「母さん、まだいたの?」
息子が振り返りもせずに投げかけた言葉が、私の胸に刃物のように突き刺さった。
初孫の運動会。朝5時に起きて、暗いうちから3人分の弁当を作り、炎天下で3時間も場所取りをして待っていた私への、最初の言葉がこれだった。
「もう帰っていいよ。邪魔だから。」
38年間働きながら育てた息子。教育費850万円をかけて大学まで出した。その母親への仕打ちがこれだった。
私は長井千恵子、68歳。夫を10年前に亡くしてから、息子の家族のために生きてきた。定年後も、孫の世話を週3回、無償で引き受けている。
息子の俊介は私の全てだった。大学進学の時は残業代を全て学費に回し、自分の服も買わずに節約した。マイホーム購入の時は、退職金の前借りまでして頭金500万円を援助した。
「お母さん、本当にありがとう。僕は世界一幸せな息子だよ。」
結婚式で涙を流しながら言ってくれた感謝の言葉。あの頃の俊介の笑顔が、今でも忘れられない。
しかし、嫁の美佐が来てから、少しずつ何かが変わっていった。最初は些細なことだった。料理の味付けへの文句、掃除の仕方への小言。それが次第にエスカレートし、今では私の存在そのものが邪魔者扱いされている。
「お母さん、また勝手に冷蔵庫の中を整理したんですか?」
美佐の言葉にはいつも棘があった。私が孫の世話をしても当たり前という顔。むしろやり方が気に入らないと文句を言われる始末。
それでも私は耐えてきた。息子と孫のためなら、どんな扱いも我慢できると思っていた。
でも、今日の運動会での出来事は、私の心に深い傷を残した。
***
運動会の朝。目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。台所に立ち、孫の湊人の大好物の唐揚げ、卵焼き、おにぎりを丁寧に作り始めた。
「今日は湊人の晴れ舞台。最高の思い出にしてあげたい。」
そう呟きながら、3人分の弁当を彩りよく詰めていく。息子が子供の頃に作ったのと同じように、タコさんウィンナーも添えて。
朝6時前には準備を終え、運動会の会場へ向かった。
校門に到着すると、すでに数人の保護者が並んでいた。私は列の5番目に並んで待った。朝の涼しさもつかの間、7時を過ぎると太陽が容赦なく照り始めた。
「お母さん、絶対に良い場所を取ってね。良い場所で撮影するから。」
美佐の命令が頭に響く。私は日傘もささず、ただひたすら待ち続けた。汗が首から流れ落ち、目に入っていたい。でも、場所を離れるわけにはいかなかった。
8時、ようやく開門。私は足早に校庭へ向かい、本部の正面最前列を確保した。レジャーシートを広げ、荷物を置いて場所を守る。周りの保護者たちは確保したらすぐに日陰へ避難していったが、私は動けなかった。
「離れたら取られちゃうから、絶対動かないで。」
美佐のラインが届く。返信する間もなく、次々と指示が飛んでくる。
「お茶は冷やしておいて。カメラの充電確認して。日焼け止め忘れないで。」
私への心配は一切なかった。
炎天下で3時間。水分補給もままならず、目まいがしてきた。隣に座っていた若いお母さんが、心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですよ。」
「ありがとう。大丈夫です。」
強がって見せたが、実際は限界に近かった。
9時15分、ようやく息子夫婦が到着した。私は満面の笑顔を浮かべたが、美佐の第一声は——
「なんでこんな端っこなの? もっと中央よりが良かったのに。」
私が確保したのは本部正面の最前列。熱烈な場所だった。それでも美佐は不満そうに場所を見回して小言を言った。
「お母さん、本当に朝から並んでたの?」
疑いの目を向けられ、私は言葉を失った。俊介は何も言わず、ただスマートフォンをいじっている。
「お母さん、弁当は?」
ようやく息子が口を開いたが、それは私をねぎらう言葉ではなく要求だった。
私は黙ってクーラーバッグから弁当を取り出した。
「これ、唐揚げ覚めてる。おにぎりの海苔もしんなりしてる。」
美佐の不満が続く。3時間も炎天下に置いていたのだから当然だが、そんな事情は考慮されない。
「お母さん、ちょっと車で休んでてもらえます? ここ狭いから。」
美佐が私を見送った。場所取りをした私を、邪魔者扱い。俊介も「そうだね。母さん暑いでしょ。車で休んでて」と言った。まるで心配しているような口調だったが、目は合わせなかった。
「でも、湊人の応援を——」
「大丈夫です。ビデオ撮るので。」
美佐がピシャリと言い放つ。私は立ち上がった。足がふらつき、よろけそうになったが、誰も支えてくれなかった。
駐車場への道すがら、涙が込み上げてきた。振り返ると、美佐の実母が到着し、私が場所取りした特等席に座っているのが見えた。美佐が満面の笑顔で自分の母親を迎え、俊介も丁寧に挨拶している。
「お母様、暑い中ありがとうございます。お茶をどうぞ。」
私には向けられなかったねぎらいの言葉が、美佐の母親には惜しみなく注がれていた。
***
車に戻ると、急に体の力が抜けた。エアコンをつけようとしたが、手が震えて鍵が回せない。窓を開けても熱風が入ってくるだけ。水筒の水もぬるくなっていた。
視界がぼやけ、意識が遠のいていく感覚に襲われた。
「このままここで倒れても、誰も気づかないんだろうな。」
そう思った瞬間、私の中で何かが壊れる音がした。
手足がしびれ、呼吸が浅くなる。これは熱中症の症状だと、かすむ頭で理解した。震える手でスマートフォンを取り出し、俊介に電話をかけた。
呼び出し音が続く。1回、2回、3回……ようやく繋がった。
「もしもし。母さん、今忙しいんだけど。」
背後から、湊人への声援と美佐の笑い声が聞こえる。
「俊介、私、具合が悪くて。熱中症みたいで——」
「え? だから車で休んでてって言ったでしょ。」
息子の声には苛立ちが滲んでいた。
「救急車を呼んだ方がいいかもしれない。」
「はあ。大げさだよ。水でも飲んで寝てればいいでしょ。今、湊の競争が始まるから。」
ガチャリ。電話が切れた。
その音が、私の心に突き刺さった。
もう一度かけ直そうとしたが、手に力が入らない。スマートフォンが手から滑り落ちた。目の前が白くなったり黒くなったりを繰り返す。
このまま意識を失ったら、本当に危ないかもしれない。必死の思いでスマートフォンを拾い上げ、今度は美佐にLINEを送った。
「具合が悪いです。助けて。」
既読はついた。でも、返事は来ない。
5分待った。10分待った。何も来ない。
ふと、車の窓から校庭が見えた。美佐が自分の母親に日傘を差しかけ、団扇で仰いでいる。俊介は美佐の母親に冷たいお茶を進めていた。
「お母様、暑いでしょう。熱中症になったら大変ですから。」
俊介の声が、風に乗って聞こえてきた。私が熱中症で苦しんでいることも知っているはずなのに。
さらにショックだったのは、次の瞬間に聞こえてきた会話だった。
「あちらのお母様は?」
美佐の母親が、私のことを聞いているようだった。
「ああ、年齢も年齢ですから。暑いところは無理なんです。車で休んでもらってます。」
美佐が答える。
「でも、場所取りしてもらったんでしょう?」
「ま、それくらいしか役に立たないですから。」
俊介が笑いながら言った。
「正直、来なくても良かったんですけどね。自分から来たいって言うから。」
それは嘘だった。私は呼ばれたから来たのだ。場所を頼まれたから、朝早くから来たのだ。
「うちの母は違いますから。あちらは所詮外の人ですし。」
美佐の言葉に、俊介も頷いている。
——外の人。
その言葉が、ぐるぐると頭の中で回った。38年間必死に働いて育てた息子に、私は「外の人」と呼ばれた。
急に吐き気が込み上げてきた。車のドアを開けようとしたが、うまく開かない。パニックになりかけた時、通りかかった学校の用務員さんが気づいてくれた。
「奥さん、大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですよ。」
「す、すみません。熱中症みたいで……」
用務員さんはすぐに救急車を呼んでくれた。
「ご家族は運動会に来てるんでしょう?」
「……います。」
でも、言葉が続かなかった。家族はいるけど、助けてくれない。そんなこと、他人に言えるはずがない。
***
救急車が到着し、ストレッチャーに乗せられた。救急隊員が俊介に連絡を取ってくれた。
「息子さんですか? お母様が熱中症で搬送されます。」
電話の向こうの俊介の声が聞こえた。
「え、本当に? でも、今息子の運動会の最中で……後で病院に行きますから。」
救急隊員も困惑していた。
「かなり重症です。すぐに来られた方が——」
「分かりました。終わったら行きます。」
結局、俊介は来なかった。
病院のベッドで点滴を受けながら、天井を見つめていた。看護師さんが心配そうに声をかけてくれる。
「ご家族は?」
「息子が後で来ると言ってました。」
「そうですか。」
でも、もう運動会は終わっている時間だった。午後3時を回っていた。でも、誰も来ない。
スマートフォンを見ると、俊介からラインが1通だけ来ていた。
「病院代は後で返すから。今日は湊が一等を取った。母さんが場所取りしてくれたおかげかな。じゃ。」
涙が溢れて止まらなかった。私が死にかけている時に、息子は湊の一等を喜んでいた。場所取りのおかげと言いながら、その場所で倒れた母親を見舞いにも来ない。
看護師さんがそっとティッシュを差し出してくれた。
「無理しないでくださいね。」
優しい言葉だった。息子からは聞けなかったねぎらいの言葉を、他人から受ける日が来るとは。
点滴が終わり、医師から説明を受けた。
「かなり危険な状態でした。もう少し遅かったら、命に関わっていたかもしれません。」
「そうですか……」
「ご高齢ですから、無理は禁物です。ご家族にもよく説明しておきますね。」
医師は俊介が来るものと思っているようだった。でも、来るはずがないことを、私は知っていた。
病院を出る時、受付で会計を済ませた。3万円近い出費だった。俊介は後で返すと言ったが、それも期待できない。これまでも、貸したお金を返してもらったことなど、一度もない。
タクシーで家に帰る道中、私は決意した。
——もう、都合のいい母親は終わりにしよう。
私の中で何かが、静かに、しかし確実に変わった瞬間だった。
***
タクシーを降りて家の鍵を開けた。誰もいない静かな部屋。でも、この静寂が今は心地よかった。
ソファーに腰を下ろし、改めて今日の出来事を振り返る。炎天下での場所取り、熱中症での搬送、そして息子からの裏切り。
もう限界だった。
「都合のいい母親は、今日で終わり。」
声に出して宣言した。空っぽの部屋に、私の決意が響いた。
立ち上がり、寝室のクローゼットを開ける。奥の方に大切にしまってある書類入れを取り出した。中には、これまでの人生の記録が詰まっている。
最初に出てきたのは、職場からの退職金。38年間務めて得た退職金、2000万円。これは夫の生命保険と合わせて、老後の生活資金として大切に取っておいたものだ。俊介は知らない。いや、教えていなかった。
次に取り出したのは、俊介名義の学資保険。私が掛け金を払い続けてきた、300万円の保険。満期を迎えているが、まだ受け取っていない。
名義は俊介だが、掛け金を払ったのは全て私だ。
さらに、過去の通帳を並べる。俊介の大学時代、毎月10万円を仕送りした記録。マイホーム購入時の500万円の援助。孫が生まれてからの数えきれない援助の数々。合計すると、1000万円を有に超えていた。
「全部、当たり前だと思われていたのね。」
苦笑いが漏れた。でも、もう悲しくはなかった。むしろ、これまでの自分の愚かさに呆れていた。
パソコンを開き、エクセルで表を作り始めた。これまでの援助額、日付、内容を細かく記録していく。通帳と照らし合わせながら、一つ一つ入力していった。
そして、新たな項目も追加した——孫の世話をした日数と時間。週3回、1回8時間として計算すると、年間100時間を超える。時給1000円で換算しても、年間120万円の労働提供をしていたことになる。
ベビーシッターを雇ったら、もっと高いはずよね。調べてみると、プロのベビーシッターなら時給1000円は下らない。つまり、私は年間240万円分の無償労働をしていたことになる。
次に、スマートフォンの写真フォルダーを開いた。今日の運動会の写真はない。でも、これまでの家族写真がたくさん保存されている。誕生日、クリスマス、正月。どの写真でも、私は端っこに小さく映っているだけ。中心にいるのは、いつも美佐の家族。
「これが、私の立ち位置だったのね。」
写真を一枚一枚確認しながら、あることに気づいた。私が作った料理の写真は撮られているが、私が料理している姿は一枚もない。プレゼントを渡している写真はあるが、お礼を言われている場面はない。
「証拠として、保存しておきましょう。」
全ての写真をバックアップし、別のフォルダーに整理した。そして、最も重要な準備に取りかかった。
***
銀行へ行くため、身支度を整える。まだ体はふらついていたが、これだけは何としてもやらなければならなかった。
銀行の窓口で、普通預金を定期預金に変更する手続きをした。2000万円全額を解約するには本人確認が必要な定期に金にする。これで、俊介が勝手に引き出すことはできない。
「お客様、全額を定期になさるんですか?」
銀行員が心配そうに聞いてきた。
「はい。誰にも触らせたくないお金ですから。」
次に、保険の窓口へ向かった。
「受け取り人を変更したいのですが。」
「名義人の同意が必要ですが……」
「掛け金は全て私が払いました。証明できます。」
通帳の記録を見せると、担当者は納得してくれた。法的にも、掛け金を払った人に権利があることを確認し、手続きを進めてもらった。
家に帰ると、夕方の6時を過ぎていた。俊介から連絡はない。病院に行くと言っていたが、来なかったことへの謝罪もない。
キッチンに立ち、自分だけの簡単な夕食を作った。お粥と梅干。それだけで十分だった。一人で食べる食事が、こんなに気楽だとは思わなかった。
食後、ノートを取り出し、これからの計画を書き始めた。
1. 孫の世話は一切しない。
2. 金銭的援助は全て断る。
3. 家に呼ばれても行かない。
4.

自分の人生を最優先する。
そして最後に、大きく書いた。
——私はもう、都合のいい母親ではない。
明日から、新しい私の人生が始まる。その準備は、全て整った。
***
翌朝7時、予想通り美佐から電話が来た。
「お母さん、今日、湊人をお願いできますか? 急な仕事が入ってしまって、申し訳ないけど。」
「体調が悪いので、無理です。」
「え? でも、昨日は大丈夫そうでしたよね。」
「昨日、熱中症で搬送されたんですよ。俊介から聞いていないんですか?」
「あ、ああ……そういえば。でも、もう大丈夫なんでしょう?」
「医者から安静にと言われています。申し訳ありませんが、他を当たってください。」
「他って……お母さん以外に頼める人、いないじゃないですか?」
美佐の声が苛立ちを帯びる。
「保育園の一時預かりがありますよ。」
「そんな急に預けられません。それに、お金もかかるし。」
「でしたら、美佐さんのお母様にお願いしては?」
電話の向こうで、美佐が息を飲む音がした。
「うちの母は、忙しいんです。」
「私も、忙しいんです。では、失礼します。」
電話を切った。すぐに俊介から電話が来た。
「母さん、美佐から聞いたよ。なんで湊の面倒を見てくれないの?」
「俊介、昨日のこと覚えてる?」
「昨日? ああ、運動会。」
「私、熱中症で救急搬送されたのよ。」
「それは……大げさだったんじゃないの?」
息子の言葉に、怒りよりも呆れが込み上げてきた。
「医者から、もう少し遅かったら命に関わるところだったと言われたわ。」
「それでも、大げさだよ。でも、もう元気なんでしょ?」
「俊介、あなた、病院に来なかったわよね。」
「仕事があったから。」
「嘘。運動会の後、美佐さんの実家に行ったんでしょう。」
沈黙が流れた。
図星だったようだ。近所の人から聞いていた。俊介の車が美佐の実家にあったことを。
「とにかく、もう孫の世話はしません。お金もかかるでしょうが、それは親の責任です。」
「母さん、何言ってるの? 今まで普通にやってくれてたじゃない。」
「普通? 週3回、無償で8時間労働することが普通?」
「家族なんだから、当たり前でしょ。」
「家族? 昨日、美佐さんは私のこと『外の人』って言ってたわよ。」
また沈黙。
「母さん……聞いてたの?」
「聞こえたのよ。あなたも否定しなかった。」
「あれは……その場の流れで——」
「もういいわ。とにかく、今後一切の援助はしません。経済的にも、労働的にも。」
電話を切ると、すぐにまたかかってきたが出なかった。着信履歴が10件、20件と増えていく。
***
3日後、美佐から泣きながらの電話。
「お母さん、お願いです。今日だけでも、湊人を見てください。保育園が見つからなくて。」
「美佐さん、保育園は1日で見つかるものではないでしょう。最初から調整ができなかったのでは?」
「そんなことありません! でも、どこも満員で……」
「それは大変ですね。でも、私にはもう関係ありません。」
「お母さん、冷たいじゃないですか?」
「冷たい? 私を都合よく使い倒して、助けもせずに『外の人』と呼ぶ方が、冷たいんじゃないですか?」
美佐は言葉をつまらせた。
1週間が経過した。俊介夫婦の生活は、明らかに破綻し始めていた。美佐は遅刻と早退を繰り返し、上司から警告を受けた。俊介も残業ができず、収入が減った。
1週間後、俊介が家に来た。ピンポンを連打し、ドアを叩く。
「母さん、開けて。話があるんだ。」
私は玄関越しに答えた。
「何の用ですか?」
「母さん、顔を見て話したい。」
「必要ありません。要件を言ってください。」
「保育園代が、月6万円もかかるんだ。とても払えない。」
「それは、あなたたち夫婦の問題です。」
「母さん、冷たいよ。」
「冷たい? 息子に冷たいと言われる筋合いはありません。私は38年間働いて、あなたを大学まで出し、家の頭金も出し、孫の世話も無償でしてきた。それでも、冷たいですか?」
俊介は黙り込んだ。
「お母さん、お金あるんでしょ?」
ついに本音が出た。
「ありますよ。退職金、2000万円。」
ドアの向こうで、俊介が息を飲むのが分かった。
「2000万円も……なんで黙ってたの?」
「言う必要がなかったからです。これは私の老後資金です。」
「母さん、家族でしょ? 困った時は助け合うものでしょ?」
「家族? 私は『外の人』だと言われました。あなたも、同意してた。運動会で私が倒れても、来なかった。」
「母さん、本当にこのままでいいの?」
「ええ。これでいいんです。」
***
3週間後、美佐から手紙が来た。
「お母様へ。この度は私の配慮のない言動で深く傷つけてしまい、申し訳ございませんでした。湊の保育園がようやく決まりましたが、月6万円の出費で生活が苦しいです。もし可能でしたら、週に1度だけでも湊を見ていただけないでしょうか。謝礼として、1回5000円をお支払いします。」
謝罪の言葉はあるが、結局は自分たちの都合。しかも、プロのベビーシッターの半額以下の謝礼。
私は返事を書いた。
「美佐さんへ。お手紙ありがとうございます。申し訳ありませんが、お引き受けできません。私も高齢になり、もう孫の世話をする体力がありません。特に熱中症で倒れてから、医者に無理をしないよう言われています。どうぞ、プロのシッターさんをお探しください。」
1ヶ月後、俊介から電話が来た。声が疲れ切っていた。
「母さん、実は……学資保険のことで。」
「ああ、あれなら私が受け取りました。」
「え? なんで? 俺の名義だよ。」
「掛け金は全て私が払いました。法的にも、私に権利があります。弁護士にも確認済みです。」
「そんな……300万円だよ。湊の教育費に使うつもりだったのに。」
「これまで援助した総額は1000万円を超えています。300万円くらい、返してもらってもいいでしょう?」
「母さん、それは違うよ。あれは母さんが勝手にくれたんじゃないか。」
「勝手に? 頼まれたから出したのよ。マイホームの頭金500万円も、あなたが土下座して頼んできたじゃない。」
俊介は言葉を失った。
「母さん、僕たちの生活が苦しいのを知ってるでしょ?」
「知っています。でも、それは私の責任ではありません。」
「冷たいよ、母さん。」
「冷たい? 運動会で私を邪魔者扱いし、熱中症で倒れても助けない息子に、言われたくありません。あの時のことも、謝罪もない。言い訳はいりません。私はもう、都合のいい母親ではないのです。」
その後、2ヶ月が過ぎた。俊介夫婦は働きを続けながら、なんとか生活していたようだ。しかし、疲労は蓄積し、夫婦仲も悪化していると聞いた。
ある日、湊人君から電話がかかってきた。
「バーバ、会いたい。」
胸が締めつけられた。
「湊人君、バーバも会いたいわ。」
「なんで来てくれないの? バーバ、病気なの?」
「でも、湊人君のこと、いつも思ってるよ。」
電話の向こうで、美佐が電話を取り上げる音がした。通話は切れた。
孫には罪はない。でも、今の状況では会うことはできない。私が折れば、また都合よく使われるだけ。それは私にとっても、湊人君にとっても良くないことだ。
私は新しい生活を始めた。地域のボランティアに参加し、同年代の友人もできた。自分の時間を、自分のために使える喜びを感じている。もう誰の都合にも振り回されない。これが、私が選んだ生き方だ。
***
あれから半年が経った。
私は今、高級老人ホームのパンフレットを眺めている。退職金と貯金を合わせれば、十分に入居できる。誰にも気を使わず、自分のペースで暮らせる場所。
「長井さん、今日も陶芸教室にいらっしゃるんですか?」
地域センターの受付の方が声をかけてくれた。
「ええ。楽しみにしてるんです。」
新しく始めた陶芸。不器用ながらも、土をこねる感触が心地よい。作品を作り上げる喜びは、孫の世話とは違う充実感を与えてくれる。
教室には、同年代の仲間が集まっている。皆、それぞれの人生を歩いてきた人たち。
「千恵子さん、今日の作品も素敵ね。」
「ありがとう。自分のために何かを作るって、こんなに楽しいとは思わなかった。」
「お孫さんの面倒は、もう見てないの?」
「ええ、卒業しました。今は、自分の時間を大切にしています。」
誰も詳しくは聞かない。きっと、それぞれに事情があることを理解しているから。
ある日、俊介から久しぶりに電話が来た。声が枯れていた。
「母さん……実は、美佐と離婚することになった。」
驚きはなかった。予想していたことだった。
「そう。」
「美佐は、実家に帰った。湊も一緒に。親権は、美佐が持つことになった。僕は、週末に会えるだけ。」
複雑な気持ちだった。孫に会えなくなることは寂しい。でも、これも俊介が選んだ道の結果。
「母さん……僕が悪かった。本当にごめん。」
今更の謝罪。でも、私の心は動かなかった。
「俊介、謝罪はいらないわ。ただ、これからは自分の力で生きていきなさい。」
「母さん、もう一度やり直せないかな?」
「無理よ。私はもう、あの頃の母親ではないの。」
電話を切った後、窓の外を見た。青空が広がっている。清々しい気持ちだった。
***
数日後、美佐から手紙が届いた。
「お母様へ。離婚することになりました。今思えば、お母様にどれだけ助けられていたか、失ってから気づきました。私の愚かな言動で、取り返しのつかないことをしてしまいました。湊は元気ですが、時々『バーバ』と呼んでいます。もしいつか機会があれば、会ってやってください。本当に申し訳ありませんでした。」
手紙を読み終え、複雑な気持ちになった。でも、もう元には戻れない。戻る必要もない。
私は新しい趣味を見つけた。読書会への参加だ。若い頃から本が好きだったが、家族のために時間を取れなかった。今は思う存分、本の世界に浸れる。
「長井さんの感想、いつも深いわね。」
読書会の仲間が言ってくれる。
「人生経験が長い分、いろいろと考えさせられることが多くて。」
「でも、今が1番輝いて見えるわよ。」
その言葉が嬉しかった。確かに、今の私は自由で充実している。
ある日、スーパーで買い物をしていると、偶然俊介に会った。痩せて、疲れた顔をしていた。
「母さん……」
「俊介、元気そうだね。」
「ええ……おかげ様で。」
気まずい沈黙が流れた。
「母さん、本当にごめん。あの時の僕は、人として最低だった。」
「過ぎたことよ。」
「でも、母さんがしてくれた全てのこと……今になって、ようやく分かった。仕事と育児の両立が、こんなに大変だなんて。」
「そうね。大変よね。母さんは38年間働きながら、あなたを育てた。その上、孫の面倒まで。」
俊介の目に涙が浮かんでいた。
「僕は、母さんの苦労を何も返していなかった。当たり前だと思っていた。最低な息子だった。」
「俊介、もういいのよ。」
「母さん、もし許してもらえるなら……またやり直したい。」
私は静かに首を振った。
「俊介、人生にはやり直せないこともあるの。でも、これからのあなたの人生は、あなた次第で変えられる。私は私の人生を生きる。あなたは、あなたの人生を生きなさい。それでいいのよ。」
別れ際、俊介が言った。
「母さん、幸せそうだね。」
「ええ、今が1番幸せよ。」
それは、本心だった。
***
家に帰ると、高級老人ホームから入居案内が届いていた。来月から入居できるという。温泉付き、趣味の教室も充実、医療体制も万全。ここなら、最後まで自分らしく生きられる。
私は入居申込書に記入した。もう、迷いはない。
夕暮れ時、ベランダでお茶を飲みながら、これまでの人生を振り返った。苦労も多かったが、それも私の人生。都合のいい母親を演じ続けた日々も、無駄ではなかった。だからこそ、今の自由の価値が分かる。
私は今、本当に幸せだ。誰にも振り回されず、自分のペースで生きている。これが、私が選んだ生き方。後悔はない。
運動会のあの日、炎天下で倒れそうになりながら場所取りをした私。救急車で運ばれても、誰も来てくれなかった私。でも、あの経験があったからこそ、今の私がある。
——都合のいい母親を卒業して、本当の自分を取り戻した。
これからの人生。まだまだ楽しいことが待っている。そう信じて、今日も前を向いて歩いていく。


