豪語される「男勝りでガサツな娘」との見合い。初対面で袴姿の七瀬に「お引き取り願いたい」と一蹴された。だが、月光の下で彼女に持ちかけたのは、取引だった。「この事業が完了するまでの間だけ、婚約者という形を取らせてください」。就職の危機を救うための、ビジネスでの婚約。心に決めたのは、「絶対に彼女を好きにならないこと」だった。なのに、真摯に仕事と向き合う彼女の姿を見ていくうちに、約束は揺らいでいく。…

豪語される「男勝りでガサツな娘」との見合い。初対面で袴姿の七瀬に「お引き取り願いたい」と一蹴された。だが、月光の下で彼女に持ちかけたのは、取引だった。「この事業が完了するまでの間だけ、婚約者という形を取らせてください」。就職の危機を救うための、ビジネスでの婚約。心に決めたのは、「絶対に彼女を好きにならないこと」だった。なのに、真摯に仕事と向き合う彼女の姿を見ていくうちに、約束は揺らいでいく。...

ホテル・ソレイユの支配人室で、俺はガイ・テヅカの言葉に言葉を失った。取引先の大手ホテルチェーンから、契約を打ち切られると宣告されたのだ。システムの障害を理由に、俺が社長を務める感動システムの方が、むしろブランドを下げていると。必死に契約の継続を懇願する俺に、ガイは冷たく言い放った。

「お願いしますなんて言葉は、負け犬の遠吠えにしか聞こえないんだよ」

雨が降り出す中、会社に戻った俺は、テーブルの上の支払い期限が迫った請求書の束を見つめる。これで従業員の給料も、祖父母の入居する介護施設への支払いも滞る。祖父から受け継いだ会社は、倒産寸前だった。

翌朝、いつもの定食屋で桜旅館の仲居たちが「予約の手違い」について話しているのを耳にした。そこに、桜旅館の当主・飯田宗やが疲れた表情で現れる。俺は思い切って声をかけると、彼は重い口を開いた。

「うちの予約システムについて、知恵を借りられないだろうか」

創業120年の老舗旅館・桜旅館は、いまだに紙の台帳で予約を管理していた。同じ日に2組の客が重なるトラブルは、これで3度目。デジタル化は避けられないが、年配の仲居たちが使える直感的なシステムが必要だと、飯田は語った。

「手書きの良さも残しながら、デジタルの便利さも取り入れた。そんな予約システムを作れないだろうか」

俺は祖父の言葉を思い出していた。人の心を動かすシステムを。この依頼に、その可能性を感じた。

「お任せください」

その日から、俺は毎日桜旅館に通い、仲居たちの要望を聞き取りながらシステムの設計を重ねた。予約の取り違いは激減し、正式な契約も結ばれることになった。ところが、飯田さんは契約にあたって、1つ条件があると言い出したのだ。

「私ごとで恐縮なんだが、うちの娘と結婚して欲しいんだ」

娘の七瀬は「男勝りでガサツ」で、見合いはすべて破談になっている。飯田は、実直で誠実な俺なら、と懇願した。そして、呼び出された娘の七瀬は、なんと男物の袴姿で現れたのだ。

「お前がお見合い相手か。悪いけど、お引き取り願いたい。こんな地味な人が、私にふさわしいとは思えない」

その場で一蹴され、部屋を出て行く七瀬。だが、その背中に、何か寂しげなものを感じた俺は、彼女を追って中庭へ向かった。月光の下で、俺は彼女に「取引」を持ちかけた。この事業が完了するまでの間だけ、仮の婚約者という形を取らないか、と。これには彼女にもメリットがある。婚約者がいる間は、新たな縁談も止まるからだ。

「なるほど。それはなかなか面白い提案だな」

こうして俺たちの奇妙な取引が始まった。桜旅館の予約システムの改善を進める中で、俺は七瀬と意見をぶつけ合いながら距離を縮めていく。彼女はデジタル化を伝統を否定するものと断じ、俺はそれを「伝統を守るための道具」だと主張した。試行錯誤を重ねる日々の中で、豪語される「男勝りでガサツ」という印象の裏側にある、誰よりも繊細で旅館を思い、スタッフを気遣う七瀬の姿を知っていった。

「その敬語、そろそろ止めないか」

不意に七瀬から提案され、俺の心臓は跳ねた。俺たちの関係はビジネスだ。好きにならないと約束したのに。この瞬間、その約束が少しだけ揺らいだ気がした。

そんなある日、ホテル・ソレイユの手塚が、観光協会の緊急集会で再開発案を提案した。老朽化した旅館の買収を含む、温泉街全体をホテルに作り変えるという再開発計画。標的は、他ならぬ桜旅館だった。七瀬は耐えられずに会場を後にし、俺に「ついてこないで」と拒絶した。

「これは桜旅館の問題。婚約者のふりをしてもらってるだけの坊太郎には、関係ないことだ」

その言葉に胸は締め付けられた。彼女を止めることもできず、俺はその場を立ち去ろうとした。すると、七瀬の母・マサさんが声をかけてきた。彼女の話で、ようやく七瀬の強がりの理由を知った。女の子が生まれたと親戚に後ろ指を差され、幼い頃から「女に何ができる」と言われ続けてきたこと。だからこそ、誰よりも強くならなければ、と必死に強がって生きてきたこと。俺は、彼女の強がりの裏側を理解した。

次の観光協会の会合で、俺は七瀬に断りもなく壇上に立った。そして、桜旅館の宿帳をデジタル化して分析したデータを基に、この旅館が3世代にわたって愛され、若い世代のリピーターが増加していることを示した。伝統は否定されるべきではなく、生かすための知恵が必要だと訴えた。会場は拍手に包まれ、七瀬も驚きと感動で俺を見つめていた。

帰り道、七瀬はぽつりと漏らした。「ありがとう。そして、ごめん。私、ずっと一人で背負い込んでいたんだ」。月明かりの下で、彼女の瞳から涙がこぼれた。俺は彼女を抱きしめた。そして、気づいてしまった。俺は、七瀬を好きになってしまった。だが、これはビジネスだと約束した。この気持ちを伝えれば、すべてが終わってしまう。俺は、その思いを心の奥に閉じ込めることを決めた。

その週の日曜日の朝、スマートフォンが鳴った。「坊太郎、どうしよう。予約システムが全部消えてしまって」。桜旅館に駆けつけると、予約データもバックアップもすべて破損し、決済システムまでもが停止していた。今日、チェックインする客の情報が何もない。親戚たちは七瀬を責め、デジタル化を進めた俺のせいだと詰め寄る。

「もういい加減に気づきなさい。こんな男に頼るのは間違いだったのよ」

だが、俺はもう逃げなかった。「必ず原因を突き止めます。そして、ナナセさんの名誉と、桜旅館の信用を取り戻して見せます」。七瀬も俺の手を握り、「今度は2人で立ち向かおう」と言った。そこへ、40年分の手書きの台帳を抱えた山岸さんたちが現れた。「大切なのは道具じゃなくて、それを使う人の思いなんだって、やっと分かったわ」。全てのスタッフの力を合わせて予約を復旧させ、事態は乗り切った。

調査を進めると、深夜にホテル・ソレイユのIPアドレスからの不正アクセスが見つかった。俺は七瀬と共に、手塚を問い詰めた。彼は激昂し、すべてを認めた。彼はかつて七瀬に見合いを断られた因縁から、桜旅館を買収し、その誇りを踏みにじろうとしていたのだ。警察が介入し、事件は決着した。

数ヶ月後、手塚氏が桜旅館を訪れた。すべてを辞任し、今は町の観光協会で一からやり直しているという。「人の心を置き去りにしていた。祖母のように、一人ひとりの顔が思い浮かぶようなおもてなしを、学び直したい」。そう語る彼に、七瀬は静かに語りかけた。「この温泉街には、まだまだ可能性がある。一緒に、伝統を守りながら新しい価値を作っていきませんか」。

温泉祭りの夕暮れ、色鮮やかな浴衣姿の七瀬がいた。「どうかな?似合う?」。俺は、呆気に取られながら頷く。デジタルスタンプラリーのシステムを確認しながら、俺たちは祭りの喧騒に包まれていた。夜空に花火が打ち上げられ、俺たちは同じ一歩を踏み出した。

祖父から学んだ、丁寧な仕事の積み重ねと誠実な姿勢。時には地味だと笑われても、俺はその姿勢を曲げなかった。その誠実さが、七瀬の心を開き、桜旅館の伝統と革新の架け橋となった。そして、最後には危機を救う決め手にもなった。華々しい成功や派手な実績ではない。ただ、目の前の仕事に真摯に向き合い続けること。その積み重ねこそが、人の心を動かし、確かな信頼を築いていくのだ。

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