十一月の東京、雨上がりの街で、俺は一千万円の寄付金の目録を掲げてカメラの前で笑っていた。その時、七年ぶりに元妻の由奈が子供食堂から出てくるのが見えた。彼女の両手には、六歳くらいの双子の子供たちがいた。目が合った瞬間、由奈はまるで知らない人を見るように無表情で俺の前を通り過ぎた。「ママ、あのおじさん、なんで僕たちを見てるの?」子供の声が胸に突き刺さった。「知らないわ。行きましょう」由奈の声は氷…

十一月の東京、雨上がりの街で、俺は一千万円の寄付金の目録を掲げてカメラの前で笑っていた。その時、七年ぶりに元妻の由奈が子供食堂から出てくるのが見えた。彼女の両手には、六歳くらいの双子の子供たちがいた。目が合った瞬間、由奈はまるで知らない人を見るように無表情で俺の前を通り過ぎた。「ママ、あのおじさん、なんで僕たちを見てるの?」子供の声が胸に突き刺さった。「知らないわ。行きましょう」由奈の声は氷...

十一月の東京は冷え込んでいた。雨上がりの街に、濡れた落ち葉がへばりついていた。田中快斗は二十万円のオーダーメイドコートの襟を立て、子供食堂の前に立った。自身が創業した会社、イノベテップ・ジャパンの年末社会貢献イベントだった。会社は今や年商三百億円を超える中堅に成長していた。食堂の入り口にはすでに長い列ができていた。フリースのジャンパーを着た老人たち、黒いビニール袋を下げた中年女性たち、そして何人かの子供たち。快斗はカメラの前で明るく微笑み、一千万円の寄付金の目録を掲げたが、心の中では早く終わることだけを願っていた。

その時だった。食堂の中から出てくる一人の女性の後ろ姿が目に留まった。肩まで伸びたボブヘア、古びたグレーのダウンジャケット。そして両手に一つずつ握られた小さな手。心臓がドキリと音を立てた。女性が顔をこちらに向けた。その瞬間、快斗は息が止まるかと思った。由奈だった。七年前に離婚した元妻、佐藤由奈がそこにいたのだ。由奈の顔は以前よりずっとやつれて見えた。頬骨が浮き出て、唇は血色なく乾いていた。高級ブランドのバッグを持ち歩いていたあの由奈が、今では使い古されたエコバッグを下げている。しかし快斗をさらに驚かせたのは、由奈の両脇に立つ二人の子供だった。そっくりな顔をした男の子と女の子。六歳くらいに見える双子だった。

由奈と快斗の視線が交錯した。一秒、二秒、三秒。由奈の表情には何の感情も浮かんでいなかった。まるで初めて会う人を見るかのように。無表情のまま、快斗の前を通り過ぎていった。ママ、あのおじさん、なんで僕たちを見てるの?男の子の声が聞こえた。快斗の胸が締め付けられた。子供は快斗をまっすぐに見ていた。そのまなざしは不思議だった。見知らぬはずなのに、どこか懐かしい。まるで鏡を見ているかのような感覚だった。知らないわ。行きましょう。由奈の返事は短く冷たかった。彼女は子供たちの手をさらに強く握り、早足で食堂を去っていった。快斗はその場に凍り付いたように立ち尽くしていた。

社長、大丈夫ですか?秘書室長の声に、快斗は我に返った。額には冷や汗が滲んでいた。大丈夫だ。少し目まいがしただけだ。しかし頭の中は、たった今見た光景でいっぱいだった。由奈がなぜ子供食堂に?そして、あの子供たちは誰だ?快斗は急いで食堂の外に出た。しかし由奈と子供たちは、すでに姿を消していた。雨に濡れた通りには、行き交う人々が忙しなく動いているだけだった。

快斗は再び食堂の中に入り、ボランティアの一人である年配の女性に慎重に尋ねた。すみません。さっき出て行かれた若い女性をご存知ですか?双子を連れていた。ああ、由奈さんのことね。一年くらいになるかしら。毎週いらっしゃるけど、本当にお気の毒で。一人で子供二人を育てるのは大変でしょうに。快斗の心臓がまた大きく音を立てた。お子さんたちのお父さんは?さあね。一度も見たことないわよ。聞くところによると、養育費も払ってもらってないらしいじゃない。お金持ちの男だったらしいけど、子供がいることさえ知らないんだとか。最近はそういうひどい男が多いからね。ボランティアの女性の言葉に、快斗は言葉を失った。

快斗はよろめきながら食堂を出た。頭がズキズキと痛んだ。胸は息苦しく、まともに呼吸ができない。五万円の革靴が水たまりを踏んだが、気にする余裕もなかった。道端のベンチに崩れるように座り、手で顔を覆った。七年前の記憶が破片のように蘇ってきた。由奈が病院へ行こうと言った日があった。体調が悪いから一緒に行ってほしいと。しかし快斗は、シリコンバレーの投資家とのビデオ会議があると言って断った。その夜、由奈は一人で救急車で運ばれた。快斗がそれを知ったのは翌日だった。それからしばらくして、由奈は離婚を切り出した。快斗は逆に腹を立てた。会社がどれほど重要な時期かわからないのかと。上場すれば数千億円の資産家になるのに、少しだけ我慢しろと。しかし由奈はただ首を横に振るだけだった。お金が全てじゃないの。もうこれ以上は無理。何が不満なんだ。都内最高級のマンション、会社、ブランド品。君が欲しいものは何でも買ってやったじゃないか。そうじゃないの。由奈は何かを言いかけてやめた。しばらくためらった末に、結局ため息をつくだけだった。ただ離婚してください。何もいりませんから。それが由奈の最後の言葉だった。

快斗は大学の同級生で、唯一由奈と連絡が取れるかもしれない賢介に電話をかけた。賢介は大手法律事務所のパートナー弁護士だった。賢介は由奈の連絡先を知っていたが、こう言った。由奈さんに頼まれたんだ。絶対に君には言わないでくれって。それで、子供たちの父親が君かと聞いたら、違うってはっきり言われた。きっぱりとね。快斗は力なく椅子に座り込んだ。頭の中が真っ白になった。由奈が否定した。では、本当に自分の子供ではないのだろうか。

翌朝、快斗は秘書室長が調べてきた住所へ向かった。東京郊外の古びたアパートが立ち並ぶ一角。レクサスで入るには狭すぎる路地だったため、普通の国産車に乗り換えたが、それでも目立っていた。狭い路地を迷いながら、ようやく見つけたアパートの部屋の前で快斗は息を飲んだ。薄暗い狭い階段、錆びた鉄のドア。由奈がこんな場所に住んでいるなんて。かつて自分と都心の最高級ペントハウスに住んでいた女性が。ドアをノックした。由奈、俺だ。快斗だ。少しだけでいい。話がしたい。その時、ドアがわずかに開いた。隙間から由奈の冷たいまなざしが見えた。用がなければお帰りください。由奈、頼む。あの子供たちは俺の子供なんだろう。あなたには関係ありません。由奈の声は氷のように冷たかった。じゃあ、なぜ苗字が田中なんだ?子供たちの苗字が、なぜ俺と同じなんだ?それに、こんな場所で暮らしながら、なぜ連絡してこなかった?金が必要だったなら。由奈の表情が一瞬怒りに歪んだ。お金、またお金の話ですか?世の中の全てがお金で解決できるとでも思っているんですか?そうじゃない。偶然です。苗字は偶然。もう帰ってください。あなたの会社の株価が下がりますよ。バタンとドアが乱暴に閉められた。

隣の部屋のドアが開き、中年女性が出てきた。あら、朝から騒々しいわね。何事です?すみません。こちらの由奈さんに少し。女性は快斗を上から下までじろじろと見た。高そうな服、高級腕時計。そして軽蔑的な表情を浮かべた。ああ、あのかわいそうな母親をいじめないであげてくださいよ。一人で子供二人を育てるだけでも大変なのに、養育費も払わないひどい父親が、今さら何の用なんです。金持ちだからって、何でも許されると思ったら大間違いですよ。快斗は返す言葉もなかった。

会社に戻った快斗は、一日中仕事に集中できなかった。役員会議中も、ぼんやりと窓の外を眺めていた。夜になると、再び由奈の家の近くへ向かった。今度は目立たないようにレンタカーのセダンで行った。遠くから見ていると、由奈が子供たちと一緒に出てきた。コンビニでおにぎりと牛乳を買う姿が見えた。ママ、お友達はピザ食べたんだって。僕たちも食べたいな。ハルト。来月になったらね。女の子の名前はリナ。男の子はハルト。快斗は胸が張り裂けそうだった。自分は一食に数万円の食事をしているのに、自分の子供かもしれない子たちがおにぎりで食事を済ませている。快斗はコンビニに入り、現金で五千円を渡した。あの子供たちが何を買っても、ここで会計してください。と、外へ出て由奈の前に歩み寄った。子供たちにちゃんとしたものを食べさせてやりたい。断らないでくれ。由奈の顔が一瞬で青ざめた。子供たちを自分の後ろに隠し、鋭く言った。必要ありません。それに、二度と私たちの前に現れないでください。

その夜、快斗は実家を訪れた。母さん、由奈から離婚後に連絡はあったか?あの子が、なぜ急にそんな話をするの?母親の表情が冷たく固まった。快斗は慎重に訪ねた。離婚する時、もしかして由奈は妊娠してなかったか?母親がワイングラスをテーブルに叩きつけるように置いた。何を言っているの?もしそうなら、当然私たちが気づいていたはずよ。まさかあの子が、今になってお金をせびろうと企んでいるんじゃないでしょうね。私が東証マザーズ上場企業のCEOの母親になったからって。母さん、そうじゃなくて。快斗は母親のまなざしに、何か不安げな色を感じ取った。

快斗は再び公園へ向かった。今度はごく普通のカジュアルな服装だった。子供たちはいつも通り、公園で遊んでいた。おじさん、またあったね。ハルトがにっこりと笑った。おじさん、本当に僕たちのお父さんを知ってるの?ハルトの突然の質問に、快斗は息が詰まった。どうしてそう思うんだい?だってね、おじさんを見るといつも変な顔するの。泣きそうな顔して。昨日は家に帰ってから、本当に泣いてた。トイレでこっそり。子供たちは全てを見抜いていた。快斗はハルトの隣に腰を下ろした。ハルト君、お父さんに会いたいか。ハルトがこくりと頷いた。目元が赤くなっている。友達はみんなお父さんがいるのに、僕たちだけいないんだ。運動会とか授業参観とか。快斗は思わず、ごめん。とつぶやいた。リナがブランコから降りて、快斗の前に立った。おじさん、どうして謝るの?その時、快斗は全てを話してしまいたかった。俺が君たちのお父さんなんだ。本当にごめん。今からでも償いたい。しかし、それはできなかった。由奈が望まないなら、子供たちを傷つけるだけだ。ただ君たちが、お父さんがいなくて寂しい思いをしただろうなと思ってね。ハルトが快斗の手を握った。小さくて温かい手だった。大丈夫だよ。僕たちにはママがいるから。ママがお父さんの分まで全部やってくれるんだ。その言葉に、快斗はもう耐えきれなかった。涙が出た。億を稼ぐCEOが町の公園で泣いている。しかし涙は止まらなかった。リナがポケットからくしゃくしゃのティッシュを取り出し、快斗に渡してくれた。ありがとう。君たちは本当に優しい子だね。ママが言ってた。優しくしてたら良いことがあるって。

その時、また由奈の声が聞こえた。ハルト、リナ。今度は怒った声だった。またですか?お願いですから。ママ、おじさんが泣いてたの。僕たちのせいで。リナの言葉に由奈は一瞬戸惑った。快斗の赤い目を見て、何か複雑な表情を浮かべた。行きましょう。おばあちゃんの病院に行かないと。快斗が呼び止めた。由奈。由奈は立ち止まった。振り返ってはいないが、耳を傾けているのが分かった。ごめん。本当にごめん。あの時も、今も。由奈の肩がかすかに震えた。しばらくそうして立ち尽くしていたが、やがて小さな声で言った。謝るべきなのは、あなたじゃありません。私たちとは関係のない人なんですから。しかし、その声には以前のような冷たさはなく、むしろ悲しみが滲んでいた。

快斗は秘書室長に電話した。室長、佐藤さんの実母が入院している病院を調べてくれ。そして最高の医療チームを手配してくれ。病院は匿名で処理するように。翌朝、秘書室長が調べてきた報告書が机の上に置かれていた。由奈と子供たちの日常が記された書類だった。毎朝六時に起き、子供たちを学校へ送り出し、九時から夕方六時までカフェで働き、夜は子供たちと病院へ。週末は子供食堂を手伝う。それが由奈の一週間だった。快斗は大学病院のがんセンターへ向かった。病室の前まで行き、ドアの隙間から中を覗いた。痩せ細った老婆がベッドに横たわり、由奈がその隣に座っている。子供たちは祖母の手を握っていた。おばあちゃん、今日は調子どう?ハルトが訪ねた。祖母は力なく笑った。おばあちゃんは大丈夫よ。ハルトとリナが元気でいてくれれば、それでいいの。由奈の母親、幸子だった。快斗も何度かあったことがあった。かつては義理の親子になるはずだった間柄だ。お母さん、治療費は?由奈が小さな声で訪ねた。幸子は由奈の手を握った。心配しないで。何とかなるから。あなたこそ、無理しないで。お母さん、そんなこと言わないで。治してもらわないと。由奈の声が震えていた。涙をこらえているのが分かった。

誰かが病室のドアを開けた。由奈が入ってきた。快斗を見て顔が青ざめた。どうしてここにいるんですか?由奈、出て行ってください。今すぐ。由奈の声は震えていた。幸子が力なく言った。由奈、私がお呼びしたのよ。お母さん、どうしてこの人を呼んだの?私たちとはもう関係のない人じゃない。幸子は由奈の手を握った。そして快斗を見た。快斗さん、今日はもう帰ってください。またいらしてください。快斗は頭を下げて病室を出た。廊下から聞こえてくる由奈の鳴き声が、胸を締め付けた。

病院を出ると、見知らぬ年配の女性が待っていた。私は松本トメと言います。由奈ちゃんと子供たちの面倒を見てる者だよ。ついてきなさい。話があるから。病院のカフェテリアで、トメは話し始めた。由奈ちゃんが初めてここに来た時のこと、覚えてるよ。七ヶ月近い体で家を探して歩き回ってたんだ。雨の降る日だったよ。バス停で倒れちまってね。私が病院に連れて行ったんだ。その時に知ったよ。双子を宿してるってことをね。一人でどうやって育てるつもりだって聞いたら、あの子、なんて言ったと思う?必ず立派に育てて見せます。子供たちには罪はありませんから。でさ、そう言って泣くんだ。どれだけ胸が痛んだか。トメの目にも涙が浮かんでいた。だから私があのアパートの部屋を紹介してやったんだ。私の持ち物だからね。家賃もほとんど取っちゃいない。私の娘を思い出すからだよ。三十年前に、似たような目にあったんだ。夫に捨てられて、一人で子供を育ててね。結局、耐えきれずに先に逝っちまった。トメの声が震えた。由奈ちゃんは強い子だよ。どんなに辛くても、子供たちの前では笑ってる。でも私には分かるんだ。一人でどれだけ泣いているか。特に、子供たちが父親の話をする時なんかはね。おばあさん、僕に今からでも何かできることはないでしょうか?トメはしばらく快斗を見つめていた。そのまなざしには哀れみと怒りが混じっていた。由奈ちゃんは、あんたを受け入れないだろうね。傷が深すぎる。でも、子供たちは別だ。父親を恋しがってるよ。特にハルト君は、男の大人が必要な年頃だ。ここに、子供食堂のボランティアの時間と場所が書いてある。そこで自然に会うんだよ。由奈ちゃんも、そこではあんたを邪険にはできないだろうからね。絶対に焦るんじゃないよ。由奈ちゃんの心が開くまで待つんだ。無理じいすれば、もっと心が離れていくだけだからね。

一週間後、快斗は再び病院を訪れた。幸子が直接呼んだのだ。由奈がいない時間を教えてくれた。快斗が病室のドアをそっと開けると、幸子はベッドに上半身を起こしていた。快斗はベッドの脇の椅子に座った。幸子はゆっくりと話し始めた。あの日、由奈が妊娠を知った日、病院で双子だと聞いて、あの子がどれだけ喜んだか。あなたにすぐに話すつもりだったんですって。サプライズプレゼントだって。でも、あなたは海外出張に行くと言った。一ヶ月も。快斗は絶句した。由奈は待っていたわ。あなたが帰ってきたら話そうって。でも、あなたが帰国した時、あなたの母親が弁護士を連れてきたの。あなたの母親が弁護士を送ってきたのよ。由奈に、綺麗に別れなさい。息子の将来の邪魔をしないでって。由奈はその時、妊娠のことを話そうとしたわ。でも、あなたのお母様が言った言葉が。幸子は泣き始めた。あなたのお母様は言ったんですって。もし妊娠しているなら、静かに始末しなさい。病院も紹介してあげる。お金はいくらでも出すからって。快斗の拳が震えた。怒りが込み上げてきた。だから由奈は逃げたの。子供たちを守るために。あなたの家の力が怖くて。親権訴訟でも起こされたら負けるのが分かっていたから。これで全てのピースがはまった。由奈がなぜ何も受け取らなかったのか。なぜ身を隠して生きてきたのか。なぜあれほどまで拒んだのか。産む時も一人だった。手術室に入る時も、あなたのことを待ってたんですって。もしかしたら来てくれるんじゃないかって。快斗の目から涙がこぼれた。お母さん、僕が。僕が本当に知らなかったんです。分かっているわ。あなたも知らなかったということはね。でも、知らなかったからと言って責任がないわけじゃない。快斗は頷いた。はい。知ったからには責任を取ります。どんな形であれ。幸子は弱々しく笑った。そしてベッドの脇の引き出しを指さした。そこにアルバムがあるわ。取ってちょうだい。快斗はアルバムを取り出した。小さなアルバムだった。最初のページをめくると、生まれたばかりの子供たちの写真があった。こっちがハルトで、こっちがリナ。本当にあなたにそっくりでしょう。快斗は写真を見ながらまた泣いた。小さくて赤い赤ん坊たち。自分の子供たち。次のページには百日の写真があった。その次は一歳の誕生日、二歳の誕生日。由奈が全部一人でやったのよ。写真にも一人で行って。誕生日パーティーもせずに、家でただお祝いしただけ。これは去年の運動会の写真。ハルトがかけっこで一位になったの。リナは玉入れで一位。写真の中の子供たちはメダルを首にかけて晴れやかに笑っていた。しかし快斗には分かった。他の子供たちの隣には父親がいるのに、自分の子供たちの隣には由奈しかいないこと。

その時、病室のドアが開いた。由奈が入ってきた。快斗を見て顔をこわばらせた。また来たんですか?由奈、私がお呼びしたのよ。幸子が言ったが、由奈の表情は柔らがなかった。快斗は立ち上がった。失礼します。お母さん、ありがとうございました。快斗が出て行こうとすると、幸子が呼び止めた。快斗さん。快斗が振り返った。幸子は由奈を見つめながら言った。由奈、もう許してあげなさい。子供たちのためにも。由奈は何も言わず、窓の外を眺めていた。快斗は静かに病室を出た。廊下を歩いていると、後ろから足音が聞こえた。由奈だった。快斗の前に立ちふさがった。何を聞いたか知りませんけど、何も変わりませんから。子供たちに近づかないでください。本当に警告します。子供たちを混乱させないで。由奈の目には恐怖が満ちていた。快斗には分かった。由奈が恐れているのは自分自身ではなく、子供たちが傷つくことなのだと。傷つけたりはしない。ただ遠くからでも見守らせてくれ。由奈はしばらく快斗を見つめていたが、やがて背を向けた。そして小さな声で言った。あなたが知らなかったことは、分かっています。でも、それが免罪符にはなりません。

翌朝、快斗は母親に電話をかけた。母さん、由奈のことだ。それと、母さんが七年前にしたことについて。話がある。沈黙が流れた。母親がため息をついた。あの子が何か言ったのね。母さんがしたこと、全部聞いた。弁護士を送ったことも、子供を下ろせと言ったことも。快斗は初めて母親に声を荒げた。あの子供たちは俺の子供だ。母さんの孫なんだよ。電話を切った。後悔はなかった。

土曜日の朝六時。快斗はすでに子供食堂の前に到着していた。トメが教えてくれたボランティアの時間は七時からだったが、早く来て準備を手伝いたかった。ごく普通のジーンズにパーカーを着て、帽子を深くかぶっていた。億を稼ぐCEOの面影はどこにもなかった。食堂の中には、すでに何人かのボランティアが来ていた。トメも一人だった。快斗を見て軽く頷いた。他のボランティアたちに快斗を紹介した。今日から一緒に手伝ってくれる若者だよ。一生懸命やるって言ってるから、色々教えてやっておくれ。快斗はエプロンをつけ、厨房に入った。大きな鍋では味噌汁が煮え、隣ではご飯をよそう準備が進んでいた。快斗は米袋を運んだり、おかずを盛り付けたりした。十時頃、見慣れた姿が見えた。由奈と子供たちだった。由奈は快斗に気づき顔をこわばらせた。しかし、すでに列に並んでしまった後では引き返すこともできなかった。ママ、あのおじさんだ。ハルトが快斗に気づき手を振った。リナも嬉しそうに挨拶した。順番が来ると、快斗は子供たちのご飯茶わんに山盛りにご飯をよそった。由奈が小さな声で言った。どうしてここにいるんですか?ボランティアに来たんだ。俺も何か役に立ちたくて。由奈はそれ以上何も言わず、席へ向かった。しかし快斗は見ていた。由奈の目元が赤くなっているのを。

次の土曜日も、その次の週も、快斗は子供食堂へ通った。由奈は相変わらず冷たかったが、拒絶は見せなかった。子供たちは快斗を見るたびに喜んだ。ある土曜日のこと、大雨が降った。由奈と子供たちも来たが、傘がなかったのか、ずぶ濡れだった。快斗はタオルを持ってきた。由奈は断ろうとしたが、子供たちが咳込むのを見て受け取った。ありがとうございます。由奈が初めて礼を言った。小さな進歩だったが、快斗にとっては大きな意味があった。その日の夕方、快斗は食堂の近くのコンビニで傘を三本買い、匿名で由奈の家のドアの前に置いてきた。メモも何もつけずに、ただ傘だけを。

一ヶ月が過ぎた。ある日、ハルトが学校で賞状をもらったと自慢してきた。おじさん、僕、絵のコンクールで賞をもらったんだ。すごいじゃないか。どんな絵を描いたんだい。僕の家族だよ。ママと僕とリナと、それと。ハルトは言葉を止めた。それとお父さんも描いたんだ。顔は知らないから、後ろ姿だけ。快斗の目頭が熱くなった。その時、由奈が来た。子供たちと快斗の様子を見て一瞬立ち止まった。快斗が立ち上がろうとすると、由奈が言った。座っていてください。由奈は快斗の隣のベンチに座った。しばらく沈黙が流れた後、由奈が口を開いた。母が、もう長くないそうです。快斗は由奈を見た。由奈の目に涙が溜まっていた。お医者様が、今月を乗り越えるのは難しいだろうと。快斗は慎重に尋ねた。俺に、何か手伝えることはあるか?母が、あなたを許したと。そして私にも許しなさいって。子供たちのために。由奈は空を見上げた。涙がこぼれないように。私にも分かっています。あなたが本当に知らなかったこと、そして今努力してくれていることも。しかし、まだ心の準備ができていないんです。もう少し時間をください。ああ、いい。いくらでも。由奈は頷き、立ち上がった。子供たちを呼んだ。行きましょう。病院へ行かないと。

一週間後、幸子の容体が急変したという連絡が入った。快斗は病院へ駆けつけた。集中治療室の前には由奈と子供たちがいた。由奈は快斗を見ても何も言わなかった。ただ頷いただけだった。子供たちは泣いていた。おばあちゃんが苦しいんだって。リナが泣きじゃくりながら言った。快斗はリナを抱きしめた。由奈はそれを止めなかった。医師が出てきて説明した。もう時間は残されていないと。最後の挨拶をするようにと。由奈が先に中へ入った。しばらくして出てきた由奈は、ひどく泣いて目が腫れていた。子供たちが中へ入り、出てきた。快斗さんも、入ってください。トメが言った。快斗は集中治療室へ入った。幸子は酸素マスクをつけていたが、意識はあった。快斗を見て弱々しく笑った。よく来てね。お母さん、お願いがあるの。由奈と子供たちを、必ず守ってあげて。約束して。はい。約束します。必ず守ります。幸子は頷いた。そして目を閉じた。穏やかな表情だった。その夜、幸子は静かに息を引き取った。最後まで由奈の手を握っていた。

葬儀場で、快斗は喪主の役目を買って出た。由奈は反対しなかった。三日間の葬儀を終えた後、由奈が快斗に言った。ありがとうございました。助かりました。当然のことだ。由奈はしばらくためらってから言った。来週、子供たちと一緒に食事でもしませんか?子供たちが喜ぶと思うので。快斗は驚いた。由奈から誘われるなんて。それから一週間後の土曜日。子供食堂はいつものように賑わっていた。昼の配膳が終わりかける頃、由奈と子供たちが食堂を出ようとした。外は土砂降りの雨だった。快斗はエプロンを外し、外へ出た。そして食堂の入り口で、由奈の前に膝をついた。雨水が顔を伝って流れ落ちた。由奈。快斗の声が震えた。周りの人々が驚いて見ていたが、快斗は気にしなかった。ごめん。本当にごめん。君を一人にして。一人で全てを背負わせてしまって。お母様まで一人で看取らせてしまって。俺は遅すぎた。許してくれ。頼むから。由奈の目からも涙がこぼれた。子供たちは驚いた顔で、母親と快斗を交互に見ていた。ママ、おじさん、どうしたの?ハルトが訪ねた。由奈は答えられず、ただ泣くだけだった。由奈はゆっくりと快斗に近づき、膝をついた快斗を立たせようとした。立ってください。みんなが見ています。しかし快斗は立ち上がらなかった。由奈を見上げ、言った。君と子供たちを守れなかった俺を、許すことができないんだ。本当にごめん。由奈も膝をついた。雨に打たれながら、快斗と向かい合った。そして、快斗を抱きしめた。二人は雨の中で互いを抱きしめて泣いた。もういいんです。もうやめて。由奈の声も涙に濡れていた。子供たちが傘を手に近づいてきた。小さな傘で母親と快斗を雨から守ろうと必死だった。ママ、おじさん、濡れちゃうよ。風邪引いちゃうよ。リナの言葉に、快斗と由奈はよろよろと立ち上がった。トメが食堂の中からその様子を見て涙を拭っていた。遅くたって、いいんだよ。帰ってくることが大事なんだから。

日曜日の午後三時、ファミリーレストランは家族連れで賑わっていた。快斗は隅のテーブルで落ち着かない様子で時計を確認していた。入り口のベルが鳴った。由奈と子供たちが入ってきた。おじさん!ハルトが先に駆け寄ってきた。リナも後からついてきた。メニューを見たかい?快斗はメニューを渡した。子供たちは嬉しそうにメニューを開いた。わあ、スパゲッティだ。ピザもあるよ。しかし由奈が静かに言った。高いものはダメよ。簡単なものにしなさい。由奈、今日は俺がご馳走するんだ。子供たちが食べたいものを注文してくれ。由奈はためらったが、子供たちの期待に満ちたまなざしを見て頷いた。じゃあ、一つだけよ。ハルトはカルボナーラを。リナはトマトスパゲッティを選んだ。由奈は一番安いサラダを注文した。快斗はピザとドリンクを追加で注文した。料理を待っている間、ハルトが快斗をじっと見つめていた。何か言いたげな表情だった。ハルト君、どうしたんだい?おじさん、もしかして。ハルトは言葉を止めた。由奈が緊張した顔でハルトを見た。リナが代わりに言った。お兄ちゃん、おじさんに聞きたいことがあるんだって。なんだい?快斗は優しく訪ねた。ハルトは勇気を出して言った。おじさんが、もしかして僕たちのお父さんなの?瞬間、時が止まった。由奈の顔が青ざめた。快斗も驚いて言葉を失った。周りのテーブルの笑い声だけが聞こえてくる。おじさん、お兄ちゃんと似てるんだ。目と鼻がそっくり。リナが付け加えた。快斗は由奈を見た。由奈は俯いたまま唇を噛しめている。涙がこぼれそうだった。あなたたち。由奈が震える声で何かを言おうとしたが、快斗が先に口を開いた。そうだ。俺が君たちのお父さんだ。由奈が驚いた目で快斗を見た。しかし快斗は子供たちを見つめながら言葉を続けた。ごめん。本当にごめん。今になってやっと会いに来れた。ハルトの目から涙がこぼれた。リナも泣き始めた。本当?本当に私たちのお父さんなの?うん。本当だ。ハルトは席から立ち上がると、快斗に駆け寄った。快斗はハルトを抱きしめた。小さな体が震えていた。リナも近づいてきて、快斗を抱きしめた。どうして今になったの?私たち、ずっと待ってたのに。リナの言葉に、快斗は胸が張り裂けそうだった。ごめん。お父さんが悪い人間なんだ。君たちのことを知らなかったんだ。お母さんが一人で苦労したんだ。由奈が静かに涙を流していた。手の甲で涙を拭いながら、子供たちを呼んだ。あなたたち、席について。お料理が来るわ。子供たちは名残り惜しそうに快斗から離れた。しかし目はまだ快斗に向けられていた。まるで夢ではないかと確かめるかのように。料理が来たが、誰もまともに食べられなかった。感情があまりに高ぶっていたからだ。ハルトが訪ねた。お父さん、もう僕たちと一緒に暮らすの?快斗は由奈を見た。由奈が小さく首を横に振った。それはまだできないんだ。でも、これからは頻繁に会えるよ。どうして?他の家の子はみんな、お父さんと一緒に住んでるのに。リナの質問に、由奈が答えた。大人の事情があるのよ。でも、これからはお父さんもあなたたちに会ってくれるわ。子供たちはがっかりした表情だったが、それでも父親に会えた喜びの方が大きかった。食事を終え、四人は由奈の家へ向かった。アパートへの階段を上がる快斗の心は重かった。自分の子供たちがこんな場所で暮らしているという事実が、耐えられなかった。家の中は狭いが、本当に綺麗だった。壁には子供たちが描いた絵が張られ、古いが整頓された家具が置かれていた。お父さん、これが僕の部屋だよ。リナと一緒だけど。ハルトが小さな部屋を見せてくれた。二段ベッド一つで、部屋はもういっぱいだった。壁には賞状が貼られている。リナが引き出しからスケッチブックを取り出した。一枚めくりかけて、リナは手を止めた。そこには顔のない男が描かれていた。これはお父さんを描いたの。顔は知らなかったから、描けなかったの。快斗は絵を見ながら涙をこらえた。リナが鉛筆を持った。もう、顔描けるよ。リナは快斗の顔を見ながら、一生懸命描き始めた。不器用だが、心のこもった絵だった。ユナは台所でお茶の準備をしていた。快斗が近づくと、小さな声で言った。どうしてあんなことを言ったんですか?私が話すつもりだったのに。ごめん。でも、子供たちが聞いてきたじゃないか。嘘はつけなかった。由奈はため息をついた。これから、どうするつもりですか?君たちが望むようにするよ。ゆっくりでいい。でも、諦めない。子供たちは快斗の隣にぴったりとくっついて座っていた。お父さん、明日も会える?ハルトが期待に満ちた目で訪ねた。もちろん。学校が終わったら、公園で会おうか。うん!子供たちが同時に答えた。由奈が言った。遅くなってはダメですよ。六時までには家に帰ってきなさい。快斗は時計を見た。もう夜の七時を過ぎていた。そろそろ帰るよ。また明日。子供たちは名残り惜しそうだった。玄関まで見送りに来た。お父さん、絶対来てね。約束だよ。リナが小指を差し出した。快斗は小指を絡めて約束した。約束だ。必ず来るよ。家を出た快斗は振り返った。小さな窓から子供たちが手を振っている。快斗も手を振り返した。車に乗りながら、快斗は思った。子供たちが先に気づいてくれたことが、不思議だった。血は水よりも濃いというが、まさにその通りだった。子供たちの直感が正しかったのだ。

翌日、約束通り快斗は公園へ行った。子供たちが先に来て待っていた。お父さん!ハルトとリナが同時に呼んだ。お父さんという響きはまだ慣れなかったが、胸がいっぱいになった。来たよ。今日は何して遊ぼうか。サッカー!ハルトがボールを掲げて見せた。快斗は久しぶりに子供たちと走り回った。日が暮れて、家に帰る道すがら、ハルトが快斗の手を握った。リナはもう片方の手を握った。お父さん、もう毎日来てくれるんでしょう?うん。できるだけ、たくさん来るよ。子供たちの手を握って歩く。その瞬間、快斗は初めて父親になった気分を味わった。遅すぎたけれど、今からでも始められることに感謝した。家の前に着くと、由奈がドアの前で待っていた。子供たちと快斗の姿を見て、複雑な表情を浮かべた。しかし、小さく笑んだ。入ってください。夕食を食べていってください。快斗は驚いた。その日の夕食、四人は初めて一つの食卓を囲んだ。味噌汁と卵焼き。質素な食卓だったが、快斗にとっては人生で最高の晩餐だった。お父さん、味噌汁好き?リナが訪ねた。うん。大好きだよ。実は快斗は味噌汁があまり好きではなかった。でも、由奈が作った味噌汁は世界で一番美味しかった。家族と一緒に食べる食卓だったから。

四月十五日、土曜日。快斗は子供たちの誕生日パーティーの準備で大忙しだった。ハルトとリナの七歳の誕生日。初めて父親と一緒に迎える誕生日だ。由奈の小さなアパートの部屋は、風船と飾りで飾り付けられていた。快斗は早朝から起きて、ケーキを自分で作った。店で買う方が簡単だったが、どうしても自分で作りたかった。生クリームがうまく泡立てず、失敗続きだったが、愛情だけは最高級のケーキに負けていなかった。お父さん、何してるの?リナが目を覚まし、台所へやってきた。寝ぐせで髪がくしゃくしゃになっているのが可愛らしい。リナの誕生日ケーキを作ってるんだ。サプライズだよ。わあ!本当?お父さんが作ったの?リナの目が輝いた。快斗はリナを抱き上げた。もちろんだよ。お姫様の誕生日だからね。その時、ハルトも起きてきた。ケーキを見て嬉しそうに飛び跳ねた。すげえ!ママ、ママ!お父さんがケーキ作ったよ!由奈が部屋から出てきた。髪をきつく結び、エプロンをつけている。不格好なケーキを見て、ふっと笑った。形はともかく、気持ちは嬉しいですね。快斗と由奈の関係は、まだ完全には修復されていなかった。しかし、子供たちのために努力していた。夫婦ではないけれど、親としての役割は一緒に果たそうと決めていた。さあ、プレゼントを渡すぞ。みんな集まれ。快斗がリビングへ行き、大きな箱を二つ取り出した。子供たちが歓声を上げて駆け寄った。ハルトが箱を開けると、中から新しい自転車が出てきた。青い自転車にハルトの名前が刻まれている。リナの箱には、ピンクの自転車が入っていた。やった!自転車だ!子供たちは飛び跳ねて喜んだ。由奈が快斗に小さな声で言った。高すぎませんか?子供たちの誕生日なんだ。これくらいはさせてくれ。昼になると、お客さんがやってきた。まずトメが到着した。手にはお祝いのケーキを持っていた。ハルト君、リナちゃん、お誕生日おめでとう。子供たちはトメに抱きついた。次に、快斗の両親が来た。母親は最初は反対していたが、快斗の説得でようやく来てくれた。おばあちゃん、おじいちゃん。子供たちが挨拶した。快斗の母親はぎこちなく子供たちを抱きしめた。まだ完全には受け入れられていないようだったが、努力はしていた。可愛い子たちね。快斗に似ているわ。母親はハルトを見て言った。そして由奈を見た。由奈さん、これまでごめんなさい。由奈は驚いた顔をした。快斗の母親が謝るなんて。由奈は頭を下げた。過ぎたことです。これからは、子供たちのことだけを考えましょう。少し気まずい雰囲気になったが、子供たちの明るい笑い声が、その空気を和らげた。誕生日パーティーが始まった。快斗が作った不格好なケーキにローソクが灯された。みんなでハッピーバースデーの歌を歌った。子供たちが願い事をし、ローソクの火を吹き消した。快斗が訪ねた。どんなお願い事をしたんだい?ハルトがにっこり笑って言った。秘密。言ったら叶わなくなっちゃうから。リナは快斗の耳元でささやいた。私はね、私たち四人がずっと一緒にいられますように、ってお願いしたの。快斗の目頭が熱くなった。由奈もその言葉を聞いていたのか、目元を赤くしていた。

夕方になり、お客さんたちが帰って行った。家の中が静かになると、四人だけが残った。お父さん、今日ここに泊まって行ってよ。リナが快斗の腕に絡みついて言った。快斗は由奈を見た。由奈はため息をついて言った。子供たちがそう言うなら、リビングで寝てください。快斗は嬉しかったが、顔には出さないように務めた。寝る準備をしている間、由奈と快斗は台所で皿洗いをしていた。ありがとうございました。子供たちが本当に幸せそうです。由奈が小さな声で言った。快斗が答えた。俺の方こそありがとう。こんな機会をくれて。しばらく沈黙が流れた後、由奈が言った。快斗さん、私たち、やり直せるでしょうか?快斗は驚いた。由奈からそんな言葉を聞くなんて。由奈、俺はいつでも準備ができている。でも、君が良くなるまで待つつもりだ。由奈は頷いた。そして小さく笑った。もう少しだけ、時間をください。まだ怖いんです。分かってる。焦らないよ。

その夜、快斗はリビングのソファで寝た。いや、眠れなかった。天井を見つめながら考えていた。この小さなアパートの部屋が、あのペントハウスよりもずっと温かく感じられた。ハルトがそっと起きてきて、快斗の隣に横になった。お父さん、寝てる?ううん。どうして起きてるんだい?夢じゃないかなって思って。お父さんと一緒にいるのが。快斗はハルトを抱きしめた。夢じゃないよ。お父さんはずっとここにいる。約束。約束だ。ハルトは快斗の腕の中で眠ってしまった。しばらくして、リナも起きてきた。快斗の反対側に横になった。そして、由奈も起きてきた。子供たちがいないことに気づいて、出てきたのだ。リビングに四人が集まっていた。由奈は子供たちと快斗を見てため息をついた。しかし、そのため息には温かい色が混じっていた。リナ、ここで寝るつもり?由奈が尋ねた。リナが起き上がり、由奈の手を引いた。ママも、一緒に寝ようよ。結局、四人はリビングの床に布団を敷いて横になった。子供たちが真ん中。快斗と由奈が両脇に。まるで本当の家族のように。ママ、お父さん、大好き。リナが眠そうな声で言った。ハルトも付け加えた。僕も大好き。快斗と由奈は同時に答えた。私たちも、愛してるわよ。そうして四人は一緒に眠りに着いた。完全な再出発ではなかったが、新しい始まりだった。家族という名の下に、再び出会った四人の最初の夜だった。

朝の日差しが窓から差し込んできた。快斗が最初に目を覚ました。隣で眠る子供たちと由奈の顔を見ながら思った。金も、名誉も、成功も、大事だ。しかし、一番大切なのは家族なのだと。遅すぎたけれど、今気づけてよかったと。由奈が目を覚ました。快斗と目があった。由奈は小さく微笑み、ささやいた。ありがとう。帰ってきてくれて。俺の方こそ、ありがとう。待っていてくれて。時には、後悔が二度目のチャンスの始まりになることがある。快斗と由奈、そしてハルトとリナ。四人の新しい物語は、今始まったばかりだった。

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