父は言った。「結婚は認めない。だが、お前には一年やる。揉め事なく一年夫婦を続けられたら、その結婚を認めてやる。もし続かなければ、離婚させてもらう。成功したら、家を建ててやろう」
これが私の家だ。欲しいものはねだるのではなく、勝ち取る。幼い頃からそう教えられて育った。私の父は資産家で、娘の結婚など自分の思い通りにできると信じて疑わない。だから私はこの勝負を受けた。絶対に負けない。初めてできた年下の彼氏と結婚するために。
彼は26歳。優しくて心が広くて、私の強いところが好きだと言ってくれた。私が父と話している姿を見て、彼は帰り道にぽつりと言った。
「美沙さんって、かっこいいね」
拗ねたような言い方に、心臓が止まるかと思った。
「結婚したら、お父さんじゃなくて僕に甘えてね」
何て優しい人だろう。絶対に父との勝負に勝って、この人と幸せになる。心に誓った。
新婚生活は、彼が住んでいた賃貸マンションで始まった。揉め事を起こさない。父の条件は簡単に果たせると思っていた。だが、夫側にも厄介な存在がいた。義母と義姉だ。
義父はすでに亡くなっていて、義母と義姉の二人暮らしらしい。家は借金返済に消えたと聞いた。私は不動産会社に勤めていて、休みは水曜と土日のいずれか。マンションが二人の家と近いこともあり、夫のいない水曜日を狙って二人は私をいびりに来るのだ。
外に出て避けようとしても、マンションの前で待っている。仕方なく中に入れると、義母は言う。
「長男の嫁が、こんな年上ババアなんて」「長男の嫁のくせに外で働いて、家事をおろそかにして」
何かにつけて「長男の嫁」だ。義母曰く、長男の嫁は夫に従順であるべきで、家族へは愛をもって接すること。腐った連中に愛を注ぐ気はないが、拳を握りしめるたびに父の条件が頭をよぎる。揉め事を起こすな。ぐっと耐える。
夫に相談することは、父との勝負に負けることだと思っていた。それに、正直なところ、夫の家族に嫁としての責務を攻められている現状を知られたくなかった。二人に言い返すことも、夫に相談しなかったことも、結局は夫に嫌われたくなかったから。その考えが間違っていたことを、私は後々思い知ることになる。
耐えに耐えた日々が続き、ようやく一年が過ぎた。父は私たちの結婚を認め、お祝いとして家を建てると宣言した。できあがった新居は、通勤距離は同じでも以前の住まいとは真逆の場所に位置した。義母と義姉の住むアパートからは遠く離れ、気軽にいびりには来られない距離だ。安心した。
新築の家に荷物を運び入れ、ようやく生活が落ち着いた最初の水曜日。義母と義姉が現れた。
「今日からここに住むわね。荷物は少し遅れて届くから、ちゃんと運びなさいよ」
「私はもうアパートは解約したわ」
「え、聞いてないですよ」
「あら、どうして息子の家に住むのにあなたの許可が必要なのかしら。息子の家なら私の家も同然。家族なんだから、長男の嫁なんだから黙って受け入れるのが筋じゃない。全く、これだから年上の後妻は気が利かない」
「権利はあります。この家は私と夫の共同名義です。うちの父に住宅資金の一部を贈与してもらいました」
「だから来たのよ。大事な息子を金の力で取り込もうなんて嫌らしい。これ以上息子をたぶらかされないよう監視するのは当然でしょう。ほら、生意気言わないでママの荷物を運びなさいよ。このブス」
義母はどんと私の肩を殴りつけ、顎で中に入るよう差し示した。鞄を投げつけられ、私がよろけた隙に二人はずかずかと家に上がり込んだ。
「部屋はここにするわね」
二階の空いている部屋に座り込む義姉。廊下に出れば階段がすぐ近くの南向きの部屋。将来子供のためにと用意していたのに。
「見る限り金があり余っているようだし、うちの収入はパパの遺族年金しかないから、生活費は入れなくてもいいわよね」
早速荷物を開けながら義姉はペラペラと自分勝手なことを言い出す。義母も楽しそうに相槌を打つ。
「そんなの嫁として当然じゃないの?あ、家事は任せるわ。長男の嫁の仕事だもの。これまで通り注意はしてあげるから、必死に家事の腕を磨きなさいね」
「仕事といえば、嫁の肝心の仕事はどうなのよ。子供はまだなの?はあ、あなた30歳でしょ?気が利かないにも程があるわ。息子が女として扱ってくれるうちに何とかしなさいね。産んだら私がしっかり教育してあげるわ」
「私も家にいるし、ママを手伝ってあげる」
あまりにふざけた内容に、私の中で何かがブチっと切れた。
どういう環境で育てばそんな非常識なセリフが出てくるのか。生まれた子供に、教育。まだ見ぬ我が子の将来は台無しに違いない。そんなこと絶対に許せない。
「何ふざけたこと言ってんだ」
夫には聞かせたくないドスの利いた声が出た。今までいびりを我慢してきたのは、果たして正解だったのか。そんな疑問がよぎる。女の勝負だと決めつけ、夫に相談せずにいたのは、この腐った女たちの理不尽を増長させただけだった。
「まあ、なんてやかましい物言い。本性現したわね、この小悪女。反省してママに謝りなさい」
キーキー喚く二人に対し、私の喉から低い笑いがこぼれた。
「ええ、反省していますよ。むしろ後悔しています。今までどうして何も言い返さなかったのか。嫁いびりしか脳のないあんたたちを増長させてきたのかをね」
ふつふつと湧き起こる怒りのまま、口を開く。
「記憶通りなら、お姉さんは29歳ですよね。お母さん曰く、来年はもう期限だそうですよ。大変ですね。私と違って独身ですもんね」
「彼氏はいます」
「あら、そうなんですか。弟夫婦の家に転がり込むような図々しいニート女を気に入ってくれる人がいればいいですね」
「なっ、失礼でしょ!」
「驚いた。失礼なんて言葉、ご存知だったんですか?私に散々年上ブスババアなんて暴言を吐くから、お姉さんの辞書には載っていないと思ってました」
感心したように言えば、義姉は口をパクパクさせるだけだ。
「論は人によるのよ。この子はまだ大丈夫なの?」
「へえ。母の愛って素晴らしいですね。親の年金を当てにして、挙句に嫁いびりに加担する独身女。お姉さんのどの辺りが大丈夫なんです?」
「そっ、それは言いすぎだわ!」
「庇うのは理由がないのに、ただのバカ親ですよ。私に散々長男の嫁の立場ってものを教えてくれましたけど、自分たちの立場は分かってます?ただのお荷物ですよ。生活費も払わない、家事もしない無能をひけらかして、恥ずかしくないんですか?長男の嫁だろうが何だろうが、寄生中を世話する義務なんて1ミリもないですよ」
はあっと盛大なため息をつく私に、義姉はぶるぶると震え始めた。
「さっきから聞いていれば勝手なことばかり。あんた、私たちにそんな口聞いてただじゃおかないわ。今まで大人しくしていたから黙ってあげてたのに。彼に全部ばらすわよ」
「そうよ。散々いびったのに何も言い返さないから、従順だと思えば」
やはり、私からのアクションを待っていたのか。告げ口すれば、家族の悪口を言う嫁は離婚しろとでも夫に詰め寄るつもりだったのだろう。
「どうぞお伝えください。確かに、家族と仲良くできない女だと夫に思われたくない気持ちは私にもありました。でも私は間違っていた。夫は理不尽な理由で私に愛想を尽かす人じゃない。私は夫に相談すべきだったんです」
「この生意気女が!」
義母が手を振り上げ、バンと音がした途端、私の頬に痛みが襲った。衝撃に尻餅をついた私の前に、さっと影が割り込んできた。
「美沙さん、今叩かれた?」
ここにいるはずのない夫が、罪悪感に満ちた顔で私を見つめている。突然の夫の登場に、各々が驚きの声を上げる中、夫は言った。
「ごめん、廊下で聞いていたんだ。まさか叩くなんて。もっと早く止めるべきだった」
そして、さらなる衝撃の事実を告げた。
「実は前から、二人を監視させていたんだ」
驚く私たちを置き去りに、夫の説明は続く。学生時代から、義母と義姉の出来合いには気づいていたらしい。義姉に至っては、夫に近づく女子を脅し付けて遠ざけていたというのだから、過干渉にも程がある。義父が亡くなってからは、完全に一流企業に就職した夫に依存したようだ。夫は私の手前、言葉を濁したが、過去に付き合っていた彼女たちは二人に干渉され、いびられ、破局に追い込まれたようだ。
その点、私は育った環境もあり、メンタルが強い。事実、二人のいびりは面倒だっただけで、心が痛い思いをしたことはなかった。女としては微妙。いやいや、夫の好きがもらえるなら何でも嬉しい。
「マンションにいた頃から、二人が度々訪れていたのは知っていた。美沙さんは僕には何も言ってくれなかったけど」
少し拗ねたように言われ、その説は申し訳ないと平謝りの私を見て安心したみたいだ。
「もういいよ。責めてないで、僕の方から大丈夫か聞くべきだったんだ。調査会社に室内の様子を探らせるのは嫌だったから、僕が知っていたのは二人の訪問の事実だけだ。調査はまだ続いていて、今日ここに来たのも、二人が新居に押しかけたと調査会社から連絡が入ったからだよ」
「けど、今回のことではっきりした。僕が甘いばっかりに、図に乗ったんだろうね」
義姉が解約したアパートは、義母が契約したものだが、当時はまとまった金がなく、礼金が払えない状況だった。夫に泣きつき、独身だった夫は条件付きで支援を約束した。義姉を責任を持って更正させ、義姉には積極的に就職活動をする。そう、二人に求償借用書を交わしたのである。
「二人の同居なんて許さない。そんな義務は当然ないしね。美沙さんに暴言を吐く外道なんて、家族じゃない。さっさと出て行ってくれる?あ、貸した礼金は、条件を破った分と今まで嫌な思いをさせた慰謝料分。きっちり上乗せさせてもらうから」
借用書の但し書きには、夫への精神的負担や条件の不達成も記載していたようだ。美沙さんの心の痛みは、僕への裏切りでもあるからね。口調は優しいが、視線は冷たい。
「いやよ。見捨てないで。今までのことは謝るから」
「謝る相手が違うでしょ」
冷たく言い放たれた言葉に、義母と義姉はさっと顔色を悪くした。床に縋りついて謝ろうとするが、土下座なんて見苦しいだけだ。
「私は長男の嫁ですので、お母さんの教え通り夫に従います。彼の言葉通り、外道を家族にする気はありません」
そう言ってやれば、義母は絶句して固まった。義姉は言い返そうとしたが、外のクラクションの音で遮られる。この辺りは車だと迂回が必要で、引っ越しのトラックがようやく到着したのだ。二人は大事なものだけまとめて電車で来たのだろう。
「ほら、さっさと立ちなよ。荷物が来たから、一緒に引き取ってもらおうね」
夫はその後、引っ越し業者に荷物の受け取りを拒否し、さらに義母と義姉も引き取ってくれないかと持ちかける。二人を突然押しかけてきた寄生虫と紹介された業者は笑いを抑えきれず吹き出し、「荷物でいっぱいなので入りませんね」と拒否。荷物以下の扱いをされ、顔を真っ赤にした二人は、引き取り先がないなら差し戻すと業者に言われ、慌てて解約済みの部屋へと帰って行った。
後で夫が調査会社に聞いた話だが、解約の撤回はできず、慌てて安アパートに転がり込んだという。その後、夫も私も連絡先を変えたのに、一度だけ義姉が突然家に来たことがある。仕事が決まらず、ママに追い出されそうなの。助けて。と縋ってきたが、夫は容赦なかった。
「僕に会いに来る暇があったら、さっさと礼金を返してくれないかな。実の姉だから言っておくけど、借用書は法的に有効だからね。支払わないなら、出るところに出てもいいんだよ。どうして永遠にニートでいるつもりなんだ?大学を卒業してからずっとニートだろ。就職しても、あの人を見下した態度では続かないだろうな。僕の支援がなくなった今、義母はいつまで義姉を見捨てずにいられるか。実に楽しみである」
そう追い返してから、義姉の姿は見ていない。



