姉が弁護士の言葉を遮るように、勝ち誇った声を上げた。
「まあ、当然の結果よね。ママも分かってたのよ。どっちの娘に価値があるのか。」
その言葉が、私の心を容赦なくえぐった。地味で取り柄のないあんたに、遺産なんて猫に小判だもの。
弁護士が私と姉への遺産を続けて読み上げた。
「リナ様には、都心のタワーマンションと、金庫に保管されている宝石類の一切を相続させます。そして、女咲様には、母し子が長年愛用しておりました、この日記帳を相続させます。」
姉にはタワーマンションと、きらめく宝石。私には、汚い使いかけの日記が一冊だけ。
私に残されたのは、本当にこれだけ。
俯く私の前で、姉はこれ以上ないほど勝ち誇った笑みを浮かべ、スマホのカメラを起動した。きっとこの光景を撮影して、SNSに投稿するつもりなのだろう。
だが、その時だった。
「お待ちください。遺言には、いくつか重要な補足事項がございます。」
ピタリと、姉の指が止まる。
「補足?何よ。早く済ませてちょうだい。私、この後タワマンの家具を見に行く予約入れてるんだから。」
軽蔑した顔でそう言う姉を無視して、工藤先生は淡々と、しかし強い意思を感じさせる声で続けた。
私の名前は女咲。図書館司書として、静かに本に囲まれて過ごす毎日。
そんな私の日常とは正反対に、いつも華やかな世界の中心にいるのが、姉のリナだ。
元モデルの姉は、今や数十万人のフォロワーを持つインフルエンサー。SNSを開けば、海外の高級ホテルでポーズを取る姉の写真で溢れている。
父が亡くなったのは、私がまだ幼い頃のこと。母は父の莫大な遺産を相続し、私と姉を女手一つで育ててくれた。
父がいない寂しさを感じさせたくない。その一心だったのだろう。母はお金に関しては、惜しむことなく私たちに与えてくれた。それも、母なりの愛情表現だったのかもしれない。
甘やかされた姉は、その愛情を独り占めしていたけれど、私はそれでも母が好きだった。
リビングで私がお茶を入れていると、姉がスマホの画面を母に見せながら、わざとらしく大きな声で話していた。
「見てママ、この投稿もういいねが1万超えたの。みんな私のライフスタイルに憧れてるんだって。」
「まあ、すごいわね。あなたは本当にママの自慢の娘。」
姉は何の努力もせずに、母の愛情と世間の注目を集めていく。それでも私は、自分の静かな生活を大切にしていた。本に囲まれた図書館の仕事は、私にとっての居場所だったから。
姉のわたしへの扱いは、年々ひどくなっていった。家族の集まりでは、いつも私をこき下ろした。
「女咲はさ、地味で彼氏いないし、この先どうするつもりなの?」
そんな言葉に、母は何も言わない。ただ、困ったように笑うだけ。
母が体調を崩したのは、三ヶ月前のことだった。急に倒れて、そのまま入院。医師からは、長くないと告げられた。
私は毎日、病院に通った。仕事が終わると、まっすぐ病室へ向かい、母の手を握り、話しかけた。母は弱々しい笑顔を返してくれた。
一方、姉はお見舞いにはたまにしか来なかった。来ても、スマホを見ながら、すぐに誰かと連絡を取り始める。それでも母は、姉を責めなかった。
ある夜、私が母の手を握っていると、その手が弱々しく私の手を握り返してきた。
「さっき…ごめんね。」
「え、お母さん、どうしたの?」
「姉ちゃんに…ああ言っちゃって…。あなたは十分、いい子よ…。」
母の声はかすれていた。何を言っているのか、私には分からなかった。母は、私に何か隠しているように見えた。
それから数週間後、母は静かに息を引き取った。
お葬式の間も、姉は悲しみよりも、自分の喪服姿をSNSにアップすることに夢中だった。黙祷の最中に、棺に向かって自撮りをしている姿を見た時、私は何かが壊れる音を聞いた。
そして、今日、遺言の読み合わせの場。
姉はタワーマンションと宝石を手にして、有頂天になっている。私は日記帳を手にして、ただ茫然としていた。
でも、工藤先生の「補足事項」という言葉に、部屋の空気が変わった。
「遺言の最終項目です。リナ様の相続権について、重要な条件が付されています。」
姉の顔から、みるみる笑顔が消えた。
「条件?何よ、ちゃんと説明しなさいよ。」
「リナ様には、タワーマンションと宝石類を相続させます。ただし…。リナ様が、女咲様に対して、毎年年金300万円を支払い続けることを条件とします。この支払いが滞った場合、すべての相続権は女咲様に移ります。」
部屋が静まり返った。
「は?年金?私が女咲にお金を払うの?ふざけないでよ!」
姉の顔が真っ赤に染まる。私は、手の中の日記帳をぎゅっと握りしめた。
「……なぜ、こんな条件を?」
私の問いに、工藤先生は静かに答えた。
「お母様は、女咲様を心配されていました。リナ様は、自分のことだけで精一杯だと。女咲様が、経済的に困らないようにという、お母様の最後の願いです。」
姉は怒り狂った。
「ママは、私にこんな仕打ちをするなんて!あんた、何かやったんでしょ!何か企んで!」
「私は何も…。」
「だまらないでよ!ママの遺言を操作したんだ!この泥棒!」
姉が私に掴みかかろうとした時、工藤先生が間に入った。
「お二人とも、お静かに。まだ、発表は終わっていません。」
「…まだ何かあるの?」
工藤先生は、日記帳を見つめながら言った。
「この日記帳に、お母様の本当の想いが綴られています。読まれてみてはいかがでしょうか。」
私は、震える手で日記帳を開いた。最初のページには、見慣れた母の筆跡があった。
「今日も、女咲は本を読んでいる。幸せそうで何より。リナはまた、派手な服を買ってきた。あの子は、物でしか愛を測れない…。」
読み進めるうちに、母の言葉が溢れ出してきた。母は、姉の傲慢さを心配していた。でも、何よりも、私を愛してくれていた。
「女咲は、私に似て不器用だ。でも、一番よく私を理解してくれている。あの子のために、何かできることはないだろうか。」
最後のページには、こう書かれていた。
「この日記を持つ子に、私は一番の愛情を贈る。ただし、それは決して、お金や物ではない。本当の幸せを…。」
私は、涙が止まらなかった。姉は、そんな私を見て、悔しさで唇を噛みしめた。
「そんなの…そんなの、ただのお母さんの妄想よ!あんたみたいな根暗が、お母さんの愛なんて受ける資格ないわ!」
「リナ、もうやめて。」
「はぁ?何言ってるのよ、女咲!」
「お母さんは…お母さんは、私にこう伝えたかったんだと思う。お金じゃない、本当に大事なものを、私に見つけてほしかったんだ。」
私は、そう言って、日記帳をそっと閉じた。姉は、何か言いたげだったけど、結局何も言えずに、部屋を出て行った。
それから、姉とは一切連絡を取っていない。
私は、図書館の仕事を続けている。日記帳は、今も私の宝物だ。そして、あの日の言葉を思い出す。
「あなたは十分、いい子よ…。」
母が私に残してくれたのは、日記と、そしてこの静かな幸せ。それで、十分だった。
あの日、私は初めて、姉の前で自分の意思を示した。もう、誰かの影に隠れて生きるのはやめようと思った。
これが、私の選んだ道。母が望んだ、本当の幸せの形。



