「お前、中卒だから明日から来なくていいぞ」
社長室に呼ばれた瞬間、そう言われた。手に持っていたのは、おれのことを雑魚扱いするための書類。要するに、おれは会社からクビになった。友達付き合いだけじゃなく、職場でも「右に習え」ができない人間は淘汰されるらしい。おれは別に、出しゃばったつもりはなかった。ただ、普通に仕事をしていただけだ。
でも、世の中はそんなもんだ。皆が同じ方向を向いて、同じ動きをする。そこから外れた人間は、黙って消えていく。
おれは一条大和。三十歳。特に取り柄もなく、そこらへんの高校を出て、ありきたりな商業大学を卒業した。就職活動では、生鮮食品の卸会社から内定をもらって、何年か働いた。最初は、ゲームを攻略するみたいに仕事を覚えるのが楽しかった。順調に成果を出して、スキルアップしていく自分がいた。
だが、ゲームと同じで、ラスボスを倒したら終わりだ。仕事の面白さが急になくなって、退職した。
別にスキルアップを求めていたわけじゃない。ただ、生活に困らない収入があって、それなりに仕事ができれば十分だと思っていた。期待されるのも苦手だ。自分の中で満足できれば、それで完結する。だから、おれはどこにでもあるような小さなIT企業に転職した。
そこは、地域の顧客のウェブサポートや、大手企業の下請けをしている中堅企業だった。おれは事務を担当していた。誰にも期待されず、黙々と決まった仕事をこなしていればいい。ノルマもないし、顧客との対応もおれの仕事じゃない。人間関係の煩わしさもない。職場は必要最低限の付き合いしかなくて、おれには最適だった。
毎日同じことを繰り返す。ゲームでいうところの、ログインボーナスを受け取って、キャラクターを育てていくような感覚。単調だけど、悪くない。おれはこのまま平穏に生きていくんだろうな、と思っていた。
その日も、いつもと同じようにデスクで仕事をしていた。メールをチェックして、書類を整理して、定時になったら帰る。そんな日常の、ほんの延長線上にあるはずだった。
しかし、社長が突然、おれのデスクに来た。
「一条君、ちょっと社長室に来てくれる?」
何の用だろう、と思いながら、おれは社長室のドアをノックした。入ると、社長はにこやかな表情で、書類を机に置いた。
「君には申し訳ないんだけどね」
「何がでしょうか」
「明日から、来なくていいよ」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「……は?」
「君は、中卒だろう? わが社には、大卒以上しかいらないんだよ」
おれは、その場で言葉を失った。確かに学歴は中卒だが、入社のときにそれは全て伝えてある。面接の時だって、書類だって、全部確認したはずだ。それなのに、今さらそれを理由にクビだと?
「納得いかないですね」
「納得? 君に納得される筋合いはないよ」
社長は笑っていた。何が面白いのか。
「君みたいな人間は、うちの空気に合わないんだよ。右に習えができない人間は、いつか問題を起こす。始末しておくのが、一番いいのさ」
「……おれは、何か失敗をしましたか?」
「失敗? いやいや。でもね、今回は外部からの調査が入ってね。うちの取引先が、学歴で人を採用している会社は、契約を打ち切るって言い出したんだ」
話が見えてきた。おれのせいじゃない。会社の事情だ。社長は、おれをクビにすることで、取引先の顔色をうかがったんだ。つまり、おれは捨て駒だ。
「わかりました。辞めます」
「うん。よろしくね。あ、一応、退職金は出すから」
「いりません」
おれは社長室を出た。同僚たちは、何事もなかったように仕事をしている。おれが明日から来なくなることを、知っているのかどうか。知っていたとしても、誰も何も言わない。まあ、それも当然だ。ここはそういう場所だから。
おれは荷物をまとめて、会社を出た。
無職になると慌ただしい。次の仕事を探さなければならない。だが、おれはあることに気づいた。
そういえば、クビになる直前、社長はこう言った。「お前、中卒だから」と。だが、おれの履歴書には、中の上としか書いていない。なぜ、社長が中卒だと知っているのか。
おれは、履歴書を開いた。おれの学歴欄には、確かに「○○高校卒業」と書いてある。大学には行っていない。それは確かだ。だが、中卒というのは正しくない。高校を出ているからだ。
もしかしたら、社長はおれの学歴を正確に把握していないのか。それとも、わかっていて適当な理由をつけたのか。
誰かが、おれについて何か知っている。そうでなければ、ありえない。
おれは、かつての同僚に電話してみた。
「もしもし。あのさ、おれのことで、何か社長に言ったか?」
「……………………」
「おい?」
「……ごめん。言ったのはおれじゃない。でも、お前、前の会社で辞めたとき、ちょっと揉めたって聞いたぜ」
「……前の会社?」
「ああ。お前、前の会社で、えらい人に反論したんだろ? それがネットで広がって、うちの社長の耳に入ったらしい。それで、お前をクビにしようってなったんだよ」
おれは、過去のことを思い出した。前の会社で、おれは一度だけ、上司の間違った指示に対して意見を述べたことがある。その程度のことで、何が悪いのか。だが、それが社長のプライドを傷つけたらしい。
つまり、おれはこの会社だけじゃなく、前の会社でも、誰かに目をつけられていたんだ。
おれは電話を切った。そして、スマホをいじっているうちに、あるSNSの投稿を見つけた。
「中卒で会社を辞めた人がいるらしい。やっぱり学歴って大事だね」
その投稿には、おれの名前と、写真が載っていた。
おれは、自分が笑っている写真を見て、背筋が冷たくなった。誰かが、おれを貶めるために、この投稿をしている。しかも、事実を歪めて。
これは、単なるクビじゃない。誰かが、おれを社会的に抹殺しようとしている。
おれは、怒りがこみ上げた。だが、同時に、冷静な自分もいた。
「どうやら、おれは本格的にやられたらしい」
おれは、すぐに行動を起こした。まずは、自分の履歴書と、前の会社の退職証明書を用意した。次に、あのSNSの投稿を保存した。そして、弁護士に相談しようと思った。
「ちょっと待て。これは、慰謝料を取れるんじゃないか」
おれは、ネットで弁護士を検索した。すると、おれと同じような被害に遭った人の相談サイトを見つけた。そこには、こんなことが書いてあった。
「会社の不当解雇、ネットでの誹謗中傷。これらは、法的に訴えることができます」
おれは、その言葉に希望を感じた。
「よし。おれも、黙っているわけにはいかないな」
おれは、数日後、会社に内容証明郵便を送った。内容は、「解雇の撤回、もしくは、損害賠償を求める」というものだった。
さらに、SNSへの投稿についても、発信者情報の開示を求める手続きを始めた。
「おれをクビにした社長。バカにした同僚。そして、陰でおれを中傷した誰か。全員、覚悟しとけよ」
おれは、静かに闘いを始めた。もはや、おれは会社を辞めたかわいそうな無職ではない。おれは、自分を陥れた者たちに向けて、反撃の準備をしていた。



