ホテルのロビーに足を踏み入れた瞬間、張り詰めた空気が肌に刺さった。憧れの企業の内定式に出席するため、俺は一之瀬陸は今日という日をずっと待っていた。兄が一から築き上げた会社。俺は兄の七光りではなく、自分の力でこの場所に立つと決めたのだ。
だが、受付の前で足が止まる。スーツ姿の中年男が、緊張で震える社員に怒声を浴びせていた。何度言わせるんだ。使えねえな。その言葉に、ロビーの誰もが凍りつく。誰も止めようとしない。俺は迷いながらも、兄がこの場にいたら絶対に黙っていないだろうと思い、口を開いた。
そんな言い方はないと思います。男が振り返り、鋭い目で俺を睨む。誰だお前? はい、本日内定式に出席する一之瀬です。男は鼻を鳴らし、意味深な言葉を残して立ち去った。覚えとくわ。その瞬間、俺の胸に不安の影が差す。だが、この時はまだ知らなかった。あの男が俺の運命を狂わせる人物だということを。
幼い頃から兄の背中を追いかけてきた。親の援助もなく、ゼロから会社を起こした兄。その姿に憧れ、いつか同じフィールドに立ちたいと願った。だが、兄の名前で入社したと思われるのは絶対に嫌だった。だからこそ、自力で合格したこの内定は誇りだった。今日はその晴れの舞台のはずだった。
会場に入り、壇上に立った人物を見た瞬間、俺は息をのんだ。ロビーで社員を怒鳴りつけていたあの男だ。まさか、あの男がこの会社の役員だなんて。アナウンスの声が遠くに聞こえる中、俺は固まったまま動けなかった。怒りの眼差しがこちらを向く。胸の奥で警鐘が鳴り響く。あの時、口を挟んだことを後悔した。だが、もう遅い。ここから、俺の試練が始まるのだった。


