「君が乗る車はあっちだよ」—…

「君が乗る車はあっちだよ」—...

「君が乗る車はあっちだよ」

そう言って淳が指さしたのは、母の彼氏・銀介が運転してきたベンツだった。私は困惑しながらも、その日、母の借金を返すための究極の二択を迫られていた。54歳の淳と結婚するか、夜の店で働くか。どちらも選びたくなかったが、母の命令は絶対で、幼い頃から支配されて生きてきた私に拒否権などなかった。

私は、母より年上の淳を選んだ。

同居を始める日、母は「貧乏人に会うあんたを見送る必要はないわ」と言い放ち、買い物に出かけてしまった。実の娘が旅立つというのに、寂しさも見せない母に不審感が湧き上がる。しばらくして、淳が古い軽自動車で迎えに来てくれた。しかし、なぜかその後ろにベンツが停まっている。運転しているのは、母の交際相手である銀介だった。

一体、どういうことだろう。不思議に思いながら軽自動車に乗り込もうとした瞬間、淳が言ったのだ。

「僕の本当の車はあっち」

その直後、ベンツから降りてきた銀介がキーを淳に手渡した。淳は私の手を引き、ベンツの助手席へエスコートしてくれた。銀介は軽自動車に乗り、そのまま去っていった。

「どういうこと?」

「これまで君には秘密にしてたけど」

淳は自分の正体を明かしてくれた。私は28歳、役場で非常勤職員として働いている。幼い頃から母と二人暮らしだった。母はとても厳しい人で、自分の思い通りにならないことが許せない。私が着る服も、食べるものさえ、決定権はすべて母にあった。母の意向に沿わないことをすれば、容赦なく暴言が飛んだ。ひどい時には物置に閉じ込められ、数日間放置されたこともあった。母に逆らうことは、私にとって命取りなのだ。それを小学生になる頃には身をもって理解していた。

母の徹底した管理下に置かれた私は、自分で何かを決めることができなかった。「あんたは私なしでは何もできない」と母は繰り返し言い放ち、私の心を支配していった。小学生になって友達に遊びに誘われても、母がダメと言えば遊びに行けない。テレビも制限され、自分自身の価値観を養うことさえできなかった。中学生になっても、高校生になっても、母の束縛は続き、私はまるで母の人形のような生活を送っていた。今思えば異常な生活だった。しかし、当時の私は、母が法律だと思い込んでいた。

学校が終わればまっすぐ家に帰り、外部との交流の機会も与えられない。母が不在の時には、玄関のインターホンに応じることも禁じられていた。高校を卒業した後も、母の言いつけで地元の役場に非正規職員として勤めることになったが、日常は何も変わらない。家と職場の往復ばかり。同僚に食事に誘われても、週末に買い物に誘われても、母は私のプライベートな外出を認めなかった。次第に誰も私を誘ってこなくなり、仕事に必要なこと以外、話してもくれなくなった。

母が絶対的な女王で、私が奴隷。そんな現状を素直に受け止めていた。しかし、心のどこかでは自由になりたいと願っていた。外に遊びに行けない私の唯一の楽しみは、子供の頃に母が買ってくれた絵本を読むことだった。絵本の世界の自由なお姫様に、私もなりたいと思っていた。母は「物語と現実は違うのよ」と鼻で笑い、私の気持ちに蓋をした。それでも、いつか私を自由にしてくれる王子様が現れるのではないかと、密かに期待していた。

しかし、何年経っても王子様は現れなかった。それどころか、毎月の給与はすべて母に没収されてしまう。「お金は人を狂わせるわ。だからあんたのお金は私がしっかり管理しておくわね」と言う母。実際は、母は仕事もしていないのに高級ブランドを買い漁り、浪費を繰り返していた。早くに夫を亡くした寂しさを埋めるためだと言うが、父がまだ生きていた頃から、母の浪費はひどかった。父は私が5歳の時に突然いなくなった。亡くなったと聞かされたのは小学生になってからだ。家の中には父の遺品どころか、写真も残っていない。思い出すのが辛いからと、母がすべて処分してしまったのだ。唯一覚えている父の記憶は、私の頭を撫でてくれた手が大きかったことだけだった。

父が亡くなってからの生活は悲惨だった。母は仕事に出ることを嫌がり、生活に困るとどこからか借金をしてくる。取り立てに遭うと、また別のところで借金をし、雪だるま式に膨らんでいった。最近では正規の金融機関から相手にされなくなり、悪質な闇金業者にまで手を出していた。そのため、自宅には連日のように素性の悪い男たちが現れて、厳しい取り立てを行っていた。夜になっても部屋の電気をつけず、息を殺してやり過ごす。男たちが諦めて帰るまで、それが毎日続くのだった。

「大丈夫よ。いざとなれば、あんたが夜の店で働いて借金を返せばいい」

母にとって、私は道具でしかなかった。しかし、私に反論することなど許されていなかった。

そんな中、母は一発逆転を狙えると、張り切ってお見合いパーティーに参加すると言い出した。費用は男性のみが負担するもので、女性は無料で参加できるらしい。「玉の輿に乗れたら、こんな生活とはおさらばよ」と。当日、母は目一杯おしゃれをして出かけていったが、正直なところ、母が誰かと再婚することなど私にはどうでも良かった。母が誰と一緒になっても、私の生活は何も変わらない。これまでだってそうだった。父が亡くなってから何度か、母が新しい父親だと男性を連れて帰ってきたが、皆、母の浪費癖に呆れてすぐに去っていった。その度に「あんたの愛想が悪いからだ」と罵られ、母の機嫌が治るまで暴力を振るわれた。今度だってきっと同じことになる。そう確信していた。

お見合いパーティーから帰ってきた母は、いつにも増して上機嫌だった。

「本物の資産家を見つけたわ」

母は54歳の淳という男性と出会ったと、嬉しそうに話す。「あの落ち着いた物腰、洗練された佇まい。間違いなく金持ちしか持たない気品よ」と。母は淳に資産家の気配を感じ取り、他の女性を押しのけて猛烈にアタックしたらしい。その甲斐あって、淳と交際することになったのだとか。「これで私の将来も安泰よ」と自慢げに語る母だったが、期待などできない。母の再婚など実現するはずがないのだ。

数日後の初デートの日、母は入念に準備をし、淳が迎えに来るのを待っていた。約束の時間にインターホンが鳴り、嬉しそうに出かけた母だが、数時間後に帰ってきた時には不機嫌な様子だった。

「とんだ食わせ者だったわ。あれのどこが資産家よ」

「何かあったの?」

「全部嘘だったわ」

母が言うには、この日淳は古い軽自動車で迎えに来たらしい。不倫の恋人を自慢しようと友人や知人を呼んでいた母は、恥をかかされたのだ。それでも淳がお金持ちだと信じてデートに出かけた。しかし、昼食に訪れた店は低価格の大衆食堂で、支払いの時、淳が出した財布はどこにでも売っている安物だった。不審に思った母が「ベンツはどうしたの?」と尋ねると、淳は「パーティーでの高級品は、あの時の銀介さんから借りたものなんだ」と笑ったそうだ。さらに淳は住まいを持たず、普段は車中泊することが多いと告白した。家もないくせに資産家を装うなんてありえないわ。淳に星空を見に行こうと言われ、ドライブに付き合った母だが、お金もない彼に嫌気がさしたらしい。「もう耐えられない」と一人だけ車を降りて、家に帰ってきたのだ。

「底辺の貧乏人が厚かましいのよ」

母は淳を見限り、交際をなかったことにするという。「でも待って。ああいう手の貧乏人は、下手に捨てるとストーカーになるかもしれない」と母はブツブツつぶやきながら、私の方を見た。

「あんたが淳と交際しなさい」

驚いたことに、母は私に淳を押し付けてきたのだ。いくらなんでも、母親よりも年上の淳と交際するなど無理がある。「大丈夫よ。男なんてみんな若い女が好きだから。あの貧乏人だって、あんたが交際すると言えば、喜んで飛びついてくるわ」と母は言う。母の命令は絶対だと分かっていても、いつものように「わかった」とは言えなかった。いくら世間を知らない私でも、好きでもない相手と交際することなど考えられなかった。しかも、母親よりも年上の男性で、とても仲良くなれるとは思えなかった。しかし、母は私の気持ちなどお構いなしに、迫ってきた。

「夜の店で働くか、貧乏人と交際するか、どっちを選ぶの?」

強く迫られ、私に逃げ場はなかった。人とのコミュニケーションも取れない私が、夜の店で通用するとは思えなかった。私に選択肢などなかったのだ。

「……交際します」

俯いたまま、私は交際を承諾した。

「これで安心ね。私は、あいつが高級品を借りたっていう銀介さんを紹介してもらうわ」

私に淳を押し付けた母は、彼が高級品を借りたという村田銀介に狙いを定め、紹介させるという。

「若い上にお金持ちだなんて、最高じゃない」

母は30代で実業家の銀介に、ふさわしい男だと確信しているようだ。数日後、母は「娘があんたを気に入ったから」と淳に私を紹介し、身を引く代わりに銀介の連絡先を手に入れた。

「僕のどこが気に入ったの?」

「あの……その……」

淳に「母に押し付けられた」とは言えるはずもなく、私は言葉に詰まってしまった。

「明美さんに、俺と結婚しろって言われたんだろ?」

「え? え、そんなこと……」

「ごまかさなくていいよ。君たち親子のことは、ある程度把握しているつもりだ」

淳は、交際を始める前から母の身辺調査を行っていたのだとか。その中で、私という娘がいることも、母の監視下に置かれた自由のない生活を送っていることも知っていたそうだ。

「私、母がいないと何もできないから……」

「それは違うよ。みんな迷いながら、つまづきながらも、自分で決断して生きているんだ。君だって例外じゃない」

淳が何を言いたいのか分からなかった。子供の頃から世間との距離を置いて生きてきた私が、他の人のようにできるはずがない。

「僕が君を自由にしてあげよう」

淳の言葉は、まるで本に出てくる魔法使いのようで、私は嬉しくなった。

「自由になっていいの?」

「もちろん。もう母親に支配されていてはダメだよ」

淳は、私の境遇を受け入れ、自分の人生を生きろと励ましてくれた。

それからというもの、私は淳に会うことが楽しみになった。淳は母のように高圧的な態度を取らない。食事に行く時も、買い物に行っても、「何がいい?」と私に問いかけ、私の意思を尊重してくれる。「私が私でいい」そう思わせてくれる淳に、私は惹かれていった。淳とのデートだけは、母も文句を言わなかった。自由に外に出かけられる喜びを感じ、淳のおかげでおしゃれすることも覚えた。これまで感じたことのない充足感と温かい気持ちに包まれ、私の世界は明るく開けた。

ある日、いつものように淳とデートに出かけた時のこと。

「ママから、離れたい」

この時初めて、私は淳に自分から気持ちを打ち明けた。それまでの人生を振り返り、母の人形のような生活を終わりにしたいと思ったのだ。しかし、同時にそれが無理なことも分かっていた。母は何があっても私を離さない。それが愛情ではないと分かっていても、金銭的な自由も精神的な自由も奪われている私には、どうすることもできないのだ。

「それなら、僕と結婚しよう。そうすれば君は自由になれる」

結婚して母から解放された後は、自分の好きな人生を歩めばいいと言ってくれる淳の気持ちに、私は涙が溢れた。これまで生きてきた中で、これほどまでに私のことを思ってくれた人などいない。

「結婚したい。淳さんと一緒にいたい」

私は淳と一緒に生きていく人生を選んだ。

その日、家に帰った私は母に結婚の報告をした。

「ちょうど良かったわ。私は銀介君と結婚することになったのよ」

なんと母は、銀介と結婚することになったらしい。母は上機嫌で、私の結婚を認めた。

「銀介の財産は私のものよ。迷惑だから、二度と近づかないでね」

そう言い放つ母に、どこか寂しさを感じたが、それでも淳と結婚できると思うと、私は胸を撫で下ろしていた。

数日後、淳と同居を始める日、母は「貧乏人にとあんたの見送りなんて必要ないわね」と言い、買い物に出かけてしまった。実の娘が旅立つというのに、寂しさすら感じていない母に腹が立った。しかし、母の身勝手さに付き合うのも最後だと思い、私は笑顔で見送った。しばらくして、淳が軽自動車に乗って迎えに来てくれた。よく見ると、淳の車の後ろにはベンツが停まっている。ベンツを運転しているのは銀介だった。母は買い物に出かけてしまったというのに、なぜ銀介が一緒なのか不思議に思いながら、軽自動車の助手席に乗り込もうとした、その時。

「君が乗る車はあっちだよ」

淳はベンツを指さした。

「君が乗る車はあっちだよ」

「僕の本当の車はあっち」

その直後、ベンツから降りてきた銀介がキーを淳に手渡した。キーを受け取った淳は、私の手を引き、ベンツの助手席へエスコートしてくれた。銀介は軽自動車に乗り、そのまま去っていった。

「どういうこと?」

「これまで君には秘密にしてたけど……」

淳は自分の正体を明かしてくれた。淳は元大手銀行の役員で、引退後は企業コンサルタントや投資家として活躍しているという。

「曽根って名前、見たことない?」

「え、まさか……あの曽根?」

曽根は、何冊ものベストセラーを生み出している有名作家で、知らない人はいないほど有名な人物だった。その曽根が、淳本人だというのだ。淳は、富を築き上げた成功者だった。

「だけど、それじゃあどうして車中泊なんか……」

「金持ちだと思われないように、そう見せかけていたんだよ」

淳は、金目当てで近づいてくる人間を排除するため、あえて貧乏人を演じていたという。デートの度に乗っていた軽自動車は、実は銀介のものだった。淳は、他にも複数の車を所持しているそうだ。

「それじゃあ、銀介さんは?」

「彼はフリーターだよ」

銀介は淳の舎弟であることに間違いはないが、資産家などではなく、フリーターをしながら売れない同人作家をしているという。銀介は、母とのデートのたびに淳から高級品を借りて、資産家を装っていたのだとか。

「どうして、そんなことを?」

「その方が、明美さんも喜ぶと思ってね」

淳は思わせぶりに含み笑いを浮かべ、車を走らせた。しばらくして、淳が運転するベンツは豪邸の前に停車した。ヘリポートまで完備された広大な敷地の門が開き、その先には大勢の使用人たちが待ち構えている。

「今日からここが君の家だ」

淳に促されて中に入ると、使用人たちが「お待ちしておりました、奥様」と出迎えてくれた。まるでシンデレラにでもなったかのようだ。身の回りのことはすべて使用人が行ってくれる。淳と二人の優雅な時間が流れる。

「ここでは誰にも遠慮する必要はない。君がやりたいことを、やりたいようにすればいい」

淳は私を自由にしてくれた、本物の王子様だった。想像もしていなかった現実に、私は満たされた気持ちでいっぱいになった。

その週末、淳がドライブに行こうと誘ってきた。なんでも淳のお気に入りの場所があるという。

「どんなところか、楽しみだわ」

車に乗り込み、他愛もない話をしながらドライブを楽しんでいると、いつの間にかすっかり暗くなっていた。

「目をつぶって、僕についてきて」

郊外にある高台に車を停めた淳は、私の手を引き、ゆっくりと歩き始めた。

「ちょっと怖い……」

「大丈夫。僕がちゃんと支えているからね」

淳を信じていくと、数分後、「ここで止まって」と声が聞こえた。

「目を開けて、上を見上げてごらん」

目の前には、無数の星が輝いていた。

「すごい……綺麗」

都会では見られない一面の星空に、私は感動した。

「都会の夜景より、星空の方が好きだって明美さんにも説明したんだけどね」

母は、綺麗な景色よりもお金が大事な人だ。淳と星空を眺めていると、絵本の世界に飛び込んだような感覚に襲われた。

「星たちは、何万年も昔から僕たちを見守ってくれているんだ」

淳が語る星の物語は、とても素敵な話で、私はすっかり魅了されてしまった。

「この星たちのように、私も誰かの光になりたい」

「なれるよ。というか、もうなってる。君は僕の光だ。自信を持っていい」

淳の言葉が、なんだかくすぐったい。それでも、私を励ましてくれることが、とても嬉しかった。二人でしっかりと手をつなぎ、星を眺めていると、自然と力が湧いてくる。私のことを心から愛してくれている淳に感謝しながら、幸せを噛みしめていた。

しかし、運命はそう簡単に変わらないのかもしれない。数日後、私の職場に素性の悪い男たちが現れた。男たちは「母の借金を返せ」と私に嫌がらせをしに来たのだ。私がいくら「母とはもう関係ない」と言っても、男たちは帰ろうとしない。困り果てた私は、淳に連絡を取った。すると数分後、淳が顧問弁護士を引き連れて職場に来てくれた。

「彼女の母親の借金を、娘だからといって請求することはできない。それに、そもそも出資法違反のあんたたちに、支払う義務もない」

淳は元行員の知識を駆使して、男たちを断罪した。しかし、男たちも引くわけにはいかないと必死に抵抗を見せた。聞けば、母は音信不通になって姿を消したらしい。

「そうであっても、彼女に請求することは違法だ」

弁護士も加わり、「その場で警察を呼ぶ」と告げられた男たちは、苦虫を噛み潰したような表情で役場を後にした。それ以来、男たちが私を尋ねてくることはなくなった。淳は、母の借金からも私を解放してくれたのだ。

「本当にありがとう」

「大切な妻を守るのは当然のことだ」

淳の言葉に、胸が熱くなる。

「だけど、母はどうして姿を消したのかしら……」

「そうするしかなかったってところかな」

淳の話では、母は冴えない銀介と結婚したのだが、入籍直後に家賃滞納でアパートを追い出されたらしい。そこで初めて銀介が無一文であることを知った母だったが、銀介に逃げられ、借金取りから逃げ回る生活を送っているのだとか。

「まさか、最初からそうなることが分かってて、銀介さんのところに母をやったの?」

「俺はただ紹介しただけだよ」

淳から母の話を聞いた銀介は、「是非、俺に紹介してくれ」と食いついてきたらしい。銀介は根っからの熟女好きだったのだ。淳は母の強欲ぶりを確信した上で、銀介の願いを叶えるふりをして母を紹介したのだとか。そして、母が銀介を資産家だと思い込むように、彼に高級品を貸し、金持ちであることを匂わせたのだ。そうとも知らず、母は淳の罠にはまり、銀介との結婚を選んだのである。

アパートを追い出された後の二人は、また別のアパートに移り住んだようだが、その度に借金取りに特定され、激しい取り立てに遭ったらしい。何度も夜逃げ同然で、住居を転々としながら暮らしているのだとか。

「あの人には、いいお灸になったわね」

「君なら、そう言ってくれると思ったよ」

もしかしたら、淳は私のために、母に制裁を与えてくれたのかもしれない。そう思うと、余計に胸が熱くなる。

それからというもの、私は淳と二人で穏やかに暮らした。少しずつ自信を取り戻した私は、職場でも同僚たちと話ができるようになり、時には一緒に飲みに行くようにもなった。周囲の人からは「結婚して明るくなったね」と言われ、自然と笑顔がこぼれる。淳は私の心を自由にしてくれた。私自身を変えてくれた。そのことが何よりも嬉しくて仕方がない。一人の女性として、人間として、自分の人生を歩き出した私を、全ての人が祝福してくれているようで、充実した日々を送っていた。

しかし、母の呪縛はそう簡単に解けないようだ。淳と結婚して半年が過ぎた頃、自宅に母と銀介が現れた。ボロボロの姿で、インターホン越しに「助けてくれ」と叫んでいる。仕方なく玄関を開けると、母は私に「金を出せ」と迫ってきた。

「どうして私が。二人の借金は私には関係ないわ」

「親を助けるのは当然だわ。グダグダ言ってないで、さっさとお金を出しなさい」

身勝手に詰め寄ってくる母に嫌気がさした私は、無言でスマートフォンを取り出し、録音していた音声を流した。近所にも聞こえるほどの大音量で、「二度と近づかないで」という母の声が響き渡る。

「お母さんの言った通りにします」

私は資金援助を拒否した。

「待ちなさいよ。元を言えば、淳は私と結婚するはずだったのよ。金を出さないなら、淳を私に返しなさい」

母はまたも自分勝手な主張を繰り返した。その横で、銀介は「俺を捨てないで」と母にしがみついている。

「いいえ、淳は私の夫です。あなたに渡すつもりはありません」

私ははっきりと宣言した。そこに、淳がやってきた。

「あんたに、俺の妻の前に立つ資格はない」

淳はそう言い放ち、二人を玄関の外へと追いやった。そこへ、タイミング良く黒塗りのセダンが停車した。車内からは、素性の悪い男性が複数人降りてくる。

「どうしてここが分かったの?」

母は焦った様子で男たちから逃げようとしたが、周囲を取り囲まれ、身動きが取れなくなっていた。どうやら男たちは、闇金業者のようだ。

「私たちの居場所なんて、どうやって調べたのよ」

母は新しい家に引っ越しても住所変更を行わず、取り立ての目をごまかしていた。しかし、銀介が母に罵られる様子を、熟女好きコミュニティにライブ配信していたのだ。その様子はSNSで拡散され、二人の居場所は闇金業者にも筒抜けだったのである。この日も、闇金業者は母たちを拉致しに来たそうだ。

「なんだって、そんな勝手なことしたのよ」

母は銀介に激しく詰め寄っていたが、闇金業者に睨まれ、小さくなっている。

「お金なら、この家から取りなさいよ。ここには、捨てるほどあるわ」

母は「身内だ」と主張し、私からお金を回収するよう闇金業者に訴えたが、法的に潰されたくない男たちは、淳にも私にも見向きもしなかった。

「ちょっと、助けなさいよ」

母は私に命令した。しかし、闇金業者が関わってこない以上、私たちが口を出す必要もない。

「午後から講演会があるんだ」

「それなら、急いで向かいましょう」

私たちは自家用ヘリに乗り込み、母と銀介を置き去りにしたまま飛び立った。地上では、母と銀介がセダンに押し込まれているのが見えた。

後から分かったことだが、母の借金は高額の利子で膨れ上がり、もはや返済不可能な額に達していたらしい。闇金業者から解放された母は、なんとか収入を得ようと夜の店で働こうと考えたようだが、どの店からも「需要がない」と断られ、最終的には過酷な肉体労働をすることになったのだとか。しかし、ようやく手に入れたわずかなお金は、借金を返す前に銀介が持ち逃げしたらしい。銀介は母のお金を手に、SNSで知り合った別の高齢女性と共に姿を消したそうだ。それでも、闇金業者の監視下に置かれていた母は、過酷な肉体労働から逃げられず、泣きながら働いているのだとか。これまで散々自分勝手に生きてきた代償だと思い、せいぜい頑張って欲しいものだ。

その後、私は淳の妻として、そして仕事のパートナーとして、金融やホームの知識を学び、精神的な自立を果たした。今は役場も辞め、淳の秘書として行動を共にしている。淳と活動していると、かつての私と同じように親に縛られて苦しんでいる人がたくさんいることに驚かされた。

「同じ境遇の人を助けられるようなことがしたい」

「それなら、基金を設立するっていうのはどうだい?」

淳のアドバイスを受け、私は同じ苦しみを持つ人々を救済するための基金を設立した。その上で、役場時代の知識を生かし、福祉との連携を図りながら、親から独立する支援を行うことにしたのだ。

ホームページには、毎日のように相談のメールが送られてくる。その中には、親に監禁されているという緊急を要するものも少なくない。警察と連携しながら、一つ一つの事案に対応し、一時的に避難できるシェルターも作った。「誰かの光になりたい」。私は夢を叶えたのだ。

ある日、私は淳と高台を訪れた。星空を眺めながら、これまでを振り返る。

「あなたのおかげで、私の人生が救われた。本当にありがとう」

私は深い感謝を伝えた。

「全て君の努力の賜物だよ。俺こそ、一緒になってくれてありがとう」

淳は変わらず、私のことを愛してくれている。

「実はね……私、お腹に第一子を授かったの」

淳は驚きながらも、満面の笑顔で喜んでくれた。

「これからは、家族3人で幸せに暮らしていこう」

淳がくれた家族の温もりを胸に、私は自分らしく、自分の道を歩いていく。

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