義姉が「5万程度しか入れてないくせに」と笑った瞬間、私は背筋が凍った。その言葉は、私の財布の中身を毎日のように確認していた証拠だったから。義実家で同居して2年、離婚して出戻ってきた義姉と義母の態度は日増しにエスカレートし、家事も生活費も私一人に押し付けられていた。それでも我慢できたのは、優しい義父の存在があったから。だが、財布からお金が消えるようになり、ついに現場を押さえた私に、義母は「やっ…

義姉が「5万程度しか入れてないくせに」と笑った瞬間、私は背筋が凍った。その言葉は、私の財布の中身を毎日のように確認していた証拠だったから。義実家で同居して2年、離婚して出戻ってきた義姉と義母の態度は日増しにエスカレートし、家事も生活費も私一人に押し付けられていた。それでも我慢できたのは、優しい義父の存在があったから。だが、財布からお金が消えるようになり、ついに現場を押さえた私に、義母は「やっ...

「みちこ、離婚してくれ。頼む」

その言葉を聞いた瞬間、夫という存在が一瞬で遠いものになった。インターホン越しに現れた若い女は、夫の浮気相手だと名乗り、妊娠していると言い放った。何も言えない夫の代わりに、私は彼女を家へ上げた。外で騒がれるよりはましだと思ったからだ。

「奥さんとは別れるからって言ったじゃない」

彼女は勢いよくまくし立てた。夫は青ざめた顔で黙り込む。私は防寒していたつもりだったが、その言葉に思わず声が出た。子供が欲しいと言っていたのは私との子供ではなかったのか。なかなか子供ができないと悩んでいた私を他所に、他の女を妊娠させていたのか。

「こんなおばさんより私の方がいいってずっと言ってたの。だから早くこれ書いて、離婚して」

差し出された離婚届けを私は受け取った。悔しさで頭が真っ白になりながらも、私は冷静さを取り戻した。絶対に離婚はしない。少なくとも、この女が子供を産むまでは。

「絶対嫌よ。1年後、覚悟しててね」

そう言って、私は夫と愛人をまとめて玄関から追い出した。

その夜、私は一人で考えた。夫に捨てられて可哀想な女になるくらいなら、私から捨ててやる。そのためには、今は離婚を引き延ばすしかない。夫に依存されていると思わせて、私のことを大事に思わせる。1年あれば、夫の気持ちを私に戻せる自信があった。

翌日、私は夫にメールを送った。

「話したいこともあるし、顔も見たいから一度帰ってきてほしい。今日はあなたの好きなハンバーグを作って待ってるね」

その日の夜、夫は帰ってきた。私は笑顔で迎え、夫の好きな料理とワインを用意した。食事を終えた夫がほろ酔いになった頃、私は言った。

「私、健一に捨てられたら生きていけないよ」

夫は少し複雑そうな顔をして考え込んだ。

「確かにみちこの料理はうまいし、比べると先輩は料理もできない。でも、俺の子を妊娠してるって言うしな」

「それは産んでくれても構わないから。とにかく今は離婚したくないの」

そう言うと夫は「分かった」と言ってワインを飲み始めた。

それから私の生活は変わった。今まで以上に夫に尽くした。風呂掃除もゴミ出しも、全部自分でやった。考えるのは夫がどれだけ快適に過ごせるかだけ。夫は私に優しくなり、家にいる時間も増えた。それでも夫のスマホには愛人からの連絡が絶えなかったが、私は知らないふりを続けた。

そんな生活が9ヶ月続き、ついに愛人の子供が生まれたらしい。あれ以来会っていなかった彼女がどう思って出産したのかは知らない。夫もそのことについては何も言わなかった。問題は何も解決していなかった。

そしてちょうど1年後、私は夫に愛人を呼んで話し合いの場を設けさせた。ただし、今回は家の中ではなく、マンションのロビーにあるコミュニティスペースだ。

「どうして家の中の方がいいんじゃないのか」

夫が耳打ちしてきたが、私はきっぱり断った。

「私は他人を家にあげるのは好きじゃないの。話をするだけならここで何の不都合もないでしょう」

愛人が席につくなり、声を荒げた。

「いつ離婚してくれるの?」

夫はか細い声で答えた。

「だから、別れるのはお前の方だ。子供だって勝手に産んだんじゃないか」

その言葉に私は呆れた。夫は続ける。

「それは気持ちが変わったんだ。やっぱりみちこの方が料理もうまいし、尽くしてくれる」

愛人がますます怒り始めた。

「じゃあ、嘘だったって言うの?パパに言うんだから。そうしたらあなたなんて首だからね」

どうやら彼女の父親は夫の上司か会社の偉い人らしい。それで夫も逆らえなかったというわけか。しかし夫は得意げに言った。

「俺を首に?別にそんなの痛くも痒くもない。俺ほどの男が再就職できないと思うか?それに俺の妻は働いてるんだ。俺には劣るけど、2人で暮らしていくには十分な収入もある」

私は言いたい衝動をぐっとこらえて涼しげな顔をしていた。愛人がテーブルを叩きながら言う。

「だったら今すぐ首にしてもらうから。もうあなたなんか知らない。でも養育費は払ってもらうからね。認知だってしてもらう」

「冗談だろう。勝手に産んだ子供だ。俺は認知なんてしないよ」

またしても得意げに言う夫。そこで私はようやく口を挟んだ。

「健一、知らないの?あなたが認知しなくても、強制認知と言って裁判所に認知を求める申し立てができるのよ。親子関係が立証できれば、ほぼ確実に認知することになって、もちろん養育費の支払い義務も発生するのよ」

夫は顔色を変え、愛人は私の顔を見て笑った。

「奥さん、詳しいんですね。じゃあ、私は健一から養育費をもらえるってことですよね」

なぜか私を味方のように見てくる愛人を私は一瞥した。

「勘違いしないで。私は別にあなたの味方じゃないの。それに、人の話聞いてた?『親子関係が立証できれば』って、この意味分かる?」

そう言うと、2人が私の顔を見たので私は続けた。

「私はあなたのことを調べるよう探偵事務所に頼んだの。そうしたら、あなた、他の人とも付き合ってるそうね」

愛人は一瞬で顔色を変えた。

「相手は健一の同僚だって。しかも彼も既婚者。あなたは人のものを取らないと気が済まないのかしら。既婚者2人を手玉に取っている気分はどうだった?おまけに妊娠までして、一体どっちの子かしら?まあ、あなたは分かってるんだろうけど、2人を天秤にかけて、役職も高く収入も多い健一の方を選んだそうよね」

愛人はもう顔面蒼白で、今にも椅子から転がり落ちそうだ。それを見た夫は勝ち誇ったように言った。

「はあ、お前、俺だけじゃなかったのかよ。しかも同僚ってあいつかよ。まさか同じ会社内で浮気されるとはな。それにお前、分かってるって俺の子じゃないってことだろ。まあ、俺の子じゃないって分かってよかったよ。これで俺は離婚を迫られることも養育費を請求されることもないんだもんな。ほら、もう俺は関係ないんだから、さっさと帰れよ」

そう言われても愛人は動けないようだ。私は持っていた荷物の中から一枚の紙を夫に差し出した。

「今すぐ書いてくれる?」

笑顔で言う私を、夫は目を丸くして見てくる。

「どうして?どうしてって?浮気して妊娠までさせるような男と結婚生活なんて続けていくわけないでしょ」

「でも、俺の子じゃなかったんだし」

「はあ?それは結果論。浮気したことには変わりないんだから。そんなの関係ないわよ」

「だって、俺のために尽くしてくれただろう」

夫は私の策略にまんまとはまってくれた。私が献身的な妻を演じていたのは、証拠も不十分な状態で離婚したら不利になると考えたからだ。それに、浮気相手や浮気をした夫に迫られるまま離婚するなんて、私のプライドが許さなかった。あの時離婚していたら、2人は結婚して家庭を築いて、私は捨てられた女になっていた。そんなのは嫌だった。だから私から離婚してやるんだと決めて、そのために夫に尽くす妻を演じてきた。夫の態度がだんだん変わってきて私に依存し始めた時は、心の中で笑った。

「健一に捨てられたら生きていけないって言ったのも、あなたが快適な暮らしができるようにしていたのも、全部、私から離婚を言い渡すため。ちなみに赤ちゃんの件は、探偵事務所を雇ったらそういう結果だったのよね。まさか二股してるなんて思わなかったから、私も驚いたわ」

案の定、夫は私にすがりついてきた。

「気づいてないと思うけど、私、いつでも家を出られるよう自分の部屋に荷物をまとめてあるの。これから運び出すわ。あと、その前に、里奈さんのお父さんにも事実を伝えないとね。お父さんに車で送ってもらったんでしょ」

そう言って外に出ると、愛人の父親が車で待っていた。私が真実を伝えると、父親は激怒した。健一が既婚者との子供を妊娠しても怒らなかったのに、二股をかけていたこと、そして相手が自分のことを違う人間だと思っていたことで爆発したようだ。きっと父親は、健一が私と離婚するのを前提に娘と付き合っていたのだと思っていたのだろう。健一が最後まで離婚をしないと言い張ったので、父親の怒りの矛先は健一にも向いた。最後の方は、父親自身も何が起こっているのか分からなくなったのかもしれない。私は事実のみを伝えて、とにかく落ち着いて娘と一緒に家に帰るように促した。

愛人を乗せた車が去るのを見届けると、私は前々から頼んでいた業者を呼び、荷物を運び出す段取りを取った。すがりついてくる夫を一蹴して、荷物を持ち出した。

「どっちにしても、もうここになんて住めないでしょ。あそこで話している間、みんなあなたたちのこと見てたわよ。このマンション、噂好きな人が多いから、結構すぐに広まっちゃうのよね。私も聞きたくもない噂をよく耳にしたし。私は出ていくからどうでもいいけど、あなたはまだここに住むの?早く考えた方がいいわよ。それに、ここのところあなた、散々浪費してきたから、貯金なんてないでしょ。この家、売らないと慰謝料も払えないかもね」

実際、半年ほど前、私は昇進して給料が上がった。それを知った夫は、私が生活費を払えばいいと言って、自分の給料はパチンコに注ぎ込んで浪費していた。元々パチンコ好きだったが、私と結婚する時にやめることを条件にしていたから、ずっとやっていなかった。しかし自由になるお金ができた途端、元の生活に戻ってしまったのだ。センスがなくて勝てないんだから、やめればいいのに。

離婚届けは書いてもらったが、もう顔も見たくなかった。その後の細かい手続きは弁護士に任せた。慰謝料を請求し、思った通り貯金で賄えなかった慰謝料は、マンションを売ってお金を作ったようだ。夫の会社では噂が広まり、結局居づらくなって退職。就職活動も上手くいっていないらしい。マンションはそれなりの金額で売れたはずなのに、パチンコに注ぎ込んで、今ではボロアパートで暮らしているという。愛人への慰謝料請求も進み、全額支払ってもらった。彼女は実家から追い出され、赤ちゃんは祖父母の元で暮らしているようだ。

私は夫と離婚してから、予定通り地方のプロジェクトに携わり、今では空気の綺麗な田舎で楽しく生活している。私はこの結果に満足している。

「迷惑をかけるけど、ごめんなさいね。少しの間、よろしくお願いします」

義姉が離婚して実家へ帰ってきた。義姉によると、価値観の不一致や旦那さんのひどいモラハラが原因だそうだ。義実家には私たち夫婦がすでに同居していたため、義姉は私と夫に申し訳なさそうに頭を下げていた。すぐに新しい仕事と住まいを見つけて引っ越すと聞いていたので、私は「ご実家なんですから、気にしないで心を休めてください」と声をかけた。この義姉の出戻りが私を悩ませるようになるとは、その時は知らずに。

私の名前はあめ。パートに通う31歳の主婦だ。夫は仕事が忙しく、現在は長期出張中。元々は夫婦で賃貸暮らしをしていたが、義母の強い要望で義実家での同居を始めた。

「息子は出張が多くて、あめさんが心配よ。同居したらその分家賃が浮いて貯蓄もできるし、私たち夫婦もそろそろ年だから、あめさんたちがいてくれたら安心だわ」

夫から義母の提案を聞いた時は少し驚いたが、私は了承した。当時は義実家と良好な関係だったし、何より私がお気楽だったのだ。同居して2年。今では正直後悔している。最初は義両親と仲良く暮らせていたのだが、昨年に義姉が離婚で出戻ってきて、私の生活は一変した。

「ああ、あめさん、今日は夕ご飯にとんかつが食べたいわ」

買い物帰りに寄ったスーパーの袋をどさっと置き、義姉が言った。私は言葉を突っぱねた。

「いや、急に言われても、今日はサンマを焼く予定なので無理です」

影から様子を見ていた義母が口を挟んでくる。

「玲子ちゃんの大好物がとんかつだって知ってるわよね。家族の好物にも気を配った献立にしてもらわないと」

「すみません。次は気をつけますね」

適当に返事をし、義母の嫌みを聞き流した。離婚して出戻ってきた時の、しおらしい態度の義姉はどこにもいない。今思うと、私と夫に頭を下げたのは演技で、最初から義実家につくつもりだったのだと思う。義母も最初はとても優しかったのに、すっかり義姉の言いなりだ。今では義姉と一緒に私に嫌がらせをして、奴隷のように扱う毎日。家事は全て私がやっており、パートにも行っているため、私はいつもヘトヘトだ。義姉は家事をしないのはもちろん、生活費も入れない。義母と揃ってゴロゴロしているか、ケバケバと着飾って外出するかのどちらかだ。

さっさと同居を解消すればいいと思うものの、夫は出張が多く話し合いもままならない。もう一つ、理由があった。気がかりなのは義父だ。夫の不在が多い中、私が心折れずにいられるのは優しい義父の存在が大きい。義父も義母同様に義姉を可愛がって育ててきたそうだが、私をこき使う義母と義姉を見かねて、しっかり叱ってくれていた。

「可愛い娘だが、間違いは叱らないと。しかしその度に『自分の娘の味方をせずに嫁の方を持つなんて、あなたそれでも父親なの?本当にダメ夫なんだから』と逆に義母に怒られてしまっている」

私と夫がこの家を出たら、今度は義父が私の代わりに奴隷のようにこき使われ、馬鹿にされるようになるのではと心配なのだ。

私は夫婦の寝室として使っている部屋に着き、大きくため息をついた。鞄から財布を取り出して、今現在入っているお札の枚数を数えてノートに記入する。記入をするのには、もちろん理由がある。1年前、義姉が出戻ってしばらく経った頃、時々財布の中身が減っていると気がつくようになった。

「またお金が減ってる」

初めは数百円の小銭の違和感から始まり、金額がだんだんと増えていった。お金に細かい性格の私は、自分の違和感を信じて途中から記録を取るように対策。数万円なくなった時には、思わず笑ってしまうほど確信できた。やはり誰かが私の財布の中からお金を抜いていたのだ。しかも、額と回数でどれだけ私を甘く見ているかが分かる。財布を常に持ち歩くなど対策もしたが、「家事の最中に財布なんて持ってたら邪魔でしょ」と義姉に怒られた。身内を疑いたくないが、怪しいのは義姉だ。義姉は離婚後働いていないのに外出する頻度が高い。お金をどうしているかが謎だ。以前夫に相談もしたが、何せ証拠がなかった。

「次は絶対証拠を掴んでやる」

犯人は私の行動をよく見ているのか、なかなか隙を見せない。私は記録したノートを閉じると、エプロンを着て部屋を出た。

ある日、私はいつものように義母に押し付けられた家事をこなしていた。少し休憩しようと思い、部屋へ向かうと、義姉が扉を開けて私と夫の部屋の中へ入っていくのを目撃した。とっさに財布のお金が頭をよぎる。これは現場を抑えるチャンスだ。気配を消して踏み込むと、薄暗い室内で義姉が私の財布を握った状態で固まっていた。しかも財布の中に指を突っ込んでいる状態で、これは決定的だ。

「何をしてるんですか?」

私の落ち着いた声に、義姉は慌てて財布の口を閉じる。

「え、な、何って?お財布が廊下に落ちていたから、鞄に入れておいてあげようと思っただけよ」

「財布の中に指まで入れて、何を言ってるんですか?玲子さんの話が本当なら、そこまでする必要ないですよね」

私に疑われていると察したのか、義姉は引きつった表情で笑う。

「私を疑ってるの?私はお金なんて取ってないわよ。いつも5万程度しか入れてないくせに、自意識過剰じゃない?」

義姉は大声を上げて、持っていた財布を私の鞄の中に乱暴に戻し入れた。

「以前から財布の中身が減ってる時があったんです。正直に答えてください。玲子さんが抜いていたんじゃありませんか?」

義姉が犯人だと確信した私は、はっきりと義姉に問いかけた。確かに私はいつも「急に何かあっても大丈夫なように」と5万くらいは財布に入れておくようにしていた。だが、その習慣を知っているのは私だけだ。

「なあ、どうしたの?」

義姉の大声を聞きつけた義母が、顔を覗かせる。義姉はチャンスと言わんばかりに義母にすがりついた。

「お母さん、聞いて。私が、あめさんの財布からお金を盗んだって疑うの。しかも、今まで何回もやったっていうのよ」

義姉の訴えで、義母は鬼のような形相で私を睨んだ。

「あめさん、あなた、玲子ちゃんに何てことを言うの?」

「玲子さんが帰ってきてから、何度も財布からお金を抜かれていたんです。今もこうして玲子さんがこの部屋に無断で入って、財布を触っていたのを私は見ました」

問答無用で義姉の肩を持つ義母に、私の必死の訴えは効果がない。一瞬、頭の中で「スマホで証拠を撮ればよかった」という後悔が浮かぶ。現場を抑えることばかりに頭が行ってしまっていたのだ。

「なんて恐ろしい嫁かしら。玲子ちゃんを泥棒扱いするだなんて信じられない。やっぱり元々は他人ね。大体、あめさんは自意識過剰なのよ。もしかして被害者ぶって、周りの気を引きたかったんじゃない?」

義母の「他人」という言葉が、ガツンと私の頭に衝撃を与えた。まだ同居して2年と短いが、私は夫の嫁として、そして家族として努力をしてきたつもりだったのに。ああ、もう我慢の限界だ。私は何も言わずに部屋を出て、サンダルを突っかけて外へ出た。

「ちょっと、ご飯も作らずにどこに行く気?」

義姉の声が聞こえてきたが、知ったことじゃない。早足だった歩みが、だんだんと減速していく。辺りはすっかり暗く、風が冷たい。外に出たはいいが、このままどこへ行くというのか。しかも、室内着にエプロン、足にはサンダルという格好だ。スマホも財布も持っていない。とぼとぼと歩いて公園のベンチに座っていると、声をかけられた。

「あめさん、こんなところでどうしたんだい?」

スーツ姿の義父が、不思議そうに私を見下ろしていた。

「そのエプロン見慣れてるから、遠目でもすぐに分かったよ」

そう言われて、私は少し恥ずかしくなる。このエプロンは、同居を受け入れてくれたお礼だと義母にもらったものだ。義父が差し出した缶コーヒーを受け取り、私は感謝を述べる。その瞬間、抑えていた感情が一気に溢れて、私は泣いてしまった。義姉が出戻ってから時々財布の中身が減っていたこと。今日ついに現場を抑えたが、義母に信じてもらえず、義姉と義母に揃って暴言を吐かれたこと。私の話を全て黙って聞いていた義父は、私に深く頭を下げた。

「妻や玲子の普段の様子も目に余るというのに、本当にすまない。2人の悪態を止められなかった俺に責任がある」

「前から考えていた」と前置きして、義父が言葉を続ける。

「この際、同居を解消したらどうだろう?あめさんがこんな苦労をするなんて。俺もそうだが、息子も望んでいないはずだ」

義父の提案に私は驚いた。ありがたい申し出だが、私がいなくなった後の義父のことを思うと、やはり胸が痛む。

「とにかく帰ろうか。少し高めのお弁当でも買っていけば、2人は文句を言うのも忘れてしまうさ」

言葉に迷っていると、私の心を見透かしたように義父は微笑んだ。

私が義父と一緒に義実家へ戻ると、想像通り義母と義姉が文句を言いながら詰め寄ってくる。夕ご飯として買ってきたお弁当を手渡すと、ゴロッと横を向き、私には見向きもしなくなった。私は義父の気遣いでそのまま部屋に戻り、夫に電話をかけた。同居解消の相談と今日の出来事を話すために。

1週間後の夜、義母と義父、そして私の3人で夕食を取っていると、玄関の扉の音が耳に届いた。今日の昼間に外出した義姉が帰ってきたようだが、凄まじい音だ。ドスドスと廊下を踏み鳴らし、鬼の形相で義姉が姿を表す。

「玲子、もっと静かに帰ってきなさい」

義父の注意も聞かずに、義姉は私を睨みつけ、自分の財布から鼻息荒くお札を数枚取り出し、テーブルに叩きつけた。それは普段見慣れた日本円の1万円札ではなく、おもちゃのお札だ。本来、福沢諭吉が描かれている場所には、謎のキャラクターが描かれている。

「今日、婚活で知り合った人とデートだったのに、恥をかいたわ」

「玲子さん、婚活されてたんですか?」

私が大げさに驚いて見せると、義姉は顔を赤くした。

「そんなの、どうでもいいわよ。一体どういうつもりなの?」

怒声での大声に、私は顔をしかめる。

「大声を出さなくても聞こえます。玲子さんは私の財布からお金を抜いていないって言うし、お母さんは私を信じてくれないので、試しに財布におもちゃのお札を入れてみたんですよ。やっぱり玲子さんが犯人だったんですね」

それにしても、おもちゃのお札だと気づかずに外で使うとは。私の財布からお金を抜くのが習慣化していたせいで、金額も確認しなかったのだろう。部屋のカーテンを閉めておいたので、薄暗かったのも原因かもしれない。どんな人とデートしていたのか知らないが、一番驚いたのはお相手の男性だろう。私の指摘で自白してしまったと気づいた義姉は、固まっていた。

義姉の視線の先で、義母は「信じられない」と驚いている。

「玲子ちゃん、私からのお小遣いじゃ足りなかったの?私のへそくりから毎月3万円も渡していたのに。まさか、あめさんの言っていたのが本当だったなんて」

義父は元々私の話を信じてくれていたので、義姉を呆れた表情で見つめていた。

「お前、俺に黙ってそんなに玲子に渡していたのか?」

義母が義姉に毎月多額のお小遣いを渡していたと発覚し、義父はさらに呆れてため息をつく。義姉は言い訳がましく弁解を語っていた。

「え、だ、だって、再婚したらまた専業主婦して楽に暮らせるし。仕事見つけて一人暮らしとか、面倒くさいことだらけでしょ」

そんな理屈があるか。色々突っ込みたいが、義姉の婚活のために私のお金を使われたと思うと、怒りを通り越して笑ってしまいそうだ。義姉は義母に視線を送るが、義母は目をそらしている。もう味方はいないと悟った義姉は、さらに怒りを募らせた。

「たかが数万で大げさなのよ。2度も恥をかかせて許せない」

バッと手を振り上げた。私はとっさに目をつぶったが、義姉の手が私に当たる気配はない。目を開けると、夫が義姉の腕を掴んで止めている。ヒーローのように登場した夫に、私も義家族も驚いていた。

「どうして?まだ帰るのは先のはずじゃ」

「仕事が予定より早く片付いたんだ」

私の疑問に、夫が優しく答えた。そして、夫は義母と義姉に向き直る。

「事情はあめと父さんから全部聞いてるよ」

私が義実家を飛び出した日、私は電話で夫と話をした。今までの義母と義姉の暴言、そして、もう我慢の限界だとしっかりと伝えたのだ。夫は私に深く謝罪してくれた。途中からは義父も合流し、スピーカーモードを使って3人で今後の話し合いをすることに。お金をおもちゃのお札とすり替えておいて、義両親の前で義姉の自白を誘うというのは、夫の提案だ。義母の目の前で私の訴えが正しいと証明し、義父と一緒に義姉たちをこらしめるという三段構えだった。

「あめさんの訴えが正しいと分かった。今、母さんと玲子は、きちんと謝るべきじゃないのか」

義父の発言と、怒りを滲ませた夫の表情に、義母と義姉は口をモゴモゴさせている。

「そもそも、新しい仕事と住まいを決めて、すぐに引っ越していくって姉さんが約束したんじゃないか」

夫の言葉に、義母が噛みついた。

「だって、この家は玲子ちゃんの実家でもあるのよ。いくらでもいいじゃない」

「もちろん、あめが辛い思いをしないなら問題なかったよ」

夫が話しながら私に寄り添い、肩に手を置いた。それだけで勇気が湧いてくる。

「お父さんや夫とも話をしたんですが、私は玲子さんもお母さんも許せません。なので、私たち夫婦は同居を解消させていただきます」

義母はショックを受けた顔をした。

「私を『他人』だっておっしゃったのは、お母さんですよ」

私の言葉に、義母はがっくりと肩を落とす。

「そうそう。姉さんの元旦那さんと久しぶりに電話で話したんだけど、本当は姉さんの使い込みとモラハラがひどかったのが離婚理由だそうじゃないか。俺に慰謝料を取らなかったのにって、ひどく怒ってたよ」

これは私も義両親も初耳で、一斉に「えっ」と声をあげた。

「え、ちょ、ちょっと、なんで勝手に連絡してるのよ」

「俺たちに嘘をついていた姉さんが悪いんだろ。元旦那さん、やっぱり姉さんには慰謝料をしっかり請求させてもらうって言ってたぜ」

義姉は怒りで真っ赤にしていた顔を、今は恐怖で真っ青にして震えている。何でも夫は以前から義姉の離婚理由に疑問を感じていたらしい。義父の話を聞いて、思い切って電話してみたのだそうだ。いよいよ義姉は半べそ状態。

「どうでもいいですけど、玲子さんが私の財布から抜いた金額は、きちんと記録取ってますから、しっかり返してくださいね」

私の言葉がとどめとなり、義姉はその場にヘナヘナと座り込んだ。

そして半年が経った。私と夫が義実家を出ていった後、義両親は義姉を追い出したそうだ。義父によると、義母はすっかり目が覚めたようだ。今では別人のように家事もしているらしい。絶縁にはならなかったが、今後必要がない限り義母と距離を置こうと決めている。義姉が私の財布から抜いたお金は、分割ではあったが、義姉が働いたお金で無事に返ってきた。しかし義姉は、元旦那さんの怒りを買い、結婚当時のモラハラなどの慰謝料を請求されてしまったのだとか。元旦那さんのせいで離婚したと周囲に話していたのだから、自業自得だ。

先日、私宛てに義母から謝罪の手紙が届いた。一瞬、同居を開始した直後の優しい義母との思い出が蘇える。しかし、してしまった事実というのは、決して取り消せないのだ。今は夫の仕事も落ち着き、夫婦2人で幸せな生活を送っている。私は誰かの愛情に甘えきったり、自分の手で大切な人を傷つけないよう、心がけていこうと思う。

Thumbnail