夕食の席で、息子と嫁が冷たい目で私を見つめた。「もう家族じゃないから、二度と近づかないでください」——35年間、女手一つで育て上げ、結婚資金に1300万円も注ぎ込み、同居してからは無償で孫の世話までしてきた私への、最後の言葉がこれだった。しかも後日、嫁が実家へ毎月10万円を仕送りしているのを偶然聞いてしまった。私は何も言わず、ただ静かに微笑んだ。彼らは気づいていない。この家の登記簿の所有者が…

夕食の席で、息子と嫁が冷たい目で私を見つめた。「もう家族じゃないから、二度と近づかないでください」——35年間、女手一つで育て上げ、結婚資金に1300万円も注ぎ込み、同居してからは無償で孫の世話までしてきた私への、最後の言葉がこれだった。しかも後日、嫁が実家へ毎月10万円を仕送りしているのを偶然聞いてしまった。私は何も言わず、ただ静かに微笑んだ。彼らは気づいていない。この家の登記簿の所有者が...

夕食が終わり、いつもなら穏やかな時間が流れるはずのリビングで、息子の健二が重い口を開いた。

「母さん、今日は大事な話があるんだ」

その声は、これまで聞いたことがないほど低く、冷たかった。隣に座る嫁のみきは、まるで汚いものでも見るかのような目で私を睨んでいた。

「単刀直入に言います。私たちはもう母さんと暮らしたくないんです。絶縁したいんです」

「ええ、その通りよ。もう家族じゃないんだから、二度と私たちに近づかないでください」

みきの言葉には、隠そうともしない悪意が滲んでいた。

しかし私は、その瞬間、絶望するどころか、静かに口元をほころばせて微笑んでしまった。66年という人生で培ってきた直感が、そうさせたのかもしれない。

「そうですか。わかりました」

私の返事は、自分でも驚くほど穏やかだった。泣き叫ぶか、必死に懇願すると思っていたのだろう。息子夫婦は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに安堵の色に変わった。

彼らは知るよしもなかった。私の微笑みの裏に隠された真の意味を。そして、明日の朝、彼らの身に降りかかる残酷な運命を。

35年前、夫が他界したあの日から、私は女手一つで息子を育て上げてきた。大手企業の役員秘書としてフルタイムで働きながら、毎朝5時に起きて弁当を作り、夜は遅くまで健二の勉強に付き合った。

「大学までは何としても行かせてあげるからね」

幼い息子と約束した私は、必死に働き続けた。幼稚園から大学卒業までの教育費は総額1200万円。自分の趣味や楽しみは全て犠牲にしてきた。

3年前、健二が結婚すると言ってきた時は、迷うことなく老後の資金を切り崩し、結婚資金として500万円を渡した。さらに新居の頭金として800万円も援助した。

「これで安心して新生活を始められるわね」

あの頃のみきは、「本当にありがとうございます」と涙を流して感謝してくれていた。自分の蓄えを削ってでも、息子夫婦の幸せを願った私の思いは、一体どこへ消えてしまったのだろうか。

同居が始まったのは2年前のこと。健二から「母さんも一人暮らしは寂しいだろうし、大変だから一緒に住もう」と提案された時は、本当に嬉しかった。しかし、その喜びは、またたく間に絶望へと変わった。

「母さんの料理、味が濃すぎるんです。健康に悪いので、もう二度とキッチンに立たないでください」

みきの最初の攻撃は、私の得意料理に対するものだった。健二が子供の頃から大好きだった肉じゃがは、「こんな茶色い食べ物、見た目が悪すぎます」と一蹴されてしまった。

「母さんの感覚は時代遅れなんですよ」
「その番組、古臭いですね」
「服はもっと地味な色にしてください。一緒に歩くのが恥ずかしいです」

そんな小言がつけられる毎日が始まった。私が買ってきた花を飾れば「センスが悪い」と言って捨てられ、掃除をすれば「やり方が雑だ」とやり直しをさせられた。

さらに辛かったのは、孫の世話を巡る扱いだった。

「おばあちゃん、絵本読んで」

可愛い孫がすり寄ってくると、みきが飛んできて言うのだ。

「母さんの読み方は教育的じゃありません。変な癖がつくと困るので、私がやりますから」

この3年間、私は孫の保育園の送り迎えから、病気の時の看病まで、全て無償で引き受けてきた。雨の日も風の日も、片道30分の道のりを歩いて送迎し、みきが残業の時は夜遅くまで孫の面倒を見ていた。みきが仕事に復帰できたのも、私が家事と育児を担っていたからこそだった。でも、感謝の言葉など一度もなかった。

「母さん、また同じ話をしてるよ。認知症の検査受けた方がいいんじゃないか」

ある日の夕食時、健二が突然そんなことを言い出した。私はただ孫に昔話をしていただけなのに。翌日には、なぜか老人ホームのパンフレットがテーブルの上に置かれていた。

「将来のことを考えて、今から見学だけでもしておいた方がいいと思うんです」

私の意見など聞く耳も持たず、勝手に見学の予約まで入れられていた。

「母さん、トイレの使い方が汚いです」
「お風呂の時間が長すぎます。光熱費がもったいないです」
「リビングにいる時間、もう少し短くしてもらえませんか? 私たち夫婦の時間も大切なんです」

自分の家のはずなのに、まるで私がお邪魔しているかのような扱い。私は日に日に冷たく凍りついていく心を感じながら、ただ耐えるしかなかった。

決定的な裏切りを知ったのは、その後のことだった。

ある日、偶然みきが電話で話しているのを聞いてしまった。

「お母さん、今月も10万円振り込んでおいたから。ええ、大丈夫よ。うちは余裕があるから心配しないで」

私は耳を疑った。先日、健二が「母さん、悪いけど今月から生活費を入れてもらえないかな? 家のローンが厳しくて」と泣きついてきたばかりだったのだ。

経済的に苦しいはずの息子夫婦が、みきの実家には毎月10万円を仕送りしている。一方で、同居している私には生活費を要求する。この矛盾に、私の心は激しい怒りで震えた。

さらに、リビングで健二とみきの声が聞こえてきた。

「母さんは他人だから」
「でも、一応俺の母親だよ」
「だから何よ。血が繋がってても、もう他人同然でしょう。私のお母さんとは違うのよ。うちの母は私たちのことを本当に考えてくれてる。でも義母さんは違う。ただ邪魔してるだけ」
「邪魔?」
「本当のことを言って何が悪いの? 母さんの財産なんて、どうせ大したことないんでしょう。それなのにここに住まわせてあげてるんだから、感謝してもらいたいくらいよ」

その言葉が、鋭い刃となって私の心を切り裂いた。

数日後、健二が気まずそうな顔で私の部屋にやってきた。

「母さん、実はみきが最近ストレスで体調を崩していて」
「そうなの? 大丈夫かしら?」
「それで、その原因が… 申し訳ないけど、母さんとの同居らしいんだ」

私は黙って息子の顔を見つめた。

「だから、別々に暮らしてもらえないかな? 母さんのためでもあるんだ。一人の方が気楽でしょう」
「でも、私の荷物もあるし、すぐには… 」
「荷物は俺たちが運ぶから。来月までに出て行ってもらえれば」

まるで私が招かれざる客であるかのような言い草だった。

そして、今夜の出来事につながる。絶縁を宣告された時、私は全てを理解した。35年間、必死に育ててきた息子からの絶縁宣告。1200万円の教育費も、1300万円の結婚援助も、「もう十分返した」の一言で片付けられてしまった。

「わかりました。あなたたちの気持ちは、よく理解できました」

私の冷静な返事に、息子夫婦は安堵の表情を見せた。彼らは知らない。明日の朝、何が起こるのかを。

私は静かに自分の部屋に戻り、金庫から一冊の古い手帳を取り出した。夫が残してくれた大切な記録だ。

「あなた、見ていてくださいね。私、ちゃんとやり遂げますから」

写真の中の夫にそっと語りかけ、携帯電話を手に取った。

「今の先生でしょうか? 田中です。はい、予定通りお願いします。明日の朝一番で」

夫の生前からの付き合いである弁護士に、全てを伝えた。私はただの元気象ではない。夫は会社の創業メンバーの一人で、かなりの自社株を保有していた。夫の他界後、その株は全て私が相続した。

でも、そのことを息子には一切話さなかった。息子には自分の力で人生を切り開いてほしかったから。親の財産に頼らず、自立した人間になってほしい。その願いが、今日見事に裏切られたわけだが。

翌朝、午前8時。インターホンが鳴り響いた。

「はい、どちら様ですか?」
「今の法律事務所の者です。田中健二様とみき様に、重要な書類をお渡しに参りました」

私はすでに身支度を整え、玄関先でその様子を見守っていた。息子夫婦が慌てた様子で書類を受け取り、封筒を開けた瞬間、二人の顔色が見るみるうちに青ざめていった。

「嘘でしょう? この家の所有者が… 義母さん?」

そう。登記簿にははっきりと「所有者 田中け子」と記載されていた。

「おはようございます」

私は穏やかに、二人の前に姿を現した。

「母さん、これは一体…

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「あら、説明が必要ですか? あなたたち、昨日『もう家族じゃない。二度と来るな』とおっしゃいましたよね。でしたら、他人の家に勝手に住み続けるわけにはいきません」

書類の続きを読んだ健二の手が、小刻みに震え始めた。

「24時間以内の退去命令… 」
「ええ、そうです。この家は私の所有物ですから、不法占拠は認められません。すぐに出て行っていただきます」
「母さん、一旦話し合おう」
「話し合い? 昨日、あなたたちは一方的に絶縁を宣告したじゃありませんか。もう他人なのでしょう?」

みきが真っ青な顔で書類を読み進めている。

「ちょっと待って。田中け子、当社の株式の32%を保有… 」
「夫が創業メンバーでしたからね。健二さんがお勤めの会社の、実質的な大株主の一人が私なんです」

健二の足から力が抜けたように、その場にへたり込んだ。

「知らなかった… そんなこと、一度も…


「知らせる必要がありましたか? あなたは自分の力で出世したいと言っていたから、黙っていたんです。でも、もう他人ですものね。遠慮する必要もありません」

私は、準備してあった別の書類も差し出した。

「これは株主としての要求書です。あなたの処遇について、取締役会で議題にあげることを要求します。母親を『邪魔者』呼ばわりし、恩を仇で返すような人物が、果たして会社の管理職として適切かどうか」

「や、やめてくれ母さん。頼むよ」
「おかしいですね。昨日は『もう家族じゃない』と言ったじゃありませんか」

みきが泣きそうな顔で私にすがりつこうとした。

「母さん、ごめんなさい! 私が悪かったんです!」
「今更、何を言っているんですか? あなた、私のことを『他人』と言いましたよね。自分の母親には毎月10万円も仕送りしているのに、私には生活費を要求した。その差別的な扱い、忘れたとは言わせません」

「ああ、それから… 」私は最後の書類を取り出した。

「この3年間、私が無償で行った家事労働と孫の世話。時給換算で計算したら、かなりの金額になりました。請求書も作成しましたので、後日お支払いください」

「そんな! 急にお金なんて… 」
「みきさんのお母様への仕送りはやめられないのですか? それとも、ご実家に助けてもらったらどうですか?」

その時、みきの携帯電話が鳴った。実家からの電話のようだった。

「もしもし、お母さん? ええ、何? … え? お父さんが私たちの態度に激怒してる? 縁を切るって?」

実は私は、みきの実家にもこの次第を報告しておいたのだ。娘が義母にしたことを知ったみきのご両親は、激怒されたとのことだった。

健二が土下座をしようとした。

「母さん、本当に申し訳ありませんでした! 全部撤回する! これからは大切にするから!」
「撤回? 何を今更。あなたたち、昨日はあんなに晴れ晴れとした顔をしていたじゃありませんか。『やっと厄介払いができた。これで自由になれる』って」

二人の顔がさらに青ざめた。

「聞いていたんですか?」
「ええ、おかげで決心がつきました。もう、あなたたちとは本当に縁を切ります」

私はバッグを手に取り、玄関に向かった。

「今日中に出て行ってください。鍵は郵便受けに入れておいてくださいね。ああ、家具道具は私の所有物ですから、持ち出しは認めません」

「どこに行けば…


「それはあなたたちで考えることです。私はもう他人ですから」

玄関を出る前に、私は最後に振り返った。

「『お荷物』には、お金も家もありません。これが35年間の私からの答えです」

混乱する息子夫婦の声を背に、私は静かに家を後にした。

あの日から3ヶ月が経った。息子夫婦がどうなったか、詳しくは知りたくもなかったが、風の噂で聞こえてきた。家を追い出された二人は、最初はみきの実家に身を寄せようとしたが、みきの両親に拒否されたそうだ。結局、二人は郊外の古びたアパートに引っ越したらしい。健二は会社での立場も危うくなり、みきは実家からの援助も打ち切られ、初めて本当の意味での自立を余儀なくされたようだった。

「け子さんに頼りきっていたことが、今になってわかりました」

みきから謝罪の手紙が何度も届いたが、私は一度も返事を書いていない。もう、過去のことだから。

代わりに、私の生活は驚くほど充実したものになった。週に3回通うフラワーアレンジメント教室では、新しい友人がたくさんできた。

「け子さんのアレンジメント、本当に品があって素敵ね」
「ありがとう。やっと自分の時間を大切にできるようになったの」

仲間たちとの会話は、いつも温かく、お互いを尊重し合うものだった。誰も私を「お荷物」とは呼ばない。むしろ、人生の先輩として敬意を持って接してくれる。

株主としての活動も始めた。会社の経営会議に出席し、若い世代の育成について提案をしている。

「田中さんのご意見、いつも的確で助かります」
「35年間、影から会社を見てきましたからね。夫の遺志を継いで、会社の発展に貢献したいんです」

ある日の会議で、人事部長が報告をした。

「田中健二さんの件ですが、最近、パフォーマンスが著しく低下しています。生活の問題が仕事に影響しているようで… 」
「それは本人の問題です。降格もやむを得ません」

私の冷静な一言に、会議室がシンと静まり返った。

慈善活動にも力を入れることにした。恵まれない子供たちへの教育支援。これは亡き夫の夢でもあった。

「田中様のご支援のおかげで、今年も10人の子供たちが大学に進学できます」

この報告を聞くたびに、これこそが本当の意味での「家族への貢献」だと感じる。血の繋がりだけが家族ではない。心で繋がることこそが、本当の絆なのだ。

そして、私は新しい挑戦も始めた。66歳にして、大学の聴講生として経営学を学び始めたのだ。

「田中さん、今日の講義の質問、とても鋭かったですね」

若い教授にそう言われると、学ぶ喜びを改めて実感する。息子の教育にばかり投資してきた私が、今度は自分自身に投資する番なのだ。

私は66歳にして、本当の自由を手に入れた。誰かのために生きるのではなく、自分のために生きる自由。今夜は、窓辺でコーヒーを飲みながら、新しい一日の計画でも立てようか。人生は、何歳になっても新しく始められる。