父が車椅子で店に入ったその瞬間、俺が信頼してきた同僚の声がスマホ越しに聞こえてきた。「車椅子のやつが買えるものはないんだけど。車椅子のやつが服を楽しむ権利なんてないんだよ。」数ヶ月前、父の店を継ぐ決意をした俺は、優秀な彼に一緒に働いてほしいと頼んだ。あの時、あの笑顔の裏で何が進行していたのか、俺はまったく気づいていなかった。父は冷静にこう言った。「じゃあ、その言葉、ここをお勧めしてくれた友人…

父が車椅子で店に入ったその瞬間、俺が信頼してきた同僚の声がスマホ越しに聞こえてきた。「車椅子のやつが買えるものはないんだけど。車椅子のやつが服を楽しむ権利なんてないんだよ。」数ヶ月前、父の店を継ぐ決意をした俺は、優秀な彼に一緒に働いてほしいと頼んだ。あの時、あの笑顔の裏で何が進行していたのか、俺はまったく気づいていなかった。父は冷静にこう言った。「じゃあ、その言葉、ここをお勧めしてくれた友人...

「あのさ、ここがどういう店か分かってる?ここは健全な人が買いに来るところなの。車椅子のやつが買えるものはないんだけど。」

父が車椅子で店に入った瞬間、店員はそう吐き捨てた。俺は電話越しにその声を聞き、耳を疑った。数秒前まで信じていた同僚の声が、容赦なく父を傷つけていた。

「車椅子の人間におしゃれは必要ない。家で大人しくしていろ。」

そんな平然と言ってのける店員に、俺の怒りは頂点に達しようとしていた。でも、父は冷静だった。

「じゃあ、その言葉、ここをお勧めしてくれた友人に言ってくれますか?」

そう言って父はスマホを差し出した。店員は戸惑うことなく電話に出て、電話口でも暴言を吐いた。

「あんた、車椅子のやつに服をお勧めするとか、人間としてどうかと思うよ。あんた最低だな。」

その行為が決定打となり、店員の未来は閉ざされることになった。

俺の名前は半田翔平。当時の俺はどこにでもいる普通の高校生だった。みんなと少し違うとすれば、実家が半田服店という洋服屋をやっていることだろうか。

この店は祖父が立ち上げ、父が二代目として切り盛りしていた。小さな個人店ではあるが、幅広い年齢層に対応したお手頃価格の洋服屋として、地元の多くの人に愛されていた。この店は俺の自慢のお店だ。学校や部活が休みの日には父の手伝いをしていた。

近い将来、父からこの店を引き継いで、もっともっと店を繁盛させて、変わらずに愛される洋服屋にすることが俺の夢だった。高校三年生になった俺は、卒業したらすぐにでもここで働いて、この店に貢献しようと思っていた。

学校に提出する進路希望調査書に「就職 半田服店」と書いた。俺が店を継ぐ意思があることを父は喜んでくれると思った。しかし、三者面談でこの調査書を見た父は、少し難しい顔をした。

「翔平、お前が店を継ぎたいと思ってくれていることはもちろん嬉しい。だが、この先ずっとお前をあの店に閉じ込めて、社会を知らない大人にはなってほしくないんだ。」

「じゃあ、店を継ぐことを許してくれないの?」

「そうじゃない。ただ一度社会に出て、服のことや接客のこと、商売のことも色々勉強してこい。俺はまだまだ元気だ。店を継ぐのはそれからでも遅くないだろう。」

担任の先生も父の意見に賛成し、他の企業への就職を進めた。俺は父さんなら店で働くことをあっさり許してくれると思っていたため、父の言葉には驚いた。しかし、それだけ俺のことを考えてくれているんだと感じ、嬉しくなった。

そして高校を卒業すると、俺は父の友人が店長を務める都心の高級スーツを扱う店に就職した。小さい頃から父の手伝いで服のことは熟知していると思っていたが、新しい学びばかりで、研究期間でさえもワクワクが止まらなかった。

「商売をする上で一番大事なことは何か分かるか?」

「できるだけ安くお客様に提供することですかね?」

「違う。商売はな、安けりゃいいってもんじゃないんだよ。いかにお客様の笑顔のために行動できるかだ。」

「なるほど。勉強になります。」

店長は友人の子供だからと俺を甘やかしはせず、それはそれは厳しく指導し、俺を可愛がってくれた。店長から教わる商売のイロハは本当に勉強になることばかりで、頭に叩き込むことばかりだった。そんな毎日は大変ではあったが、忙しくも充実した日々を過ごしていた。

店長の元で働き始めて三回目の桜が咲き始めた頃、新しく大卒の男が入社してきた。名前は須藤大樹さん。大卒なだけあって頭がとても良くて、俺なんかよりずっと優秀だった。俺は年上の後輩という何とも絡みにくい関係性に不安は拭いきれなかったが、須藤さんはそんなこと気にしていないようだった。須藤さんのその態度のおかげで、俺はすぐに打ち解けることができた。そんな仕事仲間にも恵まれ、少しずつ大きな仕事も任せてもらうようになった。

ある日、一本の電話があった。

「もしもし。翔平、今すぐ病院に来てちょうだい。お父さんが…」

嫌な予感がした。

「こっちのことは気にするな。今すぐお父さんのところに行ってきなさい。」

俺は店のことを店長と須藤さんに任せ、急いで支度をした。母から聞かされていた病院に、俺は夢中で向かった。病院につき、正面玄関で迎えてくれた看護師に従って病院に入ると、ひどく動揺している母が目に入った。

「母さん、落ち着いて。何があったのか説明してくれないか?」

「今朝、いつものようにお父さんと品出ししていたら、お父さんがいきなり倒れたのよ。意識はあったし息もちゃんとしていたけど、すごく苦しそうだったから救急車を呼んだの。それで…今、父さんはお医者さんに手当てをしてもらって、今は落ち着いているわ。」

俺は心底安心した。父にはまだ教えてほしいことがたくさんある。こんなところでお別れなんて絶対にしたくない。医師からの説明を受けた母から話を聞くと、父はある病気が見つかったらしい。これからしばらく入院することになるみたいだった。すると看護師に父と面会ができると声をかけられた。俺は父にかける言葉が見つからなかったが、父と面会することにした。

「父さん…」

「翔平、来てくれたのか?今はこの通り元気だから心配するな。」

「でも…」

言葉に詰まった俺を見て、父は小さく笑った。

「いいか、翔平。この機会だから少し真面目な話をするぞ。そろそろ店をついでくれないか?俺はもう若くないんだって思い知ったよ。どうだ?」

俺はすぐにでも実家の店を継ぎたかったが、今の職場で自分の実力不足を実感していた。だから「任せて」と言える自信はどこにもなかった。

「ああ、時間はたくさんある。考えておいてくれ。」

父にそう言われ、しばらく一人で考え込んでいたが、俺は決心できずにいた。そこで父のこともよく知る店長に相談してみることにした。

「というわけなんですが、俺どうすればいいんですかね?」

「継げばいいじゃないか。今の翔平にはもう、実家の店を一人で動かしていくだけの力がある。」

「でも俺、やっていける自信ないです。」

「誰だって最初は不安なものさ。お前ならできる。俺が保証する。」

店長が背中を押してくれたおかげで、俺は店を継ぐことを決意した。しかし、やはり一人は不安だったので、優秀で信頼している須藤さんにも働いてもらいたいと思った。でも俺一人で須藤さんに話を持ちかけても断られると思ったため、店長に一緒に頼むようにお願いしてみた。店長は心よく承諾してくれ、早速須藤さんにこのことを打診した。

「須藤さん、この通りだ。頼む。どうか翔平の力になってくれないか。」

真剣に話を聞いてくれた須藤さんは困った表情を浮かべていたが、最後は店長のおかげもあって半田服店で働くことを承諾してくれた。俺は本当にいい仲間に出会えたなと心の底から思った。

それからの毎日は大変ながらもとても充実した日々だった。小さい頃から知っている常連さんやご近所さんはとても良くしてくれたし、何よりこの自慢の店で働けることが嬉しくてたまらなかった。父から店をついで、あっという間に三ヶ月が経過していた。

ある日、一日の仕事が終わり売上の計算をしていると、何かがおかしいことに気づいた。お客さんに売った商品と売上金が一致しないのだ。俺は最初計算を間違えたのだと思い、もう一度計算し直したが、やっぱり合わない。そこでその日売れた商品と売上金を詳細に照らし合わせてみると、ベルトやアクセサリーの数点が売上金に含まれていなかった。売れていないはずの商品が店から消えているのは、どう考えたっておかしい。

俺は須藤さんに相談してみることにした。

「というわけなんだけど、どう思う?」

「気のせいじゃないのか?」

「気のせいじゃないんだよ。ほら、売上金と見比べてみて。」

「じゃあ誰か万引きしてるのかもな。」

「万引きって、お客さんを疑うのか。そんなお客さんうちにはいないだろう。」

「そんなのわからないじゃないか。この建物は古くてセキュリティが万全じゃないんだから、ベルトの一本や二本取られたっておかしくない。」

須藤さんのそっけない反応には少しイラッとしたが、原因を突き止める術はなかった。須藤さんの言う通りうちの店は古い個人店なので、防犯カメラも十分な数を設置できていない。仕方なくしばらくは様子を見てみることにした。

そんなある日、入院中である父から急に呼び出しを受けた。俺は父さんの病気が悪化して何かあったのかもしれないと思い、急いで病院に向かった。病院に到着し、父の病室を訪れると、父が元気な様子で俺を出迎えた。

「父さん、体は大丈夫なのか?」

「見ての通りとっても元気だよ。まあ、入院しているのに元気ってのも変だがな。」

「なんだ、父さんに何かあったのかと思って急いできたんだよ。」

「それは悪かったな。」

父は苦笑いを浮かべたが、すぐに真剣な表情になって俺を見た。

「それより最近店の方はどうだ?」

「うん、ちょっと順調とは言えないかも。なんかおかしなことがあって、ベルトやアクセサリーが数点なくなったんだよ。」

「そうか。そんなことも起こっていたのか。」

「そんなことも?父さん、どういうこと?何か知ってるの?」

「いや、実はな、最近急激に店の評判が落ちているようでな、口コミサイトに悪いことが書かれているんだよ。ほら。」

そう言って父は口コミサイトの半田服店のページを見せてくれた。

「この店の店主に『貧乏な客に売る服はない』と言われました。こんな店二度と来ません。」

「『ブスに似合う服はないです』って昔よく言っていた店だけに失望しました。」

「接客が悪く嫌な思いをしました。早く潰れてしまえばいいのに。」

そこには今まで言われたことのないような罵詈雑言が並んでいた。

「なんだこれは?」

「翔平、何か心当たりはないか?」

「心当たりはないけど、俺は絶対にこんなことは言っていない。ということは…須藤さんかも。」

「もしこの口コミが本当なら、須藤君がこんな接客をしているということだな。」

「本当に須藤さんなのか?須藤さんがどうしてこんなこと?前の店で働いてた時はそんなことなかったけど。」

「よし、本当かどうかを確かめよう。須藤君と面識のない俺が客として店に潜入しようじゃないか。」

「でも父さん、体調は…」

「これくらい大丈夫さ。車椅子でなら体の負担も少ない。病気のことなら安心しなさい。」

父が力強く言ってくれたこの言葉を信じ、父に潜入捜査を頼むことにした。

迎えた潜入当日。服好きな父らしくシックなセットアップに身を包み、とても上品な雰囲気をまとっていた。

「父さん、聞こえるか?電話はこのまま繋いだままでよろしくな。」

須藤さんとの会話が聞こえる状態にしたスマートフォンを父に預け、車椅子で入店してもらう。父が店に入ってしばらくすると、須藤さんの声が聞こえてきた。

「あのさ、ここがどういう店か分かってる?ここは健全な人が買いに来るところなの。車椅子のやつが買えるものはないんだけど。」

耳を疑った。俺は信じたくなかった。須藤さんがお客さんにこんなひどいことを言っているだなんて。それでも須藤さんの声は止まらなかった。

「だから車椅子のやつが服なんか買ってどうするの?どうせ自分一人で着替えもできないんでしょ。だったら服屋なんか来るなよ。」

その後も暴言を繰り返す須藤さんに、父が口を開いた。

「別に私のような車椅子の人が服を楽しんだっていいじゃないですか。」

「何言っちゃってんの?逆によくこんなところに来て惨めな気持ちになりませんね。普通、車椅子の人が来るような場所じゃないから。」

「しかし私は服が大好きです。買い物させてください。」

「本気で言ってる?早く店から出てけよ。車椅子のやつが服を楽しむ権利なんてないんだよ。」

須藤さんの信じられない言葉の数々に、俺の驚きと怒りは頂点に達しようとしていた。

「じゃあ、その言葉、ここをお勧めしてくれた友人に言ってくれますか?」

そこで父の冷静な声が聞こえる。するとスマートフォンを受け取ったらしく、須藤さんの声が大きくなって電話口から聞こえた。

「あんた、車椅子のやつに服をお勧めするとか、人間としてどうかと思うよ。あんた最低だな。ああ、車椅子のおじさんか。そうに。」

須藤さんは笑みを含んだ口調で言う。

「翔平、どういうことだ?」

告げると同時に、俺は店の中に入っていった。

「須藤さん、いつもこんな接客をしていたのか。どうしてこんなことをしていたんだ?説明してくれ。」

顔面蒼白になった須藤さんは何も言えずに口をもごもごと動かしている。

「ベルトやアクセサリーがなくなっていたのも、あんたが盗んだのか。黙ってないではっきり答えろ。」

怒りに任せて声を荒げると、須藤さんは肩を落としてか細い声で答えた。

「俺だよ。俺がやりました。」

「どうしてこんなことを?」

「翔平が…翔平がお前が俺より年下で高卒のくせに先輩なのが気に食わなかったんだよ。」

きっと睨むように須藤さんは俺を見る。

「俺が前のスーツ店に就職した時、俺より年下で高卒のバカなのに、自分が後輩として接しなくちゃいけないのがとても悔しかった。店長も、容姿が良くて愛嬌があるお前の方をより可愛がっていた。」

須藤さんの目から一筋の涙が流れた。

「だからお前が実家の服屋を継ぎ、店をやめると知った時は、やっと解放されると思って本当に嬉しかった。」

「でも俺が須藤さんに一緒に働いてくれるように頼んだ。」

「そうだ。やっと自由になれると思ったのに。前から頼まれただけだったら何が何でも断るつもりだったけど、店長からも頼まれて断れなかったんだ。」

そう言うと須藤さんは小さくため息をついた。

「店の商品を盗んだり、お客さんに暴言を吐き続けたのは、店の評判を落とすためだった。お前に嫌がらせをしてやろうと思ったんだよ。」

「そんな理由だけで、この大事な店をめちゃくちゃにしたのか。」

ふつふつと湧いてきた怒りをどうすることもできないままでいると、ずっと黙って話を聞いていた父が口を開いた。見れば父は目を真っ赤にして涙を流していた。

「そんな理由でこの店にいたずらをするな。この店は私の父が人生をかけて築いた店だ。私もまた、この店に人生をかけてきた。言葉では表せないくらい大切で、我が子のような店なんだ。」

父の熱い言葉に胸が熱くなった。

「もうこれ以上、店の評判を落とすようなことや翔平の邪魔はしないでくれ。だから服店にも息子にも関わらないでくれ。」

父がそう言うと、須藤さんは気まずそうな顔をしながらとぼとぼと店を出ていった。

「翔平、今日はもう店を閉めよう。」

「うん。」

それから数日後、須藤さんから連絡があった。

「その間は申し訳ないことをした。本当にすまない。もうやめるよ。」

さらに後日、須藤さんが盗んだ商品が入ったダンボールが届いた。ダンボールにはパンパンに商品が詰められていた。須藤さんは思っていたより多くの商品を盗んでいたようだ。それでも須藤さんがこの商品たちを返してくれたのは、父の言葉が響いたからなのかもしれないと思う。

それからというもの、俺は半田服店のチラシを作成し、街中で配り歩いた。

「半田服店です。よろしくお願いします。」

新規のお客さんを獲得するためでもあったが、今回の件で離れてしまった常連さんたちを取り戻すためでもあった。店の看板も新しくし、一からこの店で頑張っていこうと思う。そのおかげもあってか、少しずつではあるが、新規のお客さんも過去の常連さんも買い物に来てくれるようになった。

あれだけ荒れまくっていた口コミサイトも、いつの間にか変わっていた。

「やっぱり半田の服が好きです。」

「三代目の接客が丁寧でまた来たくなる。」

「お店の雰囲気も服も接客も、全てが素晴らしいです。」

今ではいい口コミが増えてきて、悪い口コミが削除されていた。

「父さん、今日もたくさんのお客さんが来てくれて本当に嬉しかったんだ。」

「そうか、そうか。俺も来月からまた現役で翔平と店をやれるのが楽しみだよ。」

「うん。俺も楽しみだ。父さんにはまだまだ教えてもらいたいことたくさんあるんだから、まだまだ元気でいてくれよ。」

「おお、分かってるよ。」

あれからというもの、父の体調は回復に向かい、来月には退院できるまでになった。夢であった父さんとの店。そのことが今から楽しみで仕方がない。

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