「お前とはもう赤の他人だ。うちの敷地をまたぐな」父の怒鳴り声が耳に残る中、私は泣きながら実家を出た。隣には、将来の夫となる吉明さんがいて、黙って私の手を握ってくれていた。高校を卒業したばかりの時だった。今の私は36歳で農家をしている。ちょうど今年で実家を離れてから18年になる。これから先は、実家で過ごした時間よりも、自分で選んだ人生の方が長くなるんだなと思うと、なんだか夜風がひんやりと感じられた。
私の実家は都会にあった。父は会社員、母は専業主婦。家族は両親と、一つ年上の兄、そして私の4人。両親は子供に明確な順位をつける人たちだった。兄が全て優先。食事のおかずも、誕生日のプレゼントも、兄の方が豪華なのが当たり前だった。兄は自分が偉いと思っていて、私はいつも兄に意地悪されていた。寂しいと思ったことも、私にも構って欲しいと言って泣いたこともある。でも両親は全く変わらなかったから、私はすっかり諦めてしまった。
私の人生を変える出来事が起きたのは、高校2年生の夏。年の離れた兄は受験生で、一流大学を目指していたけれど、模試の判定が全然良くないからずっとピリピリしていて、些細なことで私に八つ当たりしてきた。両親は、傷物にでも触るように兄を大切に扱い、私には勉強する時間が取れないように家事を押し付けてきた。私は兄と違って成績が良かったから、兄の機嫌を取るために、自分の成績を下げようとさえした。意味が分からない。そんな時、先生から農村体験の話を聞いた。
私の通っていた高校では、希望者は2泊3日の農村体験ができる。受け入れ先の農家に泊まって、野菜を収穫したり、一緒にお料理をしたりと田舎の生活を体験するのだ。家庭環境に悩んでいた私は、思い切って参加することにした。でも父は「農業なんて会社勤めができないバカのすることだ」と大反対。母も「泥まみれで臭くて汚い肉体労働をわざわざ体験するなんて頭がおかしいんじゃないの」と私を笑った。でも私は両親の反対を押し切り、自分が貯めてきたお年玉を使って申し込んだ。両親の言いなりにならなかったのは、これが初めてだった。
結果は大正解。家族の愛に飢えていた私にとって、本当に素晴らしい経験となった。田舎の綺麗な空気、畑で穫れた野菜の甘さ、農家の人たちの温かさ。何より、そこにいたのは私を対等に扱ってくれる人ばかりだった。
そして、そこで出会ったのが吉明さんだった。彼は農家の息子で、私と同じ年の頃に手伝いに来ていた。私は彼の人柄に惹かれて、彼もまた私のことを大切にしてくれた。私たちは付き合うようになり、高校を卒業した後、結婚の約束をした。
しかし、そのことを両親に伝えた時、父は烈火のごとく怒った。「お前みたいな不出来な娘が、そんな家に嫁げると思っているのか」と。母も「せっかく都会で育てたのに、田舎で何考えているんだ」と非難した。兄は「誰がお前の面倒を見るんだ」と笑った。でも、私はもう決めていた。このまま実家にいても、私の居場所はない。私は自分の人生を選ぶと決めた。
そして、あの日。父に「お前とはもう赤の他人だ。うちの敷地をまたぐな」と言われた時も、私は泣いたけれど、後悔はなかった。吉明さんが隣で支えてくれたから。
それから18年。私は吉明さんと一緒に農家を営み、3人の子供に恵まれた。夫は優しくて、家族を何より大切にする人だ。私たちの家では、子供たちは皆、等しく愛されている。
そんなある日、母から手紙が届いた。それは、私が高校生の時に、両親と兄が調べたある検査の結果だった。母は「昔さ、なかなか妊娠しないからって2人で調べたわよね。その時の結果よ。あなたにもプライドがあったようだから言わなかったけどね」と書いてあった。同封されていたのは、兄と私の血液型の記録。私は思わず手を止めた。
「え、これ本当に俺の?」心の中で問いかけた。私は昔から兄と顔が似ていないと思っていた。性格も、考え方も、何もかもが違う。もしかしたら、私は…。
ふと、子どもの頃の記憶が甦る。父は兄ばかりを可愛がり、母は兄の成績を自慢にしていた。私のことなど、まるで眼中になかった。もしかしたら、彼らは私が実の子ではないから、あんなに冷たかったのかもしれない。
私は手紙を握りしめたまま、しばらく動けなかった。夫の吉明さんが心配そうに声をかけてきた。「どうした?何があったんだ?」
私は彼に手紙を見せた。「これ…どう思う?」
吉明さんは黙って読み、そして言った。「君がどういう経緯で生まれたかは関係ないよ。君は君だ。私にとって大切な家族だ。」
その言葉に、私は涙が止まらなかった。実家のことを思い出すたびに辛かったけれど、今の私には家族がいる。私を大切にしてくれる人たちがいる。
だが、母の手紙には続きがあった。「あなたの実の両親を知りたいと思ったら、この住所に連絡しなさい。あなたが生まれた時のことを知っている人がいる。」
私はその住所を見つめながら思った。このまま何も知らないで生きていくのか、それとも自分のルーツを辿るのか。夜風がまた吹いた。そして私は、その手紙を机の引き出しにしまった。今はまだ、答えを出す時じゃない気がした。



