病室で、出産を控えた娘が親族一同の前で私を「金食い虫」と呼び、「絶対あんな親にはならない」と言い放った。18年間、私は仕事を掛け持ちし、家事も育児も一人で担い、仕送りまで続けてきたのに。夫は笑いながら娘に同調し、相手の家族は私を蔑むように見つめた。あの瞬間、私は全てを悟った。そして静かに言った。「私はあなたのお母さんにはなれなかったみたいね」。その場を去った私の背中を、誰も追いかけてはこなか…

病室で、出産を控えた娘が親族一同の前で私を「金食い虫」と呼び、「絶対あんな親にはならない」と言い放った。18年間、私は仕事を掛け持ちし、家事も育児も一人で担い、仕送りまで続けてきたのに。夫は笑いながら娘に同調し、相手の家族は私を蔑むように見つめた。あの瞬間、私は全てを悟った。そして静かに言った。「私はあなたのお母さんにはなれなかったみたいね」。その場を去った私の背中を、誰も追いかけてはこなか...

母は父の稼ぎで生きる金食い虫で、子育ても最悪だった。私は母みたいな毒親にはなりません。

出産を控えた娘のまゆが、親族一同の前でそう言い放った。まゆは祖母からの洗脳により、私を火政府と見下し、毒牙のように扱う。

「本当に大変だったよなあ、まゆ」

夫の陣も面白そうにまゆに同調した。相手方の両親もまゆの話を信じ込み、「苦労をしたね。これからは自分たちを実の親だと思って」とまゆに同調的な態度を取り、逆に私には冷たい視線を投げかける。その場にいる一同から不要な存在とされた私は、病室を去ることにした。

「残念だけど、私はあなたのお母さんにはなれなかったみたいね」

そう、まゆに言い残して、私は二度とみんなの前に姿を表さないと誓った。しかし、この時まゆは気づいていなかった。私の献身よりも、祖母である信の呪いのような嘘を信じてしまったことが、いずれまゆ自身の人生を根元から揺るがす種となることに。

まあ、そもそも私はまゆのお母さんじゃないし。まゆがその意味を知り絶望するのは、また後の話だ。

私、ち恵子が火政府として働き始めてから、もう20年近くが経つ。掃除も洗濯も淡々とこなし、各家庭の事情には必要以上に踏み込まず、ただ真面目に働くことだけを心がけてきた。

そんな私の人生が大きく変わったのは、18年前のことだ。火政府として派遣された岡本家で、当時35歳の主人である岡本陣と出会い、ほどなくして結婚。陣には、繊細との間に生まれたばかりの娘まゆがいた。気の毒なことに、まゆの母親は出産後まもなく亡くなったという。まだ首も座らない赤ん坊を腕に抱え、陣は不器用にあやしながら私に頼んだ。

「この子の母親になってほしい」

結婚すれば火政府から妻へと立場は変わる。しかし私にとってそれ以上に大きかったのは、まゆを受け入れる覚悟を迫られたことだった。血の繋がりはなくとも、目の前で小さな手を伸ばす赤ん坊を見て、自分の中にこの子を守りたいという思いが湧き上がる。私はまゆの母親になることを決意し、陣と結婚したのだ。だが、それが長い苦難の幕開けとなることを、私はまだ知らなかった。

まだまゆが幼い頃、私は彼女を抱き上げながらこんなことを考えた。

「大人になるまで私がしっかり育ててあげるからね。例え血が繋がっていなくても関係ない。どんなに忙しく、仮に私が働き続けなければ生活が立ち行かなかったとしても、だけは決して見捨てない」

そう胸に誓って育ててきた。だが、私を心よく思わない者が一人いた。それは陣の母、岡本信である。

義母は「火政府上がりの嫁など認めない」という考えを持ち、常に私を見下し攻撃した。

「この金食い虫が、火政府が色目を使って陣を騙した。こんな女に騙されて陣がかわいそうだわ」

私に暴言を吐くだけではなく、裏でまゆにもこんなことを言う。

「うちの生活が不安定なのは、あの女の浪費が原因なのよ。それにあんたのお母さんが家を留守にしているのは、よそに愛人を作っているからなの」

そんな言葉を信が幼いまゆに吹き込み続けていることに、私は長い間気づかなかった。

気づいたのは、まゆが小学校に入った頃だ。ふとした拍子に、まゆが無邪気な顔で言った。

「おばあちゃんが言ってたよ。お母さんはよそに男を作って、しかもお金を使いすぎるって。だからお家がつも大変だって」

「なんですって?」

何も分かっていない幼い子に向かって、どうしてそんな嘘を吹き込めるのか。私は娘に笑って見せた。

「そんなことないよ。お母さんにはお父さんだけだから」

そして心の中でそっと呟いた。

「それに、確かに家計は大変だけど、お母さんが頑張るからね」

心の奥底では、義母への怒りがゆっくりと積み重なっていく。我が家の家計が苦しいのは、陣のギャンブルのせいなのだ。義母の私に対する憎悪には、理由らしい理由などなかった。そこにあるのは「火政府のくせに」という偏見と、息子が選んだ相手への強烈な敵意なのだ。

陣は私に対する母の言葉に何も言い返さず、黙って聞いているだけだった。それどころか、母の味方をする。

「お前が火政府上がりなのは事実だろう」

夫のギャンブルのせいで、私は忙しく働き続けていた。その上、まゆの世話もある。だが陣はこういうのだ。

「家事はち恵子がやるのが当たり前だろ。火政府なんだから」

そう言って彼は、自分の家事も育児も私に全て押し付けた。陣の給料はほとんどギャンブルに消え、家計は常に火の車だ。それでも私はまゆを守るために耐え続けた。

しかし、義母が亡くなった後も状況は変わらなかった。むしろ陣は、遺産というまとまった金を手に入れたことにより、さらにギャンブルへのめり込んでしまう。私は懇願した。

「まゆのためにも、少しはお金を残しておいて欲しいの」

しかし陣は鼻で笑った。

「俺の金、俺がどう使おうが勝手だろ。文句言うなよ」

そんな日々が続き、私は限界を迎える。ある夜、陣が酔って帰り、暴言を浴びせてきたのだ。

「なんだよ、この家にはクソババーしかいないのかよ」

酒臭い息を吐きながら、洗濯物を畳む私に絡んでくる。そして、私の髪を掴み、私の顔を睨みつけてきた。

「ちょっとやめてよ。それにお酒臭いわ」

「お前も昔はそれなりだったのに、すっかりばあさんになったなあ。顔もたるんで、シが増えたし。手は荒れて、髪はボサボサ。少しは女らしくしろよな」

そう言って私を見て笑ったのだ。人を見下して嘲笑する。そんな人の顔を見た途端に、自分の中で我慢の糸が切れてしまう。

「この人と一緒にいるのは無理だわ」

私はついに家を出た。その時、まゆは小学校の高学年だった。陣には愛想が尽きたが、娘は別である。家を出ても、私はまゆを見捨てることだけはできなかった。成人するまでは母として支えたいという気持ちがあり、自分のわずかな手取りの中から毎月仕送りを続ける。

時々家に戻っては、掃除や洗濯、料理などの家事を無償でこなし、まゆの様子を確認した。だが、高校生になった辺りから、まゆが私に対してよそよそしくなる。

「家かしら」

私はそう考えていた。まゆは私の献身を当然と思っている部分があり、むしろ不満をも漏らし始めた。

「お母さんさ、来るなら来るって言ってよ」

もう昼だと言うのに、まゆはパジャマ姿で不満げだ。

「早く着替えなさい。それに家の中がゴミだらけで、全然整理されていないじゃないの。こんなにゴミを放置していたら虫が湧くわよ」

思わず説教してしまう。

「もう口うるさいんだから。それに、ここに住んでもいない人間に勝手にあちこち触られるのは嫌。おばあちゃんが言ってた通りだわ。お母さんは火政府の癖が抜けてないって」

またしても義母の呪いである。私は胸に刃が刺さるような痛みを覚えた。まゆの心の中には、今でもまだ義母の信から吹き込まれた言葉が残っている。

後日、私が家事を終えて帰った後で、まゆは友人にこんなLINEを送っていたらしい。

「たまに来て母を破ってるの受けるわ。火政府のくせに」

幸い、その言葉が直接私の耳に届くことはなかった。しかし、まゆが義母の言葉により、義母なき今でも私のことを見下していることは、嫌でも感じる。

やがてまゆは大学生になり、明るく社交的な性格を生かして友人も多くできた。そんな生活の中で、恋人ができたようだ。まゆが交際を始めたのは、大学のサークルの先輩である平野正友だった。しかし、ある日、まゆの妊娠が発覚する。

まゆは休学し、相手先の平野の家に頻繁に出入りするようになった。人当たりのいい性格のおかげか、相手先の家では可愛がられている様子である。

「まあ、まゆはまだ若いけど、できてしまったものは仕方ないから」

私は妊娠の事実に動揺しながらも、体を気遣い、火政府の仕事を生かしながら家に戻り、炊事や掃除など生活の全てを支えた。だが、まゆの相変わらずのよそよそしさが気になる。私の顔を見ても何も言わずに目をそらし、すぐに家を出ていくのだ。言葉を交わそうともしない。以前よりも私に対する態度は悪化しており、ほぼ虫扱い状態である。

一方で陣は完全に人非人だ。「仕事だから」と言いながら、ほぼ毎日のようにパチンコへ消えていった。

まゆが妊娠8ヶ月の頃、私は体調を崩し、数日間寝込んでしまう。熱がありながらも、電話でまゆの様子を気にして連絡すると、まゆは冷たい声で言った。

「別にいちいち連絡しなくていいわよ。こっちはこっちで忙しいんだから」

しかし、私が「まゆの代わりに家事ができない」ことを詫びると、こんな言葉が返ってきた。

「ちょっとぐらい家事をしなくたって生きていけるわよ。それに火政府の代わりなんていくらでもいるし」

その言葉で私は悲しくなってしまう。それでも私は、まゆが成人するまではという決意があったため、世話を焼き続けた。

時は流れ、出産予定日が近づく。そしていつ子供が生まれてもおかしくない状況が訪れた。病院にはまゆ、相手の男性である平野正友、そして正友の両親も顔を揃えた。私は相手先に挨拶をするのだが、不思議と平野の家の人間は私に対してそっけない。

そこで私は、信じがたい言葉を耳にすることになる。まゆは正友とその両親の前で、こんなことを言ったのだ。

「お母さんはね、お父さんの稼ぎで生活していた金食い虫なの。子育ても最悪だったわ」

私の呼吸が一瞬止まった。しかし、まゆは続ける。

「どこに行っていたのか分からないけど、全然家にいなかった。多分男のところだろって、おばあちゃんは言ってたけどね。私は絶対あんな親にはならないから」

それは義母が吹き込み続けた嘘が、まゆの中で真実として固まってしまった証だった。陣は横で楽しそうに笑う。

「本当に大変だったよな、まゆ」

自分は家事もせず、家計費でパチンコざんまいだったというのに、まゆに同調したのだ。正友の母親は、親戚を哀れむようにまゆを見つめていった。

「あなたも大変だったわね」

おそらくまゆは、平野の家に通う際に義両親に私のことを話していたのであろう。正友の父親は「この女が」と言わんばかりに私を睨みつけ、正友は私と目も合わせようとしない。

正友はまゆの肩を抱き寄せ、優しい声で告げる。

「大変だったな。でもまゆ、これから君は俺たちの家族だよ。もうこんな人に振り回されなくていい」

その言葉は、紛れもなく私を不要な存在と断じるものだった。

「なぜそんな人間が母親面をしてこの場にいるのか、分からないな」

その言葉を聞いて、私の心は折れてしまった。自分はこれまでずっとまゆのために働いてきたというのに、仕事を続けて家計にお金を入れ、その合間に家事を担ってきたというのに、この扱いだ。どうやら私の気持ちはまゆに届かなかったらしい。

別れの覚悟を決め、私は静かに呟いた。

「そうね。私はあなたのお母さんにはなれなかったみたい」

その場にいた全員から冷たい視線を浴びながら、私は病室を後にした。その背中を追いかける者は誰もいなかった。

こうして私の18年間の献身は、誤解と嘘の末に踏みにじられてしまう。しかし、この時まゆは気づいていなかった。私の献身よりも、祖母である信の呪いのような嘘を信じてしまったことが、いずれまゆ自身の人生を根元から揺るがす種となることに。

その後、まゆが産気づいたようだが、私は病院には向かわなかった。そして、まゆが無事に子供を出産したという知らせは、病院からでもなく、陣からでもなく、まゆ本人からでもなく、火政府仲間から聞かされた。ある時、仕事先で「孫が生まれたんですって。大変だったみたいね」と声をかけられ、無事にまゆの子供が生まれたことを知ったのだ。

「そうみたいね」

その言葉に、私は少し頷いただけだった。無事出産したことに安堵したものの、もう自分はあの家族の輪の外にいるのだという現実を思い知らされる。

まゆに会いに行きたい。孫の顔を見たいと思わなかったわけではない。だが、あの病室での冷たい視線、まゆの吐き捨てるような言葉を思い出すたび、どうしても会いに行こうとは思えなかったのだ。どうせ行ったところで「何をしに来たのだ」と言われかねない。

「とにかく無事に生まれてよかった」

私は一人で祝福の気持ちを込めて、小さく手を合わせた。これでいい。まゆは育ての親である私のことよりも、祖母である信の言葉を信じてしまった。そして私のことを見下し続けたのだ。自分はもう必要とされていない。だから、このまままゆたちの前から完全に姿を消そうと考えた。

それから2週間近くが経過したある日、私は家で一人、夜ご飯をどうしようかと考えていた。すると、夕方の薄暗いアパートの廊下に、乱暴に扉を叩く音が響き渡る。

「お母さん。お母さんいるんでしょ?」

この声は。私は息を飲んだ。その声はまゆのものだった。こんな時間に、こんな勢いで尋ねてくるなんて、ただごとではない。

「まゆ?」

扉を開けると、まゆは髪も乱れ、目を真っ赤にして立っていた。その顔からは悲惨なオーラが漂っており、幸せな子育ての真最中とは思えないものだった。子供はどうしたのだろうか。

「どうしたの?一人で来たの?子供は?正友さんは?」

問いかける暇もなく、まゆは私に飛びついた。

「お母さん、私もう誰も信じられない。どうすればいいのか分からないわ」

興奮している。

「まゆ、落ち着きなさい」

体を震わせるまゆを、私はそっと室内へと招き入れた。

「で、何があったの?」

ソファーに座らせ、温かいお茶を差し出す。

「さあ、それを飲んで、落ち着いたら聞かせてちょうだい」

すると、まゆは湯呑みを手に泣き始め、途切れ途切れに説明を始めた。

「昨日、出産祝いの連絡もなかったけど、どうやら出産祝いの席が設けられていたらしいの」

「へえ、そうなんだ」

複雑な思いで相槌を打つ。

「その席には平野の家の親戚がみんな集まっていたんだけど、そこへお父さんが来たの」

私は眉をひそめた。嫌な展開の一つが頭をよぎる。

「お父さんは酔っていた」

嫌な予感は的中したようだ。

「出産祝いの席に、酔っ払い足で入ってきたの。おまけにご祝儀を持ってきたんじゃなくて、思い出すだけでも辛いのか、人のことを話すまゆの唇が震えている」

「逆に私たちにお金を要求してきたのよ。『お前だけが頼りだ』って。『ち恵子が金をくれないから、俺を助けろ』って。みんなの前でわけのわからないことをまくし立てて」

私は目を閉じた。あの男がついにそこまで落ちたのかと。まゆは平野の家親族一同の前で、身内の恥を晒したらしい。

「お父さんはお酒でフラフラしながら、『私とお前たちは俺の娘とその夫だろう。だから俺を養う義務がある』って言うのよ。相変わらず自分勝手な言い草だ」

「当然だけど、親戚はドン引きで、正友の両親は顔を真っ赤にして怒ってた。私、何が起きたのか分からなくて。お父さんはあんな人じゃないはずなのに」

まゆは言葉を続ける。

「お父さんが『母さんが金をくれない』って言った時、親戚たちはみんな私を見たのよ。『お前の母親が金食い虫だったんじゃないのか。私は本当に育児放棄されてたのか』って」

「落ち着いて」

私はまゆの震える手をそっと包んだ。

「まず言わせてもらうけど、お父さんはこれまでと何も変わっていないの。それはいつも通りのお父さんの姿よ」

まゆが驚いたように顔を上げる。

「へ?」

「あなたのお父さんは昔からずっとああいう人だったの。これまでは私がお金を渡していたから、あなたに被害がいかなかっただけ」

陣は全く子育てに協力しなかった。そのため、まゆと関わる機会が少なく、まゆも陣の本性を見抜けなかったのであろう。私は淡々と真実を語り始める。

「あなたのおばあちゃんがよく言っていたわね。義母の信はよくまゆに嘘を吹き込み、私の印象を悪くしていた。『あなたの母さんは金食い虫で、家を開けて男を作って、生活が不安定なのは私の浪費だ』って。でも、あれは全部おばあちゃんが作った話なのよ」

まゆの瞳が大きく見開かれる。

「私は火政府として働いていたの。家を開ける時間が多かったのは、あなたを育てるために働き続けるしかなかったから。お父さんが生活費を家に入れなかったからなのよ」

「嘘でしょ?」

「事実よ。だから私が炎上をやめた。今、こんなことになったんじゃないの?」

まゆは唇を噛みしめた。

「じゃあ、私が信じ込んでいたことは?」

しかし、祖母である信の言葉があったとはいえ、食事の用意や洗濯など家事を担っていたのは私である。それだというのに、まゆは私に感謝をするどころか、家事をしてもらって当然とばかりに冷たく当たっていた。火政府だと私を見下し、碌に会話をしようともしなかったため、誤解を解くことができなかったのだ。

私は私で、まゆの実の父である陣がギャンブル狂いの浪費家であることを、彼女に伝えるべきか迷っていた部分もあった。おそらくまゆは、陣がいつも家にいないのは外で働いているからだと思っていたのかもしれない。

「でも、おかげで私は正友の実家で嘘つき呼ばわりされているのよ」

自分は悪くないとばかりに、涙ながらに訴えた。その結果、相手の平野の家でまゆは孤立してしまい、耐え切れずに私の元へ来たという。

「ねえ、お母さん、お願い。お母さんなんだから、なんとかしてよ」

と私にすがりついてきた。

「正友とその両親たちに、私は嘘をついていない。父親と祖母に騙されていただけだって。お母さんの口から説明して欲しいの。もう頼れるのはお母さんだけなのよ」

必死に頼み込んでくる。

「ごめんなさい」

私はまゆの手をそっと包みながら言った。

「残念だけど、私はもうあなたのお母さんじゃないのよ」

まゆの呼吸が止まった。

「へ?」

私は静かに告げる。

「あなたが小学生の時、私は陣さんと離婚していたのだから、もう親子ではないの」

私とまゆは、法的にも完全に親子ではなくなっていたのだ。それを聞いたまゆは、信じられないとつぶやく。

「なんで?じゃあ、どうしてずっと家に来て、掃除も洗濯も仕送りまでしていたの?」

「まゆが成人するまでは頑張ろうって思っていたからよ。でも、ただそれだけ」

まゆは震え、部屋の空気が重く沈んだ。私は正直なところ、義母の信と陣にはうんざりしており、何度も岡本家を見捨てようと考えた。

「あなたのおばあちゃんにも、お父さんの陣にも、とっくの昔に愛想が尽きていたの。でもまゆ、あなたがいたから、私は仕事を続けて、家事も家計も面倒を見ていたのよ」

まだ小学生のまゆのことを考えると、岡本家を完全に見放すこともできず、仕方なく養育費を払い、ついでに家の掃除や洗濯といった家事も行っていた経緯を説明する。

まゆは、血の繋がっていない母親の私が、外で浪費をして遊んでいるどころか、ずっと自分の世話を焼き、金銭的にも面倒を見てくれていた事実を突きつけられた。本来ならば他人であるはずの私のことを、まゆは金食い虫の毒牙扱いをし、火政府だと見下し、平野の家一同の前で恥をかかせたのだ。

その時、まゆのスマホが突然鳴り響く。画面には「正友」の文字が。

「どうしたのかしら?」

まゆは怯えたように画面を見つめたが、震える指で通話ボタンを押した。

「もしもし」

電話の向こうから、私にまで聞こえるぐらいの音量で、怒りに震えた正友の声が響く。

「おい、まゆ、どうしてくれるんだ?お前の父親が俺の家に来たぞ。うちの両親が経営する食堂に乗り込んできたんだ」

「なんですって?お父さんが?」

正友は興奮していた。

「そうだ。そして『身内だからいいだろ』って、俺たちに金を要求してきたんだ」

まあ、あまりにもひどい。私とまゆの間に一瞬沈黙が流れる。どうやらお金に困った陣は、図々しくもまゆの結婚相手である正友の両親が経営するお店にまで、金銭を要求しに行ったらしいのだ。

正友は説明を続けた。

「お客さんもいるのに、汚く金連呼しやがって。『金がない、かわいそうな俺の面倒を見ろ』って、物乞いみたいなことを言うんだ」

情けない人。電話越しに聞こえる話に、思わず呆れてしまう。物乞いが出入りしているだなんて噂が流れたら、うちの食堂の評判が落ちるだろう。怒るのも無理はない。

「仕事の邪魔をされて、お客の前で恥をかかされて、俺の両親は激怒している。俺も両親と同感だ。まゆ、もう無理だな。お前とは家族になれない」

陣の上気を一する行為により、正友とその両親は、陣だけでなく、陣の娘であるまゆに対しても怒りを抱いてしまった。まゆは正友から別れを切り出される。

みるみるまゆの顔色が変わり、必死で電話越しに泣きついた。

「やだやだやだやだ。待ってよ。私、私はあの男とは関係ないの」

「うるさい。そんな父親に育てられた人間を信じられるか。お前のことは信用できない」

そして正友は冷たく言い放つ。

「子供は俺たちが育てる。もう連絡してくるなよ」

無常にも通話は切れた。まゆはその場に崩れ落ち、床に手をついて泣き叫んだ。

「やだ、私の子なのに。なんで」

私は黙って見守った。慰める言葉はない。今この瞬間、まゆは初めて、信の嘘、陣の本性、自分が信じていた家族のろさを思い知ったのだから。

またも扉が激しく叩かれた。

「ち恵子、開けてくれ」

それは陣の声だった。私が扉を開けると、そこにはお酒の匂いを漂わせた陣の姿が。

「まあ、またどこかで飲んできたのね」

アルコールの匂いに、思わず鼻を手で覆う。そんな私に構わず、陣は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。

「なあ、ち恵子。今までみたいに金を融通してくれよ。頼む」

私は元夫に対して、淡々と答えた。

「今まで、あなたのためにお金を融通したことはないわ」

「嘘つくなよ。まゆのためって言って金を送ってきたじゃないか。また頼むよ」

その言葉に、まゆが顔を上げた。

「へ?私のためのお金?」

そうね。確かにまゆのためにはお金を入れていたけど。しかし、まゆにとっては初耳のようだ。

「そんなの聞いてない」

そして、まゆは何かに気づいたような表情になり、恐る恐る陣に確認する。

「まさか、私のためのお金を全部、お父さんが?」

陣は酔っているせいか、娘の前だというのに事実を隠すことなく叫んだ。

「そうだよ。お前の母親は、まゆのためと言いながら金を送ってきていたんだ。その金を俺がちょっとぐらい使ったっていいだろう」

「いいわけないじゃない。そんなの知らないわよ」

どうやら最悪なことに、陣はまゆのためのお金を自分のギャンブルに使ったというのだ。

「なんせ俺はまゆの父親なんだからな」

と、陣はふんぞり返った。父の言葉に、まゆは動揺している。

「そんなひどい」

「うるさいな。借金を返すのに必要だったんだよ。むしろお前は娘なんだから。今後は父親に協力する立場なんだぞ」

陣は今度は娘にたかり始めた。許せない。

「お父さんのせいで、私がどんな目にあったと思っているのよ」

長年に渡る父親の裏切りを知ったまゆは激怒し、二人は私の目前で激しい口論を始めた。私はスマホを取り出す。

「困ったわ。他人の親子が家で暴れているわね」

短く言って、110番に電話をかけた。陣は驚き、私の腕を掴もうとする。

「待てよ。通報すんなよ。家族だろう。俺たちは家族だろうが」

私は冷たく言った。

「いいえ、あなたもまゆも、私とはもう何の関係もないわ」

その言葉は、自分の中で18年間の苦しみを終わらせる最後の言葉だった。まゆは泣き、陣は暴れ、警察のサイレンが近づいてくる。そして私は静かに警察を招き入れ、後のことは警察に任せた。二人は厳重注意を受け、私とは関わらないよう厳しく言い聞かせられ、家を追い出された。

こうして慌ただしい一日が終わる。その翌日、まゆの全てが壊れたのは一瞬だった。正友からまゆの元へ正式に別れの連絡が入る。

「前にも言った通り、お前の家族とはとても関われない」

それは冷たい声だった。生まれたばかりの子供は平野の家が引き取り育てると一方的に告げられる。まゆには面会すら許されなかった。

それでもまゆは私にすがりついた。

「お願い。お母さんしか頼れる人がいないの。助けて」

だが、私は静かに首を振る。

「だから言ったでしょ。私はもうあなたのお母さんじゃないって」

私は完全にまゆを見放した。

「まゆ、あなたはもう成人したのよ。私はずっと元火政府で、元ママでしかなかったの。あなたの人生は、あなたの責任で生きるのよ」

その言葉に、まゆは崩れ落ちるしかなかった。

私からの仕送りが止まり、まゆは大学を退学となってしまう。仕方なくまゆはアルバイトを始めるが、容赦なく陣がその金を奪っていった。居場所を失ったまゆは、陣から逃げながら安いアパートを点々とするようになる。

一方で、私の新たな人生は静かに、しかし力強く動き出した。火政府として30年近く培った技術をSNSで発信すると、またたく間に話題になる。掃除、料理、整理整頓の裏技など、全てが人々の生活を支えた。やがて書籍化の依頼が舞い込む。出版された一冊はベストセラーとなり、私は人気プロ火政府としてテレビにまで出演するようになった。

私は画面の中で家事のコツを語り、みんなから賞賛の拍手を浴びる。まゆはその姿を、狭いアパートの小さなテレビでぼんやりと見つめた。

「あの人はもう、私のことなんて振り返らないんでしょうね」

胸が痛んだが、それは仕方のない痛みだった。まゆはようやく理解した。自分が全てを手放してしまったのだと。

こうして、私を都合よく火政府扱いしてきた人間たちから解き放たれた私の人生は、ようやく本来の光の中に戻っていったのであった。

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