あの日、雨の中で見知らぬ少女がくれた半分のメロンパン。それがなかったら、俺は生きていなかった。20年後の見合いの席で、まさかその相手が、あの日の少女だとは思わなかった。しかも彼女は、脳腫瘍で左利きの手を失いかけてるって言うんだ。あの日、彼女がパンを割ったように、今度は俺が、彼女の人生を半分こしたい—って、本気で思った話。

あの日、雨の中で見知らぬ少女がくれた半分のメロンパン。それがなかったら、俺は生きていなかった。20年後の見合いの席で、まさかその相手が、あの日の少女だとは思わなかった。しかも彼女は、脳腫瘍で左利きの手を失いかけてるって言うんだ。あの日、彼女がパンを割ったように、今度は俺が、彼女の人生を半分こしたい—って、本気で思った話。

見合いの席で、20年ぶりに彼女と再会した。目の前に座っていたのは、あの夏、雨の中でパンを半分こしてくれた、あの少女だった。痩せて、目元に疲れが見えたけれど、間違いなく彼女だった。俺は何も言えずに、ただ向かいの席で彼女が緊張で震えるのを見ていた。

彼女の名前は杉浦さん。実家のパン屋を継いで頑張っていると聞いていた。けれど、実際に会った彼女は、思っていたよりずっと疲れていた。もう一度会いたいと思わせるには十分すぎるほど、その姿は痛々しかった。見合いの席で、俺は彼女に「もう一度会えますか」と尋ねた。俺は医者だ。彼女は患者として、俺の病院に来ることになった。

後日、彼女は外来に現れた。持ってきた検査の画像を見て、俺は息を飲んだ。脳に腫瘍がある。5. 4センチ。左の運動野に深く食い込んでいる。手術で取り切れればいいが、場所が悪い。左手の動きを奪う可能性が高い。説明室で、俺はできるだけ穏やかに話した。彼女は冷静に聞いていた。そして、こう言った。

「私、左利きなんです。パン屋で働くのに、手が使えないのは困るから。手術はしたくないです」

彼女は淡々と言った。ここで逃したら、次はないかもしれない。その場で俺は怒った。本気で怒鳴った。彼女が命を粗末にしているように思えた。俺の言葉に彼女は耐えていたが、最後にポツリと言った。

「あなたに何がわかるんですか。私が今までどんな思いでやってきたか。あなたにわかるわけない」

その言葉を聞いて、俺は全部を話した。今は亡き母のこと。頼る人がいなかったこと。そして、あの夏の雨の日。北町の商店街で、見知らぬ少女が、びしょ濡れの自分に、半分のメロンパンを差し出してきたこと。ビニールに包まれた乾いたパン。真ん中から割れる音。彼女は言った。「食べて。明日も学校に来て」と。あの半分がなかったら、俺は生きていなかった。目の前の彼女に、俺は言った。「あの日あなたがくれたのはパンじゃない。明日だったんです」

彼女は青ざめて、声を絞り出した。「あの日の人…?」そう。俺はあの日からずっと、あなたを探していた。そして、20年後に見合いの席で見つけた。俺が医者になったのも、あなたの存在があったからだ。半分のパンが、俺の人生を変えた。今度は俺があなたの命を助ける番だ。

彼女は泣きながら言った。「お父さんと弟がいるんです。私が倒れたら、みんな…」観覧席にいる彼女の父親は、病院の帰りに倒れた。脳梗塞。今は右半身が不自由で、言葉もうまく話せない。彼女は朝の4時に起きて揚げ物を準備し、店を開き、昼過ぎに店を閉めて、介護と家事を全部一人でやっていた。3年間。誰にも頼らずに。

俺は彼女に言った。「あなたが倒れたのは、弱いからじゃない。一人で抱えすぎたからだ」と。彼女は泣いた。「誰にも迷惑をかけられないから。ずっとそう思ってた」と。「違う。あなたは迷惑をかけるのが怖かったんだ。その気持ちはわかる。でも、これからは一緒に分け合おう」と。手術前に、俺は彼女の病室を訪れた。彼女はベッドの上で、言葉が出ない父親からのメモを握りしめていた。「春な飯食べたか」と震える文字で書かれていた。彼女は言った。「私、ずっとお父さんの世話をしてるつもりだった。でも、違ったんですね」と。

手術当日。彼女は天井を見つめながら「行ってきます」と言った。俺は「行ってらっしゃい」と返した。頭の皮膚を切り、骨を外し、硬い膜を開けるまで1時間半。腫瘍が現れた。まず血管を止めて、腫瘍を少しずつ摘出していく。2時間が過ぎた頃、腫瘍の一部が、よりによって左手を動かす神経に食い込んでいるのを見つけた。ここを剥がせば全部取れる。でも、最悪の場合、左手は戻らない。検査師が「左手の反応が落ちています」と告げた。どうする?俺は彼女の脳のわずかな動きを見ながら、あの雨の日を思い出していた。ビショ濡れの制服。半分のパン。俺は「残します」と言った。「腫瘍を全部取るより、この人の左手を守ります。再発は後から放射線で抑えられます。手は一回失くしたら戻りません」

手術は10時間10分かかった。最後の糸を切った時、自分の手が震えていることに気づいた。麻酔が覚めた彼女に、俺は言った。「左手を握ってください」と。ゆっくりと、彼女の左手が握られた。再発の危険は残る。でも、左手は残った。そして、俺は手術台の上で心の中で誓った。「今度は俺があなたの明日を繋ぐ」と。

翌日からリハビリが始まった。彼女は毎日ノートに記録をつけていた。「何回できたか、何秒かかったか」。字は母親と同じだった。退院の前日、俺は言った。「あなたが倒れたのは、あなたが弱いからじゃない。一人で抱えすぎたからだ。あなたは3年間、誰にも頼らずに全部やってきた。それは立派なことです。でも、立派なことをやり続けると人は壊れます」と。彼女は頷いた。「私、迷惑をかけるのが怖かっただけでした」と。そして、俺は言った。「杉浦さん、これからの毎日を俺と半分にしてもらえませんか?あなたのお父さんのことも、弟さんのことも、店のことも、全部あなた一人のものにしないで欲しい。俺に半分ください」と。

彼女は泣きながら言った。「私まだ病人ですよ」と。「知ってます。あなたの頭の中の一番長く見てるのは俺ですから」と。「借金もまだありますよ」「知ってます。夜もしばらく働けないし」「夜は寝てください。そういう治療です」と。彼女は笑った。「半分なら、私も受け取れます」と。その言葉を聞いて、俺はあの夏の公園のベンチに戻ったような気がした。あの時俺に許可をくれた人が、今度は自分自身に同じ許可を出していた。

「あの、杉浦さんって呼び方、そろそろやめてもらえませんか」と彼女が言った。俺は顔が熱くなるのを感じた。「はい、ナミさん」と呼んだ。彼女も「直さん」と返した。退院の日、志村さんという相談員が彼女に名刺を渡した。「困ってからでいいです。困る前に読もうとしなくていいです」と。彼女は「私、3年間誰にも聞かなかったんです。聞いたらうちが大変だってことを認めることになるからです」と答えた。

それから4ヶ月。彼女は3月に店に戻った。昼だけから始めて、4月からはまた朝に立つようになった。朝は必ず2人で。それが焼き場に戻る時の条件だった。今は朝4時起き。夜の掃除はやめた。父の障害年金の申請も、春にやっとできた。彼女は冷蔵庫の扉に、志村さんの名刺を貼っている。田村さんの消息も調べた。田村さんは4年前に亡くなっていた。俺と彼女は2人でお墓参りに行って、やっと15年分の返事を伝えた。

腫瘍は今のところ大きくならない。3ヶ月に1度、その後は半年に1度の検査が続く。検査の前の日、彼女は少し眠れなかったらしい。それでも朝には店に立っていた。「怖くなくなったわけじゃないです。でも、怖いって言える人がいるだけで全然違いますね」と彼女は言った。父さんはデイサービスに通うようになり、先月、初めて「あっ」という音が出た。たった14日。でも、確かな前進だった。

5月の連休。俺と彼女は北町の商店街を歩いた。あの頃と同じ道。公園のベンチは色褪せていた。彼女はしばらくベンチを見つめてから言った。「私、ここに毎朝来てました。あなたに会えるかもしれないって思って」と。「知ってます。あなたがいなくなってからも1週間来ました」と。彼女は笑って歩き出した。マーケットの真ん中、あの角のパン屋の前で、彼女が立ち止まった。焼きたての匂い。バターと小麦と、少し焦げた砂糖の匂い。20年前と同じ匂いだった。「入りましょうか?」「働いてる店に客として入るんですか?」「たまにやるんです。文句を言いに」

店に入ると、大将が露骨に嫌そうな顔をした。奥の棚にメロンパンが並んでいた。俺はトングで1つ取って、もう1つを取ろうとした。その手を彼女が抑えた。「1つでいいですよ」と。「半分でいいです」と。俺は彼女を見て言った。「ナミさん、今日は2つ変えます。俺はもう14歳じゃない。あなたも自分の分を削らなくていい。2つ変えます」と。彼女はしばらく黙って、それからいつもの笑い方をした。目の形が少しだけ細くなる笑い方。「知ってます。でも、それでも半分がいいんです」と。

彼女はトレイからメロンパンを1つ取って、両手で持った。そして、真ん中からゆっくりと2つに割った。上の皮がパリッと音を立てて、細かいかけらがトレイの上に落ちた。20年前と同じ音だった。彼女は半分を自分の手に残して、もう半分を俺に差し出した。「半分したら増えるので」と。俺はその半分を受け取った。大将が「金を払えよ」と言い、彼女が「払います」と言って笑った。俺も笑った。笑いながら、皮のところから先に食べた。

来月、俺たちは市役所に行く。式はあげない。彼女がそういうのは苦手だというし、俺もどちらかと言うと苦手だ。その代わり、その日は店を早じまいして、父さんと誠くん、それに大峰先生と、円盤を持ってきたおばさんを呼んで、飯を食べることになった。献立は彼女が決めた。全部柔らかいものにするそうだ。

20年前のあの夏、俺は自分のことを生きていい人間だと思えなかった。親をなくして、預けられた家から締め出されて、誰にも必要とされていないと思っていた。そんな俺の前に、14歳の女の子がパンを持って立った。彼女は俺に施しをしたのではない。半分に割って、自分も一緒に食べた。そうすれば俺が受け取れると、あの子は分かっていたのだ。そして、その割り方を彼女は知らないうちに母親から受け継いでいた。その母親は自分の昼飯を抜いて、知らないところで俺を助ける大人を呼んでくれた。俺はそれを何も知らずに生きてきた。知らないまま、あの半分に生かされて、医者になった。

20年後、俺は彼女の頭を開けた。腫瘍を取って、彼女の左手を守った。命を守ったのだと周りの人は言う。でも、俺が本当に取り除きたかったのは、多分、腫瘍ではない。この人が20年ずっと持っていた「頼ってはいけない」という思い込みの方だ。あれは腫瘍と同じで、ゆっくり大きくなって、本人が気づかないうちに人を押しつぶす。今の彼女は、怖い時に怖いと言う。疲れた時に座る。俺に半分を渡してくる。それを見るたびに、俺は思う。あの日彼女がくれた半分のパンは、俺の命を繋いだ。20年後に俺が救ったのは、彼女の命だけではない。誰かに頼ってもいいのだと、彼女の心の方だった。

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