ホテルの受付で席次表を渡された瞬間、嫌な予感が確信に変わった。係の二人が俺と金辺の顔を何度も見比べて、困ったように顔を見合わせている。息子の金辺は、本来ならこの受賞祝賀会の主役のはずだった。なのに案内された席は、犬用の銀色のフードボールが置かれた高さ二十センチの横長テーブル。「かなめちゃん」「ゆう君」と書かれた名札まで添えてある。金辺は顔色を失い、喉元をひくつかせて悲しみの表情を浮かべていた…

ホテルの受付で席次表を渡された瞬間、嫌な予感が確信に変わった。係の二人が俺と金辺の顔を何度も見比べて、困ったように顔を見合わせている。息子の金辺は、本来ならこの受賞祝賀会の主役のはずだった。なのに案内された席は、犬用の銀色のフードボールが置かれた高さ二十センチの横長テーブル。「かなめちゃん」「ゆう君」と書かれた名札まで添えてある。金辺は顔色を失い、喉元をひくつかせて悲しみの表情を浮かべていた...

受付を済ませた瞬間、嫌な予感は確信に変わった。ホテルマンが二人、手にした席次表と俺たちの顔を何度も見比べて、困ったように顔を見合わせている。息子の金辺は、受賞祝賀会の主役であるはずだった。

本来なら、これは金辺個人の受賞を祝う会だ。設計部門のコンペティションで最優秀賞を取った。なのに、会社が国の役人から検証を受けたとかで、いつの間にか会社の受賞祝賀会としての色が濃くなっていた。待ち合わせた金辺に「会社の意向か?」と聞けば、彼は一瞬顔をこわばらせたが、「いや、いいんだ」と首を振った。おいおい、どこまで謙虚なんだ。俺は呆れるしかなかった。

会場に入ると、到る所で「会社が受賞しました」という雰囲気が漂っている。金辺の居場所はあるのか。親ばかと言われようが、心配になってきた。

受付で名前を確認され、赤い席次表を渡された。俺と金辺の席は、一応主賓として受け取れる位置だった。だが、何かが大きく違っていた。他の席はすべて円形のテーブルで、中央に豪華な花が飾られ、カトラリーや皿が美しくセッティングされている。ところが、金辺と俺が案内された席は、高さ二十センチほどの横長のテーブルだった。白いクロスがかけられ、そこには「かなめちゃん」「ゆう君」と書かれた名札が置かれている。テーブルセッティングは、犬用の銀色のフードボールだったのだ。

「なんだこれは」

金辺は顔色を失っている。喉元がひくひくと動き、怒りというより悲しみの表情を浮かべていた。ホテルマンが慌てて謝罪に来たが、その背中に向かって、あっさりとした声が飛んだ。

「いいんだよ。俺がそう指示したんだよ。あんたらはそれに従ったまでだ」

声の主は、四十代半ばほどの男だった。金辺に言う。

「イヌが大好きすぎるやつは、犬と同じ食事で十分だろうが。ペットと暮らすための設計を提案する、中卒の潜り設計士にはそれくらいのもてなしで十分なんだよ」

「誰だ、あんた。いくら何でも失礼じゃないか」

俺が怒りを込めて問い詰めると、男はニヤリと笑った。

「この会社の社長の息子だよ。この会を開いた張本人だ」

金辺は、なぜか悟りを開いたように落ち着いていた。俺の方がよほど怒っている。

「なんでそんなに落ち着いていられるんだよ」

金辺は小さく息を吐いた。

「……後で話すよ。ゆとさん、帰ろうか」

彼は席を立ちかけた。だが俺は、金辺の肩を掴んで止めた。

「ちょっと待て」

俺はスマホを取り出し、電話をかけた。

「ああ、君か。今どこにいる? まだそんなところにいるのか。それじゃダメじゃないか。今すぐ来なさい」

五分もしないうちに、一人の男性が息を切らして駆けつけてきた。ひどく汗をかいていて、その汗を拭いながら、俺と視線を合わせようとせず、深く頭を何度も下げている。ホテルマンから事の経緯を聞いたのだろう。

「川君、この看板には何と記載されているか、読めるかい?」

俺は、会場に掲げられた大きな垂れ幕を指さした。金辺が慌てる。

「ちょ、ゆとさん、この人は会社の社長だよ。それは失礼だよ」

俺は金辺の静止を無視して、社長の川兵太をじっと見つめた。

「あ、あー……アーキテクあゆ川、最優秀賞受賞記念パーティー……」

「君の会社は、どこでどんな賞を受賞したのかな? そして、この席は、俺とここにいる受賞者、坂の金辺に対する、どんなもてなしなんだ」

ホテルマンが慌てて犬用の席を片付け始めている。だが、そこに俺たちの席が用意されることはなかった。川兵太は、止まらない汗を拭うことしかできない。その息子であろう男が、不安げに父の顔を見つめている。やがて、その息子は金辺を見て、顎をしゃくった。

「父さん、誰こいつ?」

「こ、こいつなんて……そんな失礼な呼び方をするんじゃない! その方は、うちの会社を窮地から救い出してくれた、会長だ!」

声にならず、時折言葉を詰まらせながら川兵太は言った。俺は冷静に言い放つ。

「互いに、いい子育てができたようだな」

「返す言葉も、ございません……」

そのまま失神しそうなくらい汗を流す川兵太が、少し可哀想に思えたが、この祝賀会のことも何も知らなかったのかと呆れてしまう。金辺は何が何だか分からず、俺と川兵太を交互に見ている。彼が一番困惑しているだろう。

「ゆとさん、これは一体……」

「投資家としてこの会社に投資をした結果、会長に就任したんだよ」

俺は簡単にかいつまんで話をした。離婚後、俺は在宅で開業した。システム開発はもちろん、CADツールなども少々扱えたため、設計会社の下請けとしても稼いでいた。ちょうど暗号資産が流行り始めた頃で、その時気軽に購入していた暗号資産が、何百倍、何千倍もの価値になってしまった。途端に、億万長者を超える資産になった。ギャンブル性の高い暗号資産はそこで手放し、株式投資に切り替えた。これが、今のセミリタイア生活の一番の理由だ。

その時に下請けとして仕事をもらっていた川兵太の設計事務所は、手を広げすぎて倒産寸前だった。俺は経営難を救う形で、この会社に投資をした。経営状況を逐一把握するために会長に就任し、社長に時折アドバイスをしていた。

「じゃあ、俺の入社って……」

「いや、俺は全く決定権を持っていないんだよ。君は正規の入社だ。それに金辺は自分でこの会社を選んだんだろう。俺は就職が決まってから、会社の名前を初めて聞いたんだ」

川兵太は、多くのマンションの設計を手掛ける売れっ子の建築デザイナーだった。それに憧れて入社を希望する若者も多い。だから俺はこの会社に投資することを決めたのだ。

すると、川兵太の息子が、突然土下座した。

「す、すみません! 俺、同じコンペに応募して一次で落選して、その軽い嫌がらせというか……仕返しというか……冗談のつもりだったんです……」

「随分と質の悪い冗談だね。それに、中卒ではこの年齢で一級建築士の資格を取得できないのは、君も知っているよね」

俺は静かに言った。その言葉に、息子は顔を真っ青にする。

「あ、いや……俺は……二回試験に落ちてしまって……それでもスタッフとしての仕事はできるから、何も問題はないじゃないか」

「そうだな。だが、問題はそこじゃない」

俺は川兵太に向き直った。

「川君、追加投資の打診を受けていたが、白紙に戻すよ。銀行に融資を依頼するんだな。まずは、私への三千万円の返済を優先してくれ。君の事業拡張は、それからだ」

川兵太はその場に崩れ落ちた。

「そ、それだけは……銀行では実績が乏しくて、お金を貸してもらえなくて、投資家に頼るしかなかったんです……」

「それは、私が会長に就任したころの話だよね。そう言うってことは、今でも実績が乏しいままだって、自分で認めるんだね」

「うう……実は……あの……多額の借金を……私にではなく、この息子が……」

「おい親父、今ここでそれを言うか!」

「うるさい! お前のせいで、今こんな状態になってるんだよ! ギャンブルでどれだけ借金こさえたか、分かってるのか! もう銀行から融資を受けることができないところまで来てるんだよ!」

俺は長い、長いため息をついた。

「じゃあ、なおさらだ。三千万、月末までに返済してもらうよ。後で弁護士を通じて通達するから」

この騒ぎを、来場者の多くが目にすることとなった。息子の借金で銀行から融資が受けられない。投資家が激怒して返済を迫った。こんなに大きなパーティーが、息子の悪趣味で台無しになり、数百万規模のキャンセル料が発生した。これだけでも、十分な学校のネタになる。ネット記事が出回り、アーキテクあゆ川は瞬く間に信用を失った。

この数年、あゆ川の建築デザインよりも、金辺や彼の先輩であるデザイナーたちの作品が好調だったらしい。先輩デザイナーの数名は合同で会社を立ち上げて独立し、社員は少なくなっていた。金辺は、雇ってくれた恩義があるからと会社に残り、コンペティションに応募していたようだった。あゆ川自身の実績は乏しく、結局、事業を畳まざるを得なくなった。

それから、少し時間が経った。俺が会長を退任した後、アーキテクあゆ川は事業停止に追い込まれた。負債は大きく膨らみ、破産申請を経て、債権者集会が開かれるまでに発展してしまった。実は、あゆ川親子は、それぞれの会社の金を私的に使い込んでしまっていたという。信じられない話だったが、あの日の光景を見れば、肯けるものがあった。

「父さん、俺、ちょっくら西の町に行ってくるよ」

事業停止が決まった頃、金辺が電話をかけてきた。

「なんだ、旅行か?」

「違うんだ。そっちの設計事務所で働く先輩に呼ばれて、少し武者修行しようと思ってね」

「リミさんか」

リミさんは、あゆ川の設計事務所で働いていた駆け出しの建築デザイナーだ。入社当初から励ましてくれたり、アドバイスをくれたりする人だと、金辺から聞かされていた名前だった。さんは、父親が設計士をしているとかで、実家に帰っていた。

「うん。実はリミさんとは、去年から付き合っててさ。母さんも知らないんだけど」

「早く入籍してしまえよ。もう二十五だろう」

「彼女、一人娘でさ。向こうに籍を入れようと思ってるんだ。母さんになかなか言い出せなくて」

「いや、あの人なら大丈夫だよ。『こんなに早く一人になれるなんて、嬉しいわ』くらい言うんじゃないか」

「ゆとさん、母さんのこと分かってるなあ。すごく似てたよ」

「離婚して、何年一緒にいると思ってるんだよ」

電話の向こうで、金辺と笑い合った。離婚しても、彼との縁が切れなかったのは幸運だった。これからは、上司や権力を振りかざす奴の顔を見ることなく、自分の感性を思う存分、建築デザインに落とし込むことができるだろう。

「リミさんと夫婦になって、二人が同じ方向を向くことが大事だよ」

「うん、ありがとう」

幸せな家庭を築くことを祈ると伝え、通話を終えた。受話器を置いて、俺は冷蔵庫から缶ビールを取り出した。金辺の新しい門出を祝うように、一人で乾杯した。

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