バックミラーに映った乗客の顔を見て、太地は息が止まった。それは、まるで自分がそこに立っているかのような、あまりにもそっくりな顔だった。目元の角度、鼻の高さ、唇の厚み、左の眉の上にある小さなほくろまで、すべてが同じ。バスを降りようとしていた智也も、運転席の男の顔を見て足を止めた。お互いに、自分自身を見ているような錯覚に陥っていた。
「あの、すみません。どこかでお会いしましたか?」
智也の声は震えていた。太地もハンドルから手を離し、ゆっくりと振り返った。間近で見た相手の顔は、鏡を見ているようだった。
「ええ、生まれてからずっと横浜ですが……あなたは?」
「ここではありません。もしかして、お誕生日は?」
「1975年7月3日ですが。」
「僕もです。午前8時15分生まれです。」
二人は言葉を失った。同じ日に、同じ時間に生まれた、瓜二つの男。偶然にしては、出来すぎている。
数日後、智也は図書館の資料室で1975年の新聞を調べていた。自分の生まれた日の翌日、7月4日付けの神奈川新聞に、小さな記事を見つけた。『西区の婦人科医院で4人の新生児保護される 養子縁組施設への委託中に発覚 警察が捜査』。智也はすぐに太地に電話をかけた。
「太さん、今すぐ図書館に来てください。僕たち、双子じゃない。四つ子です。」
その情報はネットに投稿され、瞬く間に広がった。同じ日に同じ時間に生まれた、同じ顔の男たちの写真。それを見た臨床検査士の正人は、自分の顔と見比べて驚愕した。そして、児童養護施設で働くより奈も、子供たちが見せてくれた画面に映る3人の男たちの顔に見覚えがあった。自分の顔とそっくりだった。
4人は横浜駅近くの喫茶店で初めて顔を合わせた。信じられない思いで、お互いの顔を見つめ合った。
「DNA鑑定をしよう。僕の病院でできる。結果は1週間だ。」
正人の提案に、全員が頷いた。そして、なぜ自分たちは離れ離れにされたのか。その理由を探すことを誓った。手がかりは、新聞に載っていた『銀の家』という児童養護施設と、そこにいたという久保委員長だけだった。
1週間後、病院の相談室。4人はテーブルの上に置かれた白い封筒をじっと見つめていた。正人が震える手で封筒を破り、結果を読み上げた。
「遺伝的一致率99. 9%。4人全員、同一の両親の子供であることを確認。二卵性四つ子。」
より奈が真っ先に泣き出した。本当に家族だったんだ。49年間も知らずに生きてきた家族が、今ここにいる。太地の目も潤んでいた。智也の声も、落ち着いてはいたが、わずかに震えていた。
「でも、どうして……どうして私たちを離れ離れにしたんでしょう?」
より奈の問いに、誰も答えられなかった。
数日後、市の保険資料室で、4人は『銀の家』の資料とともに、4つの銀のネックレスを見つけた。ペンダントの内側には、全てに「Y」の文字が刻まれていた。そして、メモ用紙には『1975年7月3日 保護 4名 夜間保管 外部要請』と書かれていた。
「これからどうする?」正人が尋ねた。
「探すんだ。」太地が拳を握った。「なぜ俺たちを捨てたのか。それくらいは知る権利がある。」
4人はネックレスをそれぞれ一つずつ首にかけた。49年ぶりに、本来の持ち主のもとへ戻ったそれらは、ほのかに光っているように見えた。
翌日、4人はかつて『銀の家』があった場所を訪れた。だが、そこには大型スーパーが建っており、面影は皆無だった。近くの古い商店で聞き込みをすると、店のおばあさんが言った。
「ああ、銀の家なら、久保先生が西母療養院にいらっしゃるよ。」
久保元委員長は、車椅子に座っていた。老いが深く刻まれているが、その目はまだ力強く輝いていた。4人の顔を見た瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
「1975年7月……あの四つ子か。よくぞ無事で。」
「覚えていらっしゃるんですか? なぜ私たちは離れ離れに?」
智也の問いに、久保は深いため息をついた。
「真夜中に、雨に濡れて運び込まれてきた4人の赤ん坊じゃった。そして、毎晩窓辺で泣いておった、あの若い女性。白石さゆりという名じゃった。金持ちのお嬢さんで、その後もこっそりと施設にお見舞いを送り続けておった。」
白石さゆり。それが、彼らの母親の名前だった。
その後、弁護士の渡辺大輔という男が4人の前に現れた。彼は、白石さゆりが現在、SY財団の理事長を務めていることを告げた。彼女の父親は、1970年代に横浜経済を牛耳っていた財閥の大物だった。
「なぜ、あんな家柄の娘が、私たちを捨てたんだ?」
太地の問いに、渡辺は古い新聞記事を差し出した。1975年7月11日付けの小さな記事。『白石会長の令嬢、米国留学を延期』。
「おそらく、白石さゆりさんは、あなたたちを産んだ後、どこかに監禁されていた可能性が高い。当時の財閥家では、家の恥を隠すために、そういったことがありました。」
4人は衝撃を受けた。そして、義理の母と子を装っていた白石さゆりの、長い沈黙の理由に思い当たった。彼女は8年間、公式の場から姿を消していた。消えていたのではなく、閉じ込められていたのだ。
白石さゆりの作品展が、横浜美術館で開かれた。4人は渡辺弁護士の助言に従い、彼女の絵を注意深く見た。『記憶の壁』と題された絵には、4つの円が重なり合い、銀色の線が蜘蛛の巣のように繋がっていた。絵の隅には、小さな「Y」の文字が刻まれていた。別の絵には、4つの月が異なる高さに浮かんでいた。古いノートには、こう書かれていた。
『4つの月はいつか出会うだろう。それぞれが違う空に浮かんでいても、同じ光を浴びているのだから。』
それは、彼女が4人の子供たちを想い、描き続けた絵だった。
翌日、展覧会の会場で、作家との対話イベントが開かれた。4人は最前列に並んで座り、白石さゆりが舞台に上がるのを見つめた。彼女は黒いドレスに、銀のネックレスをつけていた。それは、彼らが持っているものと同じデザインだった。サイン会で、ついに4人の番が来た。
智也がサイン帳を差し出すと、白石さゆりはペンを握ったまま固まった。
「あなた……あなたは……」
太地が智也の隣に立ち、正人とより奈も並んだ。すると、白石さゆりの顔色が一変し、ペンが手から滑り落ちた。
「あなたたち……本当に、あなたたちなの?」
4人はネックレスを取り出して見せた。白石さゆりは涙を流し、リップルームへと案内した。4人は問い詰めた。
「なぜ? なぜ私たちを捨てたんですか?」
「捨てたんじゃない……守ろうとしたの。」白石さゆりは首を横に振った。「お父様が、4つ子は家の恥だから始末しろと……未婚の母であることも許せないと。私は加藤委員長に土下座して、この子たちだけは助けてくださいと頼んだの。そして、毎晩こっそり施設に行って、窓の外からあなたたちを見ていた。」
「その後は? なぜ探さなかったんですか?」
「お父様に、精神病院に入れられたの。8年間。4つ子を産んだこと自体が妄想で、精神異常だと言われて……薬物治療に、電気ショックまで。病院から出た時には、あなたたちはもう、バラバラに養子に出された後だった。」
4人は衝撃で言葉を失った。そして、より奈が最初に口を開いた。
「お母さん……」
その一言で、白石さゆりは崩れ落ちた。49年ぶりに聞く、その呼び名だった。
翌日、白石さゆりの娘と息子が現れた。異母兄弟の尚と順也だ。彼らは冷たく言い放った。
「これは完璧な詐欺ですね。お母様の財産を狙ってるんでしょう。」
白石さゆりはDNA鑑定の結果を示したが、尚は信じなかった。マスコミがこの事実を嗅ぎつけ、4人は職場で孤立し始めた。白石家は接近禁止の仮処分申請書を出し、裁判でもDNA鑑定は法的効力がないとされ、訴えは棄却された。
「どうして……こんなことが許されるんだ。」
絶望に暮れる4人。しかしその夜、医院から白石さゆりの容体が急変したとの知らせが入った。病院のロビーには警備員が立ち、家族以外は立ち入り禁止とされた。
「私たちも家族です! 子供なんです!」
より奈が叫んでも、無駄だった。尚が現れ、冷たく言い放った。
「母は、もう長くないそうです。でも、あなたたちはいれません。これが現実です。」
夜の病院の廊下。4人は呆然と座り込んでいた。そこへ、一人の看護師がこっそりと近づいてきて、小さなメモを渡した。
「白石さんが、意識がある時に……これを渡してほしいと。」
メモには、震える文字でこう書かれていた。
『ごめんなさい。愛しています。諦めないで。真実は必ず明らかになるから。お母さんより』
「お母さん……!」
太地が涙を拭い、立ち上がった。
「お母さんが諦めるなって言ってるんだ。まだ、やれることがあるはずだ。」
智也は図書館へ走った。そして、資料室で、箱の底に隠されていた古いカセットテープを見つけた。ラベルには『加藤啓介元委員長 最後の証言 2001年8月15日』と書かれていた。テープを再生すると、雑音混じりの老人の声が流れた。
「私はもうすぐ死ぬ人間です。だから、この証言を残します。1975年7月3日の夜、白石大造会長が自ら病院にやってきました。娘のさゆりさんを連れて。そして、『4つ子は家の恥だ。始末しろ』と言ったのです。しかし、さゆりさんは違いました。『死んでもいいから、この子たちだけは助けてください』と泣き叫びました。結局、私が子供たちを取り上げ、銀の家に送りました。さゆりさんは、銀のネックレスを4つ握らせて、言いました。『Yは、縁のYです。いつか、私たちがまた会えるように』と。」
智也の目から涙が溢れた。そして、病院からの電話が鳴った。白石さゆりの容体が、さらに急速に悪化しているという。
集中治療室の前は騒然としていた。尚が医師と議論し、順也は呆然と立ち尽くしていた。そこへ智也がカセットプレイヤーを掲げて現れた。
「聞いてください! どうか、これを聞いてください!」
尚が警備員に目配せしたが、順也が止めた。
「姉さん、待って。聞いてみよう。」
智也が再生ボタンを押すと、加藤元委員長の声が病院の廊下に響き渡った。
「白石大造会長は、子供たちを始末しろと言った。しかし、さゆりさんは……そうでなければ自分が死ぬと……だから私は、こっそりと子供たちを銀の家へ送ったのです。そして、さゆりさんは精神病院へ連れて行かれました。8年間も……」
「お祖父様が……お父様が、そんなことを……」
尚の顔が青ざめた。その瞬間、集中治療室から看護師が飛び出してきた。
「患者さんが目を覚ましました! 誰かを探しています!」
尚は涙を浮かべ、4人を見つめた。
「入って。早く。」
4人が集中治療室に入ると、白石さゆりが酸素マスクをつけたまま、こちらの顔を見ていた。
「お母さん……」
より奈が彼女の手を握った。白石さゆりは、かすかに微笑んだ。
「あなたたち……諦めなかったのね。」
「加藤委員長の証言です。もうみんな真実を知りました。」
「許してくれる? 49年も遅れたのに。」
4人は同時に頷いた。
「もう大丈夫だよ。俺たちがいるから。」
その時、尚と順也も病室にやってきた。
「お母様、ごめんなさい。私たちが知るのが遅すぎました。」
白石さゆりは、6人の子供たちを見つめ、微笑んだ。
「これで……これでやっと、完全になったわね。私の家族が。」
その後、白石さゆりは奇跡的に回復した。尚は記者会見を開き、全ての真実を明らかにした。そして、SY財団として、離婚した母とその子供たちを支援する基金『Y基金』を設立することを発表した。より奈は『銀の家』の再建を、太地は施設の子供たちのための無料の通学バス運行を、正人は無料のDNA鑑定と健康診断の支援を、それぞれ宣言した。
1年後、鎌倉の海岸。4人は並んで立っていた。それぞれの首には、銀のネックレスが輝いている。そこへ、白石さゆりが尚と順也と共に歩いてきた。
「今日は、銀の家の再開式でしょう?」
白石さゆりは、海を見ながら言った。
「Yは、縁であり、繋がりであり、許しだった。でも、今は新しい意味を持つようになったわ。」
「何ですか?」太地が尋ねた。
「希望よ。」
8人の家族が手をつないだ。長い影が砂浜に伸びていた。49年の歳月を超えて、4つのYは、今、完全に一つの星座となっていた。



