会議室に鍵がかけられ、逃げ場はなかった。役員たちは全員、義母の親族だ。私の味方をする者など誰もいない。
「あなたが予約を取り違えて、大切なVIPに迷惑をかけたのよ。この責任は重いわ」
義母は私を問い詰めた。だが、最重要顧客の予約を最終確認するのは、支配人である夫・三彦の仕事だ。私はその電話すら受け取っていない。
「私は本当に何も知りません」
「嘘をつきなさい! この書類に、あなたの印鑑が押してあるじゃない」
差し出された最終確認書には、確かに私の印鑑が押されていた。しかし、私はそんな書類に判を押した覚えがない。
「何かの間違いです。私は……」
「証拠があるのに、まだ白を切るの?」
義母は一方的に私を責め立てた。三彦は何も言わず、ただ傍観しているだけだ。この時、私は何も知らされていなかった。あの日、私は自分の知らないところで、信じられないような罪を着せられようとしていた。
「奥間ホテルの格式を傷つけた罪は重いわ。罰として、あなたの髪を剃り落としなさい」
義母の言葉に、私は凍りついた。
「バリカンで済むんだ。感謝しろ」
三彦はまるで他人事のように言った。私は必死に抵抗したが、数人の親族に体を押さえつけられ、動けなくなった。
「やめてください! お願いします!」
ブーンという機械音と共に、義母の手にしたバリカンが私の頭皮に触れた。髪の毛が床に落ちていく。私は涙が止まらなかった。腰まであった黒髪が、あっという間に消えていった。
こんなことをされなければならない理由が、私にはまったく分からない。
「これは、お前が責任を取るためにやったことだ」
泣き崩れる私の指を三彦が取り、無理やり印鑑を押させた。親族がその様子をスマホで撮影している。
「あなたはもう、ここには必要ないわ」
義母は満足げにそう言うと、ホテルから私を追い出した。無惨な姿で、行く当てもなく街を歩く。何時間歩いただろうか。気がつくと、実家の前に立っていた。
「はるな?」
後ろから、懐かしい母の声がした。私は大粒の涙を流しながら、母の胸に飛び込んだ。
「母さん……ごめんなさい……」
母は何も言わず、私の背中をそっと抱きしめてくれた。
家の中で、私はフードを外し、坊主頭を見せた。それから、三彦との結婚生活のすべてを告白した。
「よく耐えたわね」
母は冷静に言ったが、背中を抱きしめてくれる手が小さく震えていた。
「あとは私に任せなさい」
翌日、母は未来栄光グループの監査チームを招集した。
「うちの精鋭部隊を動かすわ」
「そんなことまでして、大丈夫なの?」
「大丈夫よ。私は奥間ホテルの筆頭株主だからね」
私は驚いた。奥間ホテルは義母が親から受け継いだ100年続く老舗だと思っていた。しかし数年前、廃業の危機に陥った際、再建のため母が買収していたのだという。母は奥間ホテルの40%の株式を保有していた。
「私は娘の髪を剃り落とされたことにも腹が立つけど、長年銭山家がやってきた不正を正す時が来たと思っているの」
監査チームはすぐに動き出し、数日に渡る徹底的な調査が行われた。すると、三彦の不倫と義母による横領行為が次々と浮き彫りになったのだ。
1週間後、三彦と義母の元に緊急取締役会の通知が届いた。
当日、会場には義母をはじめとする親族たちが顔を揃えていた。母が入室すると、全員が眉をひそめた。
「どうして取締役でもないあなたが、ここにいるのかしら?」
義母は嫌味ったらしく言った。母はフードをかぶった私を連れて、ゆっくりと前に進み出た。
「あなたたちの不正の数々を証明するために来たのよ」
母の言葉に、会場が静まり返った。皆、心当たりがあるのだろう。
「今日集まってもらったのは、ここにいる総支配人並びに副支配人の職務停止を決定するためです」
「あなたに、何の権限があってそんなことを言うの?」
「権限ですか? では逆に聞きますが、あなたはどんな権限があって、このホテルで横領を繰り返していたのですか?」
義母は「総支配人なのだから当然」と強気な態度を崩さない。
「娘に何をしたのかしら?」
「仕事ができない嫁がホテルに損害を出した。だから処分したまでのこと。それなのに取締役会まで開いて、私たちを追い出そうっていうの?」
「処分ですか? 髪を剃り落とすことが、正当な処分だと?」
「この能力不足の女が、自分から責任を取ると紙に判を押したんだ」
三彦が口を挟んだ。
「今日、私が来たのは、未来栄光グループの会長としてよ」
母は厳しい目で二人を見下ろした。
「未来栄光グループって、うちの親会社じゃないか。なんで春奈の母親が会長なんだよ?」
三彦はようやく事の重大さに気づき始めた。
母の合図で、会場のモニターに監査チームの調査結果が映し出された。最初に流れたのは、VIPの予約ミスが発生した当時の三彦の行動だ。
あの日、三彦は業務を放り出し、不倫相手と海外旅行に行っていた。航空券の購入履歴も、現地で撮影された写真も、すべてが映し出された。旅行中に予約を受け付けた社員から連絡を受けた三彦は、不倫に夢中で確認を怠り、すでに部屋が埋まっているにも関わらず予約を許可していたのだ。
「こんなの出っち上げだ!」
三彦は騒いだが、証拠は明白だった。
次に母は、ホテルの帳簿を映し出した。義母が取引先への発注や予備費として計上した金額が、実際には使われていないことが判明したのだ。
「あなた、ホストがお好きなようね」
義母はホストクラブに通い詰め、数億円もの資金を注ぎ込んでいた。そのために経費を架空計上し、ホテルの資金を横領していたのだ。
「この損失を、娘の不祥事によるものとして処理しようとしたのね」
呆れたことに、義母が私に濡れ衣を着せて追い出した裏側には、自身の不正を隠蔽する目的があったのだ。
「そんな証拠がどこにあるのよ!」
義母は帳簿のミスだと言い張ったが、母は義母が入れ込んでいたホストの証言を流した。
「洋子さんには長い間ひいきにしてもらってます。誕生日には1000万タワーもしてもらって、本当に嬉しいです」
義母は断るたびにホストに多額の資金を注ぎ込み、そのために自身の株を売却し、それでも足りずにホテルの資金に手を付けていたのだ。
「私は何も悪くないわ。このホテルは私のものよ。資金をどう使おうが、私の勝手でしょう」
「確かに、個人経営のホテルであればあなたに権利があるでしょう。しかし株式会社として上場している以上、その所有権は株主にあるの。総支配人だからと言って、好き勝手に使っていいはずがない」
「俺たちは何も知らなかった。全部、こいつらが勝手にやったことだ」
三彦は親族社員に責任を転嫁しようとしたが、親族たちも一斉に不満を漏らし始めた。
「帳簿の改ざんを命じられたのは、総支配人だ」
「不倫のアリバイを手伝わされた」
これまで義母と三彦が行ってきた悪事の数々が、次々と暴露された。予約の最終確認書類を改ざんしたのも、最初から私を追い出すための計画だったのだ。
「でも、はるなが自分で罪を認めた。これがその証拠だ」
三彦は無理やり押させた書類を見せつけたが、母はモニターに映像を流した。あの日の会議室の防犯カメラの映像だった。
「それは、あなたたちが無理やり押させたのでしょう」
画面には、私が抵抗しながら親族に押さえつけられ、三彦に無理やり指を押し付けられている様子が映し出されていた。
「総支配人並びに副支配人は、今この場で職務停止とします。その上で、調査委員会を設置します」
母は二人の権限を剥奪した。さらに、刑事告訴も辞さないと宣言したのだ。
「ここは私のホテルよ!」
「このホテルは、私の未来栄光グループのものです。あなたが売却した株も、すでに私が購入しているわ。つまり、奥間ホテルの所有権はすでに私にあるのよ」
義母は顔を青ざめさせた。
「あなたたちが不正に受け取っていた金銭に関しては、全額返済を求めます」
「そんな金、払えるわけないだろう!」
三彦が抵抗を見せるが、彼らが不当に受け取った金額は数億円に上る。
「お願い、許してちょうだい!」
義母は母の前で土下座を始めた。その様子を見て、私は無言でフードを取り払い、坊主頭で彼らを見据えた。
「次は、あなたたちが誠意を見せてください」
私は三彦に離婚届を差し出し、不倫の慰謝料を請求すると宣言した。さらに義母にはこれまでの未払い賃金の支払いを要求し、二人に対して精神的苦痛に対する慰謝料を請求した。
「私の髪を剃り落とした件に関しては、障害で刑事告訴します。加担したすべての人に、罪を償ってほしい」
「そんな大げさにしなくてもいいでしょう!」
刑事告訴という言葉に、義母は必死に声をあげた。
「会社からの横領金を全額返済しなければ、こちらも刑事告訴します。覚悟しておいてください」
ホテルを奪われ、実家も手放すことになる義母にお金を貸してくれる銀行はないだろう。結果的に、二人は刑事告訴されることになった。
「待って。そんなことをされたら、銭山家はどうなるのよ!」
「自業自得じゃないですか」
「本日をもって、銭山洋子及び三彦の両名と親族社員一同を、未来栄光グループが関与する全世界のホテル・商業施設・金融ネットワークから永久追放します」
母の最後通告に、三彦と義母、そして親族一同はその場に崩れ落ちた。
その後、母は記者会見を開き、奥間ホテルの不正を告白し、特別調査委員会の設置を宣言した。二人からの横領金の返済はなく、母は刑事告訴に踏み切った。
数日後、三彦と義母は業務上横領と特別背任の罪に加え、私への傷害罪も加わり逮捕された。警察の取り調べでも、義母は「自分のホテルで何をしようが私の自由」と言い張っていたらしい。その後の裁判で、二人には重い実刑判決が下され、財産はすべて差し押さえられた。
同時に行われた民事裁判では、私に対する慰謝料と損害賠償の支払いが命じられ、二人は多額の借金を背負うこととなった。
奥間ホテルは未来栄光グループの直営となり、新しい経営体制で再生に向かった。私は三彦との離婚を成立させ、母の元で秘書として働きながら経営を学んだ。
そして今日、母の支援を受け、私は新しいホスピタリティブランドの代表に就任した。
ベリーショートの髪型も、悪くない。そう思えるようになったのは、すべて母のおかげだ。



