私はここで気になっていることを夫に確認した。

「あのね、母さんへの仕送りが別口座に移されていた件なんだけど、あなた、本当に何も心当たりはないの?」

ケ太の目がすっと細くなった。

「どういう意味だ?」

「私も母さんも仕送りの口座には手をつけていないのに。仕送り分が別の口座に移されていたじゃない。警察も銀行も相手にしてくれなかったけど。」

やんわりと問いかける。

「もしかして、あなた、何か操作をしなかった?」

ケ太は一瞬で顔をこわばらせた。

「つまりなんだ? 俺が金を盗んだって言いたいのか?」

「違う、そういうんじゃなくて。」

リビングの空気に緊張が走る。

「じゃあ、なんだよ。」

私は負けずに、思っていたことを必死に伝えた。

「私はただ確認したかっただけ。お金がどこに行ってるのか分からないままだから。」

「ふざけんなよ。俺がそんなことするわけないだろう。今回の支払いが遅れたのは、タイミングが悪かっただけなのに。それだけでこんなに疑われるなんて、侵害だ。」

その怒りはどこか過剰だった。芝居じみて見えるのだ。ケ太は怒りながら、部屋へと消えてしまった。その後ろ姿を見送りながら、私はつく。

「ちょっと聞いただけじゃない。そんなに怒ることないのに。」

疑いが残ったまま、話は終わった。

私はある日、母の元を訪ねた。そして、母のスマホを手に取り、画面を確認する。覚えのないアイコンが目に入った。それは銀行のネットバンキングのアプリだ。

「お母さん、こんなの使えないはず。というか、使い方も知らないはず。」

胸がざわつく。私は母に尋ねた。

「お母さん、これ何?」

「え? そんなの入れた覚えないよ。銀行のアプリなんて難しそうだし。」

母は身に覚えがないようだ。

「開いてみていい?」

「どうぞ。私は触ったこともないから。」

アプリを開くと、初回登録は済んでおり、ネットバンキングの利用が可能な状態だった。誰かが勝手に設定した。誰がやったのか。その時、一つの記憶が蘇った。そうだ。お母さんのスマホが一時なくなって、その時ケ太が「トイレに落ちてたぞ」って持ってきた。その時期と謎の送金が始まった時期は、ほぼ同じだ。

私は決意を固めた。

一度寝つけば朝まで起きないケ太。熟睡するケ太の元へ忍び込み、そっと彼の指を取り、スマホの指紋認証に触れさせる。ロックが解除された。私は手を震わせながらアプリを開いた。あった。そこにも母のスマホと同じネットバンキングのアプリがあったのだ。さらに履歴を見ると、外部口座への送金履歴が存在していた。

「なんで……」

暗い気持ちになった。

その後、私の副業も順調で、ケ太との約束通り母との同居が始まった。不安を抱えつつも、私は母が安心して暮らせる環境を整えようと、いつもの倍の努力を重ねた。それと同時に、母への仕送り方法を変更する。

「銀行振り込みはやめるね。これからは現金で渡す。直接の方が確実だから。」

母は頷いた。私はさらに、こっそり母の部屋に小型の防犯カメラを設置する。

そして、決定的な日が来た。仕事から帰宅した私は、録画された映像を確認した。画面の中に映っていたのは、本来仕事で外出しているはずのケ太だ。彼は母の部屋へ入り、迷いなくクローゼットへ向かう。扉の中から10万円の封筒を取り出し、中身を確認して、自分のポケットにしまった。その所作はあまりにもスムーズで、罪悪感のようなものは全く感じ取れない。

「やっぱり、動いたわね。」

あのアプリ、あの送金、そしてあの怒り方、そして母のスマホがケ太によって見つかったあの日。全てが一本の線で繋がった。ケ太は母の口座から毎月9万9000円を奪っていたのだ。その振り込みがなくなったので、今度は現金を盗んだのである。

信じたくなかった。でも、目の前の映像は揺るぎようがない。私はそっとスマホを握りしめた。そして、裏切られた痛みと怒りで、静かに震えるのであった。

私が母の親戚にあたる沢村ミキの名前を思い出したのは、その日の夜だ。天井を仰いだまま眠れずにいた時、スマホの連絡先からふと目に入ったミキの名前。彼女は以前、母を心配して連絡をくれたことがある。ミキはフリーライターとして活動しており、時折企業の調査記事やルポルタージュも手掛けていた。

私は迷ったが、決意してメッセージを送る。

「母のことでとても困っています。ミキさんに調べてほしいことがあるの。」

返事はすぐに来た。

「了解。何でも聞くわ。」

翌日、ミキと喫茶店で待ち合わせをした。ミキは落ち着いており、そしてどこか鋭い観察眼も持っている。私は疑惑を全て打ち明けた。

「つまり、ケ太さんの行動が怪しいというのね。」

「うん。母さんの件で薄々怪しいとは思っていたけど、スマホのアプリだけではなく、防犯カメラでお金を盗んでいるところを見てしまったから。」

私の頼みを、ミキは笑顔で了承してくれた。

「任せて。裏取りは慎重にやるから、時間はかかるよ。」

「それでもいい。」

その言葉に、私は深く頷く。

こうして、ミキによる密かな調査が始まった。

数日後、調査を終えたミキから連絡が入り、私たちは再び店で落ち合う。席に着いた私の前で、ミキは調査結果の報告を始めた。

「まず、ケ太さんなんだけど、半年前に会社を解雇されてたよ。知ってた?」

「え? 初耳だ。」

驚く私に、ミキは続ける。

「名目は自主退職って形にされてるけど、実際は横領。会社の運転資金を勝手に使い込んだらしいわ。」

私の指先が震えた。

「横領の理由は借金返済で、その借金の原因が……」

ミキはタブレットの画面を操作し、ケ太の行動履歴がまとめられたページを開く。

「キャバクラ、いいパパカツサイト登録。出費が尋常じゃない。」

私の顔が引きつった。

「まさか、母さんへの仕送りの件も。」

「そう。おばさんの口座から引き出されたお金が、そこで使われてる。」

私は目を伏せた。

「で、実はケ太さんが興味を持ちそうなプロフィールを作って、パパカツサイトに登録して、私の方からケ太さんに接触してみた。こっちから仕掛けたら、うまく乗ってくれたわ。」

私は複雑な思いで話を聞いた。

「直接会って話を聞いた方が早そうだと思って。幸い、私はケ太さんと面識がなかったから。直美さんからの前情報もあったから、うまく話を盛り上げることができたわ。それで、二人で飲みに行って、お酒をたくさん進めて酔わせたの。」

そして、ミキは笑った。

「気分よく酔わせたら、ケ太さん全部喋ったわよ。」

私は顔を上げる。

「全部?」

「うん。ネットバンキングの解説方法も、ユリ子おばさんのスマホをどう使ったかも、お金をどう横領したかも。」

そして、ミキは苦笑いをしながら言った。

「横領がバレて首になったけど、仕方ないって、他人事みたいに笑いながら話してくれたわ。」

私の心は沈んでしまう。

「そしてね、まだあるんだけど、直美さん、心の準備は大丈夫?」

「もう、直美さん、ケ太さんに愛想をつかしてるでしょ。」

冗談めかした言い方に、私も肩の力が抜けた。

「そうね。もう、あんな男どうでもいいわ。だからお願い。真実を教えてちょうだい。」

「了解。私はどんな事実も受け入れる覚悟でいる。」

ミキはタブレットを再生した。そこに映っていたのは、酒に酔い、だらしなく笑うケ太だった。

「あいつらさ、何も気づいてねえんだよ。本当バカだよな。ま、ぼっとした世間知らずの母親なんか、簡単に扱えるし。」

私と母を侮辱しつつ、犯行を自白するケ太の映像が流れる。再生が終わると、静寂が落ちた。

「報告は以上です。」

「ありがとう。」

全てを知った私は、ケ太と戦う意思を固めた。

翌日の夜、私はケ太に、それまで積み重ねてきた証拠の全てを並べた。そして、離婚を告げる。

ケ太は最初こそばくれていたが、ミキの映像を見せると、観念したように肩を落とした。

「悪かったよ。でも、仕方ねえだろ。借金があったんだよ。」

「聞いたわよ。なんでそこまで借金を重ねるほど、節操なく遊ぶのよ。」

すると、ケ太は私を睨み、こう言い放つ。

「お前が太ったからだよ。」

なんと、自分が借金を重ねてまで遊び歩くのは、私のせいだというのだ。

「女としての色気もねえし、どんどん太っていく。一緒にいてもつまんねえし。だから外に刺激を求めただけだ。」

となるケ太に、私は静かに言った。

「もういい。あなたの事情は分かったわ。私はこれ以上、あなたと一緒に人生を歩めない。」

離婚を切り出した。だが、その言葉にケ太は焦り始める。

「待てよ。離婚なんてやめようぜ。俺だって反省してる。ほら、1ヶ月、1ヶ月だけ時間をくれよ。頑張って仕事を探すから。」

「1ヶ月?」

ケ太の出した条件を、私は聞き返した。

「ああ、1ヶ月。それでダメなら離婚でいいな。それでいいだろう。」

私は迷った。しかし、母の生活もあるし、感情だけで動けばさらに状況が悪化する危険がある。

「分かった。でも、期待しないでね。離婚届は持っておくから。」

ケ太は不満げに頷いたが、とにかくその場は収まった。

「猶予期間」と名付けられた1ヶ月。ケ太は仕事探しどころか、昼まで寝て、夕方から遊びに出ていく日々を繰り返した。私は怒りを通り越して呆れてしまい、もう心が乾き始めていた。

そんなある日、母の財布が見当たらなくなる。

「あれ? さっきまでここにあったのに。」

財布の中にはGPSタグが仕込まれている。私はアプリを開いた。位置情報はケ太の現在地と一致。まただ。辿り着いた先で、ケ太はとぼけた顔で財布を差し出した。

「拾っただけだよ。落ちてたんだろう。」

「どこで?」

「そこの机の上だよ。」

しかし、GPSアプリの移動履歴は、ケ太の部屋と財布のアイコンがぴったり重なっていた。

「嘘つかないで。」

私が低い声で言うと、ケ太は舌打ちする。

「はあ、もう返したんだからいいだろう。」

さらに数日後、多くの私物が消えていることに私は気づいた。母の形見の高級品、母の腕時計、バッグ、ブレスレット。ネットオークションを調べると、見覚えのある写真がずらりと並んでいた。出品者は匿名だが、発送地域は同じ区内。時間帯もケ太の外出と一致している。

「もうやめて。」

心の底から嘆きが漏れた。

そして、複数のクレジットカード会社から警察への通報があった。私、直美名義のカードが不正使用されている可能性があるとのことだ。利用場所は、ケ太がよく行く店と一致していた。

警察が動いたのはその翌日。仕事から帰ると、自宅前に警察車両が止まっており、ケ太が二人の警官に囲まれていた。

「ちょっと、なんで?」

「ケ太さん、同行をお願いします。不正利用の件でお話を伺います。」

「ちょっと待てよ。俺じゃない。あいつが勝手に……」

警官に腕を取られ、ケ太は連れて行かれる。その後ろ姿を、私は玄関前で立ち尽くしながら見送った。

玄関の前に、ケ太が脱ぎ捨てていった上着が落ちている。そのポケットの中を探ると、私が母に渡すはずだった生活費の封筒が、空になって入っていた。

「懲りない人。」

警察の取り調べが始まると、ケ太は自暴自棄になったのか、あっさり罪を認めた。クレジットカードの不正使用だけでなく、母への仕送りを横取りしていた事実まで、上申したという。

「どうせ全部バレるし、罪を認めた方が刑は軽くなるんだろう。」

そんな言葉を平然と口にしたと、担当刑事から後日聞かされた。しかし、その計算は甘かった。

ケ太の犯行は、体に障害を抱える義母のわずかな蓄えを奪い、さらに妻に多額の負債を背負わせたという点で、極めて悪質と判断される。加えて、ネットバンキングを悪用した電子計算機使用詐欺、複数回に渡る窃盗、カード不正利用と、罪は重なった。結果として、ケ太は懲役6年の重い実刑判決を言い渡されたのだ。

私は判決後、すぐに離婚を成立させた。

今では母と二人、小さな暮らしを丁寧に積み重ねている。夕飯を一緒に作り、テレビを見て笑い、季節の移ろいに心を寄せるような穏やかな日々だ。そして、近々沢村ミキの結婚式がある。彼女が差し伸べてくれた手がなければ、今の平穏にはたどり着けなかっただろう。私は招待状をそっと手帳に挟んだ。

「今の楽しみは、ミキさんの結婚式。花嫁姿、きれいでしょうね。」

そんなことを母と話しながら、平和な日々を過ごしているのであった。

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