私は夫の浮気に気づいた。いや、正確には、気づかないふりをしていたわけではない。ただ、確信が持てなかったのだ。毎晩のように遅くなる帰宅時間。それなのに、以前よりも機嫌がいい。定時で帰ってきても疲れ果てていた男が、遅くなってからは妙に上機嫌で帰ってくる。何かを隠しているのは明らかだった。
夫が風呂に入っている隙に、鞄の中を調べた。スマホはいつも風呂に持ち込んでいるから、狙うなら鞄しかない。すると、見たことのない女物のハンカチがあっさり見つかった。悲しいよりも呆れた。私はバカなのか、それとも気づかない自分が悪いのか。
翌日、夫が帰ってきた。何も知らない夫は、いつものように遅く帰ってきて、私の異様な雰囲気に気づかない。「毎日大変ね。ありがとう」とわざとらしく声をかけ、当て付けのように豪華な料理を用意した。夫は「え、何?何かあったの?」と動揺していたが、まだ疑われていることには気づいていない。
「もしかして、浮気してる?」
駆け引きは好きじゃない。単刀直入に聞いた。夫は「浮気?なんで俺がそんなことするわけないだろう」と笑った。証拠のハンカチを見せると、「それは会社の部下のもので、昨日の会議の机に置き忘れてたから、今日返そうと思って」と言い訳した。ありきたりな言い訳だったが、確かに決定的な証拠ではない。私は悔しいけど、その日は問い詰めるのをやめてしまった。
でも、モヤモヤは消えない。私は探偵事務所に浮気調査を依頼した。結果は真っ黒だった。夫は私より一回り近く若い、大学を卒業して2年目の24歳の女と浮気していた。私は夫より2歳年上の姉御肌。少し悲しくなった。
さらに、写真の中に衝撃的なものがあった。女が産婦人科に入っていく姿だった。もしかして、妊娠しているの?自然と涙がこぼれた。私たち夫婦は結婚して5年間、子供に恵まれなかった。私に子供ができにくい体だと分かった時、子供好きの夫はショックを受けていた。それでも「子供ができなくても、2人で生きていこう」と言ってくれた。あの優しい夫が、なぜ。
私は女に会いに行くことにした。女のマンションの前で待ち伏せし、証拠写真を見せつけた。女は最初驚いていたが、小さな声で「はい。すみません」と浮気を認めた。近くのファミレスで話を聞くと、女は泣きながら言った。
「ごめんなさい。悪いことをしたのは分かっています。旦那さんとの関係は半年前からです。でも、そのうち、自分の子供が見てみたいから、子供を作ってほしいって言われたんです。さすがにそれはできないって断ったのに、何度も求められて、心配になって産婦人科に行きました。妊娠はしていませんでした」
そして、女はこうも言った。「浮気がバレて欲しくて、わざと旦那さんのバッグにハンカチを忍び込ませたんです」
私はこの女を許せないし、悔しい。だけど、どこか気の毒にも思えた。夫は妻への浮気だけでなく、子供ができない妻に対して、当て付けのように浮気相手に妊娠を強要していた。こんな男と一緒に暮らすことはできない。私は離婚しかないと確信した。
その夜、夫に証拠写真を突きつけると、夫はあっさり浮気を認めた。私は女に会ったこと、女が産婦人科に行っていたことも知っていると伝えた。「離婚しかない。私に対しても、あの女に対しても最低なことをした人間と一緒に暮らすことはできない」。夫は最初離婚したがらなかったが、時間が経つにつれて自分の非を理解したのか、同意した。
離婚から2ヶ月後、私は妊娠が発覚した。元夫との子供だ。でも、元夫には伝えていない。私はお腹の子供をシングルマザーとして育てることにした。あれから3年。今は両親のサポートを受け、2歳の子供と幸せに暮らしている。元夫は浮気と引き換えに、理想としていた子供のいる家庭を失った。外から聞いた話では、浮気相手はすぐ仕事を辞め、元夫は塞ぎ込んで人格が変わってしまったらしい。
最近になって、元夫が私に子供がいたことを知り、連絡してきた。でも、私は今の幸せな生活を邪魔されたくない。基本的には関わらないようにしようと思う。
私と夫は結婚10年目にして、やっと子供を授かった。お互い特に病気もなかったので、こういうのは相性とかも関係あるらしい。苦労したけれど、なんとか報われた。結婚当初から夫の実家は私にいい顔をしなかった。特に義母は、末っ子である夫と結婚したのが気に入らないと、義父から聞いたことがある。それでも距離を置いていれば平和だった。夫もマザコン気味だなと気になる程度で。
赤ちゃんができたと分かった時は、夫婦2人で泣いて喜んだ。しかし、義実家に連絡したら「はあ?」と返された。それでも初孫でよほど浮かれたのか、義母は毎日のように電話をかけてくるようになった。
「妊娠してもちゃんと働いてるんでしょうね」「息子の世話はきちんとしてるの?」「私が行かないとダメかしら」「こんなんじゃ孫の教育も心配だわ」「生まれたら私に教育させなさい」
言いたい放題だった。夫の兄は医者で、義母はそれを自慢の種にしていた。義母はこの義兄家族と同居していて、「私はあの子を医者に育てたのよ。私が言うことに間違いはないのよ」と常々言っている。
夫に義母のことを訴えても、「心配してるだけでしょう」と取り合ってくれない。
お腹の子の性別が分かった。女の子だった。私からすれば女だろうと男だろうと構わなかった。なのに義母は言い放った。「女の子?ああ、飛んだ無駄飯ぐらいになるわね。女なんてすぐに嫁に行っちゃうし」
さすがに私は夫に言った。「ねえ、いい加減お母さんに何か言ってよ。妊娠中なのに気持ちが変になっちゃう」
夫は「気にしなけりゃいいでしょう。悪気はないんだからさ」と取り合わない。私の中で着々と夫へのマイナスポイントが溜まっていった。
そして数週間後、義母がとんでもないことを言い出した。
「家族旅行に行くわよ。子供が生まれたら息子ちゃんが自由に動けないでしょ。で、あなたが運転して連れてってくれる?」
驚いて言葉が出なかった。なぜ私が?私は妊娠中なのに。義母が行きたいと言う温泉は、車で片道2時間。「私、妊娠中ですよ。そんな長い時間の運転は無理です」
「あのね、妊娠は病気じゃないの。甘えないで。いい?あなたが運転するんだからね」
夫に助けを求めたが、夫は「ここは母さんに逆らわないでよ。温泉行くのだって、お前も嬉しいだろう」と言う。「え、妊婦だよ、私」「ちょっとの運動だと思えばいいじゃん。大丈夫、大丈夫」
もうダメだ。この人たちには常識が通用しない。結局、義実家の誰も止めることができず、私は往復4時間の運転を任されてしまった。
当日は朝早く起こされ、朝食もそこそこに運転席に押し込まれた。他の3人は後部座席で爆睡。宿についても私の都合は無視された。「だらだらしてるなら、私たちでご飯行っちゃうからね」と、私は休憩しているのにさっさとご飯を食べに行き、観光地を巡る。私はお腹が張って温泉に行く気にもなれず、部屋でずっと寝ていた。苦しくて苦しくてたまらなかった。私が横になっているのに、酒を飲み食事をして楽しそうに騒ぐ3人。涙が出そうだった。
帰りも運転させられ、やっと帰ってきて泥のように眠った。
事件が起きたのはその翌日だ。お腹に今までにない痛みが走り、私は膝を床についた。夫もさすがに駆け寄ってきて心配してくれた。「どうしたの?」「お腹が痛い」。そのまま救急車を呼び、病院へ運ばれた。運ばれた先は、たまたま義兄がいる総合病院の救急外来だった。診察を始めると、義兄の焦った声が響く。
「弟と母を呼んでください」「赤ちゃんは落ち着いて。大丈夫だからね」
最悪のことがよぎった。どうか、どうか赤ちゃんだけは。数時間後、赤ちゃんは無事だったものの、流産しかけていたということで、当日は絶対安静を言い渡された。
義兄に「一体何があったんですか?」と聞かれ、私は昨日までのことを洗いざらい話した。途中から涙が止まらなかった。赤ちゃんがいなくなるかもしれない。その恐怖は忘れられない。
義兄の表情は見る見るうちに変わっていった。この人、怒ってくれてるんだ、とぼんやり考えた。そして、ちょうど夫と義母がやってきた。義兄は2人を見て、現状を話した。しかし、それを聞いて2人は「全く騒がせて」と呆れている。
「赤ちゃんをこんな危機にさらして、お前は何をやってるんだ?でもまあ、女の子だしね」
信じられない言葉だった。あんたたちが昨日私に運転させたから疲れを引き起こしたのに、いつの間にか私だけが悪になっていた。
「お前ら何やってるんだ?母さんも」
静かな義兄の言葉に、義母はとんとん拍子に空気が変わった。「聞いたぞ。昨日家族旅行だか何だか知らないが、妊婦であるゆみさんに運転させたんだって。何考えてんだ」
病室なので決して怒鳴ったりはしなかったが、義兄の声からは明らかに怒りが感じ取れた。
「それぐらいでこんなことになる、こいつの体が弱いんじゃ」と夫がもたもた言い訳を始めたが、義兄がすかさず被せた。「そんなわけないだろう。無理させたらどうなるかぐらい分からないのか。赤ちゃんがいるんだぞ。2人分の命なんだぞ」
義兄の強く重く響く声に、夫は肩を振わせ黙り込んだ。義母にはさらに続ける。
「母さんもだ。くだらない嫁いびりはやめろよ」「嫁いびりだなんて、そんなこと」
「俺の嫁からも苦情が来てる。孫が生まれるっていうのに。あんたは息子の嫁さんも赤ちゃんもどうなってもいいって言うんだな」
自分が医者に育てたのだと調子に乗り、義兄をこんなに可愛がっている義母が、ここまで徹底的に怒られたのは初めてだったのだろう。義母は子供のように泣き出した。
「どうして、どうして、お母さんにそんなひどいこと言うの?」
「俺は、こんな嫁いびりをする母より、嫁さんの方が大事だからだ」
義母の顔は明らかにショックを受けていた。自分の方が愛されていると信じて疑わなかったのだろう。義兄はさらに続けた。
「こんなんじゃ、俺の子供ができた時が恐ろしくてたまらない。同居は解消する」
義兄の家で優遇されてきた義母は、さすがに焦ったのか義兄にすがりついたが、冷たく振り払われた。そして義兄は再度夫に言った。
「いいか、お前が守るべきは嫁さんだ。そして生まれてくる子供だ。俺が言ってること分かるな。どちらもなくしたくなかったら、ちゃんと守れ」
その言葉が夫に響いたかどうかは分からないが、夫はすぐに動いてくれた。まず義母との接触を断ち、連絡を取らないようにしたのだ。
「ごめん、俺どうかしてたよ。これからは心を入れ替える」
末っ子だから両親に可愛がられて育ち、結婚してもまだ子供の気持ちでいたのかもしれない。しかし、今回のことがあり、ちゃんと父親になった気がした。
お腹が落ち着いた後、私たちは義実家から遠いところに引っ越した。そのおかげか、私は穏やかな気持ちで出産をした。今は夫と2人で育児をしている。
義母と義父は、やはり私たちと険悪な仲が続き、話し合いになったものの、同居は解消となったようだ。義父が「ああ、解放された」と電話口で喜んでいたのは笑ってしまった。義母は夫に押し込められ、小さく静かに暮らしているらしい。義兄は「裏は見てやるけど、それまでは絶縁する。孫ができたとしても見せたくない」と未だに怒りが覚めないようだ。
一度、義母から電話があった。
「ねえ、あなたから言ってよ。全部嘘です。本当は優しくされてますって。嫁いびりなんてされてませんって。お願いよ」
よくもまあ、こんなクズからあの義兄が生まれたな、と思いつつきっぱり断ると、泣きながら電話は切られてそれっきりだ。他の息子の嫁にも同じ電話をしたそうだが、みな同じようにばっさりやられたらしい。私の娘も一度も合わせていない。もしかしたら、次に会う時は葬式かもしれないが、それでも構わない。私は私を大事にしてくれる人としか会いたくないから。
夫は見直してくれたし、せっかくなので力を合わせて生きていこうと思う。
私の名前は誠。夫と私の3人暮らしだ。父はまだ寝たきりではないが、要介護状態。母は私が高校の時に亡くなったので、父の介護は私の仕事だった。うちには小さな祠がある。昔から代々あるものらしく、父もどうしたらいいのか分からず困っていたが、掃除だけは欠かさず行っていた。今は私と夫で掃除をしている。
そんな生活を続けていたある日、夫の転勤が決まってしまった。今まではなるべく断るようにしていたが、今回は断ることができず転勤が決まってしまった。父を一人にするわけにはいかない。姉夫婦も呼んで、今後のことについて話そうと思った。
姉とはあまり仲が良くなかった。でも、今はそんなことを言っている場合じゃないので呼んだ。
「いいよ。私、長女だし。いつかはこの家を継がなくちゃいけないって思ってたから、全然出てっちゃって」
前まで絶対に父の同居を嫌がっていたのに、何の気持ちの変化だろう。とはいえ、姉夫婦が引き受けてくれるなら安心だ。私たちも転勤が決まっていたので、姉を信じるしかなかった。
最初のうちは、姉は父の面倒も祠の掃除もちゃんとしていたらしい。父も驚くほどだった。姉を信じて良かったと思っていた。だが、2ヶ月くらい経過すると、だんだんおろそかになってきてしまった。
そんなある日、大きな事件が起きた。姉が父の介護をしていた時、適当に携帯をいじりながら父を車椅子へ移動させた。すると父はそこから落っこちてしまい、大怪我をして入院することになった。しかも、今までは少し自分の力で動くことができていたのに、今回の怪我で完全な寝たきりになってしまった。
入院することになったと姉から電話が来た時、私は急いで実家に戻った。姉は悪びれる様子もなく「介護してやっただけ感謝してくれる?」なんて言ってくる。私は父を大事にしない姉にイライラした。
「何考えてるの?お父さんが一人で動けないこと分かってるのに。なんでそんな適当な介護ができるわけ?そのせいで完全に寝たきりになっちゃったじゃないの」
「あんたが介護から逃げたからいけないんでしょ。正直、介護なんてめんどくさいんだからさ。分かった。もうあんな寝たきりのパパいらないから、ついでにパパも連れてってよ」
最初から私たちに任せてくれていれば、こんなことにならなかったのに。私は父を連れて転勤しなかったことを後悔した。
「もういい。私が転勤先に連れて行くから」
「そう、それは全然いいわよ。私は旦那と子供とここに住んでいるから。パパ連れて出て行ってくれるなら、こっちとしては全然いいわ。もうこの家には戻ってこないでよ」
私はこんな姉を持ったことを本当に悔やんだ。最後にと思い、家の祠を綺麗に掃除した。久しぶりに見た祠は、いつから掃除していないんだろうと思うほど汚れていた。私は丁寧に掃除をし、手を合わせて最後にご挨拶をして出ていった。
それからは、父も無事退院し、転勤先の地方へ一緒に向かった。父は申し訳なさそうにしていたが、夫も心よく受け入れてくれた。
そんな生活が続いたある日、姉から連絡があった。
「ちょっと助けて」
『旦那の会社が、いきなり倒産したのよ。しかも、うちの旦那は新しい職も見つけてもらえなくて無職なの。これに加えて、私も詐欺に引っかかって200万も失っちゃったのよ。この家の税金が払えないから、お金貸してよ』
あれだけ「家に戻るな」「家は返さない」と言っていたのに、固定資産税を私が払うわけない。私は丁寧にお断りをして電話を切った。姉の不幸は自業自得だ。姉の夫は、元々大企業だということに力を描いただけで大した仕事をしていなかったのだから、どうせ首候補だったのだろう。姉の投資詐欺だって、お金に目がくらんで始めたんだろうし。
それにしても、と私は思った。私たちが実家に戻ってくるまでは、姉は祠の掃除なんてしていなかったのだろう。私が一度出ていった時に綺麗に掃除したのに、もうすでに汚くなっていた。もしかしたら、この祠のせいで姉には不幸なことばかり起きて、私には幸せなことばかり起きたのか。いや、違う。私たちは自分たちの努力で幸せを掴んだのだ。父の介護も献身的にやってきたし、夫は仕事を誰よりも頑張っていた。不妊治療も頑張り続けた。神様がそれを見てくれていたのだろう。
そんな中、私の体に新しい命が宿った。ずっと不妊治療を行っていたので、夫と2人で泣いて喜んだ。これからは夫と私、元気になった父と生まれてくる子供と共に、幸せな生活をしていきたいと思う。



