私は矢沢マリ子、54歳の専業主婦だ。息子の婚約者家族に茶漬けを出され、「こういうの貧乏人は好きだろ?」と言われた瞬間、私は怒りではなく、ただ呆れた。
夫を亡くしてから27年間、一人でり太を育ててきた。実家は中流サラリーマン家庭で、父方の祖父の借金返済を手伝っていたため、裕福ではなかった。大学卒業後、運送会社勤務の夫と結婚し、息子のり太が生まれた。しかし、り太が生まれて半年後、夫は仕事中の事故で亡くなった。
深い絶望に陥ったが、り太の存在が私を立ち直らせてくれた。誰にも頼らず、一人でり太を育てる日々が始まった。職場に緊急復帰し、保育園に預けながら仕事と子育てを両立させた。り太は「どうしてパパがいないの?」と泣きながら訴えることもあったが、私は正面から向き合い続けた。
り太は素直で思いやりのある子に育ち、偏差値の高い高校に合格し、都内の大学に進学した。大学卒業後は大手メーカーに就職し、25歳の秋に一人暮らしを始めた。そして2年後、り太は結婚を考えている人がいると言ってきた。
初めて会った美優は、素直で可愛らしい女性だった。彼女の実家の話になると、表情がわずかに曇るのが気になったが、その時は気のせいだと思った。
ところが、り太が美優の実家に挨拶に行った日、帰ってきた彼の顔は晴れなかった。美優の両親、特に父親の圧が強く、面接のような質問ばかりされたという。学歴や収入状況を聞かれ、美優の姉・美佳も変な空気だったと言う。
美優からも「姉が変なことを言ってり太さんを困らせた」と謝罪のメッセージが届いた。翌日には、美優の母・陽子から電話がかかってきた。なんと、り太のスマホを無断で見て、私の連絡先を控えていたのだ。そして、収入証明書と資産状況の開示を要求してきた。
私は断固として拒否した。り太の収入は安定しているし、私自身も正社員として働いている。それだけの情報があれば十分だ。
その翌週、美優と両太が式場選びの相談に訪れたが、2人の様子がおかしい。美優の父親・宗介からり太に電話があり、「シングルマザー家庭の出身は経済的に不安定だ」と言われたという。釣り合う家柄かどうかを見極めたいと。
美優が涙ながらに語った。姉の美佳は美人で、両親から可愛がられていた。美優は姉と比べられ、幼稚園の頃から家が好きじゃなかった。美佳は他人を攻撃することが何よりの娯楽で、有能な妹である美優を陥れるために、彼氏ができても妨害してきた。過去に彼氏を寝取ったこともある。
美優がり太との交際を隠していたのは、美佳に妨害されるのを防ぐためだった。しかし、婚約まで進めることに限界を感じ、家を出て自立していた。
美優には7歳年上の兄・誠がいる。誠は美優の唯一の味方だったが、大学進学を機に家を出てしまい、美優は家で孤立していた。
私はノートを取り出し、これまでの出来事を全て記録し始めた。いざという時のための証拠だ。り太にも電話をかけ、顔合わせの時に言われたことを聞き取り調査した。
そして顔合わせ当日、私は美優の実家に向かった。駅にはり太と誠がいた。誠は「ちゃんと確認します」と言ってくれた。
市原家の玄関を入ると、そこには宗介と美佳がいた。宗介は「息子さんは大卒とのことでしたね。どちらの大学ですか?偏差値はどのくらいで?」と聞いてきた。私は「都内の大学です。偏差値はトップレベルかと」と答えた。
美佳は「ねえ、り太さん。シングルマザーの家庭ってどんな感じなの?苦労して育ったんじゃない?」と嫌みを言ってきた。
私は無表情で「そうですね」とだけ返した。
昼食の時間になり、陽子が料理を運んできた。美佳たちの前には豪華な刺身の盛り合わせが並ぶ。しかし、私たちの前には茶漬けが置かれた。
美佳が笑いながら言った。「気を使わせちゃ悪いからシンプルなものにしたよ。普段から食べてるでしょ。こういうの貧乏人は好きだろ?」
私は笑顔で「お気遣いありがとうございます」と答え、箸を伸ばした。すると、玄関のチャイムが鳴った。誠が遅れて到着したのだ。
誠はテーブルを見ると、目を見開いた。そして、私に話しかけてきた。「矢沢さん、うちの家族が大変なご無礼を。本当に申し訳ありません」
私は冷静に言った。「まさか息子の婚約者が一原さんの取引先だとは。こんな偶然があるんですね」
誠は深く頭を下げた。「矢沢まり子さんはうちの元請けの会社の関係者だ。正確に言うと、我が社の元請け企業の社長・大石哲夫さんの奥方なんだよ」
美佳たちは衝撃を受けて固まった。私は口を開いた。「私は哲夫さんの妻だけど、会社に対して何の権限も持ってない。どこにでもいる普通の50代の女よ」
誠の話によると、市原家の会社は大石会長の会社から仕事の8割を受注しており、誠が宗介の会社に回している案件もすべて大石会長から来ているものだった。
誠は宗介に問いかけた。「仕事を回してもらえなくなったら、どうなるか分かってるか?」
宗介は顔色を青くして、汗をかいていた。
私はノートを取り出し、これまでの出来事を冷静に読み上げていった。陽子からの電話、宗介からの電話、顔合わせ当日の言動、茶漬けを出したこと。全ての記録を逐一提示した。
宗介と陽子は「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。しかし、私は「息子に謝ってください」と言った。彼らは渋々両太に謝罪した。
美佳は激昂して「私がお茶漬けを出そうって言ったらノリノリで用意してたじゃない」と言い返した。しかし、誠は「お前こそ謝るべきじゃないのか」と切り返した。
美佳は美優に向かって「私より先に結婚するなんて絶対に許さないんだから」と怒鳴った。すると、両太が立ち上がった。
「そんなんだから男に見放されるんだよ。あんたは見た目だけしかない。最低の女だ。根性が腐ってる。だから見下していた妹に先を越されるんだよ」
美佳は口を震わせたが、何も言えなかった。
誠が静かに言った。「みか、今から大切な話をするから黙ってくれ。今後、父さんには仕事を回さない」
宗介は「なぜだ?」と叫び、その場に土下座した。「今回の件は誠に申し訳ございませんでした」
私は「他人から促された頭を下げるなんて、反省してませんって言ってるようなものですよ」と返した。
美佳は誠にすがりつこうとしたが、誠は「お前が謝るべき相手は、矢沢さんとり太さん、そして美優だ」と一蹴した。
美優が静かに口を開いた。「今更謝っても遅いよ。お姉ちゃんとは縁を切る。父さんと母さんもだよ。あなたたちと家族でいたら、私は一生不幸なままだから」
私は美佳に言った。「私もあなたの謝罪は受け取らないわ。勉強になったわね」
美佳たちは顔面蒼白になり、震え上がっていた。
私たちは会議室を後にした。外に出た瞬間、り太が誠に深く頭を下げた。「今回のことは本当にありがとうございました」
誠は穏やかな表情で「ミウにとって本当の家族はあなただけです。大切な妹さんとの結婚を認めていただけますか?」と聞かれた。
誠は笑った。「もちろん。美優を幸せにしてやってくれ」
美優は誠の腕に手を添え、「誠兄さん、あの家に生まれて嫌なことばかりだったけど、誠兄さんの妹に生まれたことだけは幸せだわ」と語った。
誠は私に「会社の取引についてですが、鉄会長には正直に伝えるべきだと思います」と言った。
私は首を横に振った。「私からは夫に何も働きかけません。今回の件は私たちの胸の中だけにとどめておきましょう。あなたとは良好な関係を続けたいと思っています」
その半年後、り太と美優の結婚式が行われた。会場は温かな笑顔で満ちていた。私の隣には誠が腰かけていた。
誓いの言葉を聞きながら、私は夫のことを考えた。あの人にも見せてあげたかったなと。
誠が自分のハンカチを差し出した。「これからはあなたも私たちの家族よ」
私は涙を拭きながら、自分のハンカチを取り出して彼に渡した。「いいわよ。そんなの気にしなくて。だって家族なんだし」
今日から私たち家族の新しい日々が始まる。4人で力を合わせれば、きっとどんな困難も乗り越えられるだろう。



