夕食後、穏やかなお茶の時間だった。スマホから聞こえたのは、あまりにも軽薄で信じがたい息子の声だった。電話の向こうからは騒がしい物音と、お祭り騒ぎのような笑い声まで聞こえてくる。
「あー、母さん悪いんだけど、実家が燃えちゃったわ。まあ、子供の日遊びが原因だし、わざとじゃないからさ。親なら笑って許してよ。あはは」
その一言で、手に持っていた湯のみが畳の上に落ちた。温かいお茶がじわじわと染み込んでいくのに、片付ける余裕すらなかった。
「燃えた実家が…今なんて言ったの? たけし、もう一度言って」
震える声で聞き返しても、息子のたけしは反省の色など微塵も見せず、面倒臭そうに鼻を鳴らした。
「だからさ、燃えちゃったもんはしょうがないだろう。形あるものはいつか壊れるって言うし。それより母さん、火災保険の書類どこにある? 結構な額が降りるんだろう? それでさ、俺たちの新築マンションの頭金にしようと思って。ちょうど良かったよ。あんなボロ家」
電話の向こうで嫁のえみも笑いながら口を挟んでくる。
「そうですよ、お義母さん。あんな古い家、維持するだけでも大変じゃないですか?

私たちが代わりに片付けてあげたと思って、感謝して欲しいくらいです。子供たちがちょっと花火で遊んでたら、パッと燃え移っちゃって…でも怪我がなくて良かったですよね」
二人の言葉が、私の頭の中で理解不能な記号のように飛び交う。背筋に冷たいものが走り、部屋の空気が一気に凍りついたような感覚に陥った。何かが決定的におかしい。彼らは自分たちが何をしたのか、そしてこれから何が起きるのかを、全く理解していないようだった。
この時、電話の向こうで勝ち誇ったように笑っている二人は、まだ知る由もなかった。数分後、自分たちが犯した過ちの深さに気づき、人生で一番の絶望と後悔を味わうことになるなんて。
「そう、家が燃えてしまったのね。子供の日遊びだから許せと。保険金で新しい家を建てるから文句を言うなと。あなたはそう言いたいのね」
私は努めて冷静に、一文字ずつ噛み締めるように問いかけた。
「そうそう、話が早くて助かるよ。あー、母さんも高齢なんだし、これを機に施設に入るなり考えなよ。保険金の手続き、明日には進めるからさ」
どこまでも楽観的で身勝手な言葉。私はゆっくりと深呼吸をした。胸の奥から湧き上がってくるのは怒りではなかった。それは、あまりにも愚かな我が子に対する、深い深い哀れみのような感情だった。
「たけし、えみさん、いいわよ。別に、家が燃えたことについては、私は一言も責めたりしないわ」
電話の向こうで、二人が喜びの声をあげるのが分かった。
「さすが母さん! 話が分かるじゃん! お義母さん大好き! やっぱり物の分かる親を持つと幸せだわ」
狂喜乱舞する二人。しかし、私は冷徹な声で、その後に続く言葉を放った。
「でもね、一つだけ言っておくわ。そこ、他人の家よ」
一瞬の静寂。それまでの喧騒が嘘のように、電話の向こうが静まり返った。
「いや、何言ってんの母さん。ボケちゃった?
あそこは俺が育った実家だろ。何年も前から住んでる」
「いいえ。よく思い出してごらんなさい。私が3ヶ月前にあなたたちに何を伝えたか。そして、私が今どこにいるのかを」
私は窓の外に広がる、見たこともないほど豪華な庭園と、ライトアップされた噴水を見つめた。
「そんなはずはない! 母さん、どこに隠したんだ? 」
たけしとえみの発狂したような叫び声が、やけ跡に虚しく響いていた。


