「母さん、俺たちにはもうお母さんは必要ないんだ」…
「親に恩返しなんてする必要ないでしょう」 息子の口から放たれたその一言が、私の心に残っていた最後の愛情を粉々に砕きました。 あれは令和6年の9月、秋の気配が漂い始めた頃のことです。久しぶりに我が家を訪れた息子夫婦と、夕食後にお茶を飲んでいた時の出来事でした。 何気ない会話の中、息子の優太が、親への仕送りで生活が苦しいと嘆く同僚の話をし始めました。私は何気なく、親孝行な同僚の方を称賛しました。 すると優太の表情が一瞬にして凍りついたのです。 「そんなの馬鹿げてるよ。子供を育てるのは親の義務だろう。大学まで行かせたからって恩着せがましいんだよ」 隣に座っていた嫁の絵美さんも、深く頷きながら言葉を重ねました。 「そうですよね。今の時代、親が子供の面倒を見るのは当たり前。それで老後の面倒まで期待するなんて、都合が良すぎますわ」 私は震える手でティーカップをソーサーに戻しました。亡き夫と二人三脚で必死に働き、優太を大学院まで進学させた日々が走馬灯のように駆け巡ります。 「優太、本気でそう思っているの?」 私の問いかけに、優太は迷いなく答えました。 「当然でしょう。俺が今成功しているのは全て自分の努力の結果だ。親は関係ないよ」 その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちました。 その夜、2人が帰った後、私は書斎の金庫から古い通帳を取り出しました。そこには優太のために費やした教育費の記録が全て残されています。幼稚園から大学院まで、その総額は1200万円を超えていました。 特に、医学部を諦めて工学部に進んだ際も、大学院の学費は全額を私たちが負担しました。夫は優太の将来のためだと、自分の趣味も犠牲にして働き続けてくれたのです。 さらに結婚式の費用500万円、新居のマンションの頭金800万円。これらも全て私たち夫婦の老後資金から出したものでした。絵美さんとの結婚を心から祝福し、2人の幸せを願っての援助でした。 孫の陸が生まれてからの3年間、私は週に4日、朝から夕方まで無償で子守りをしていました。絵美さんが仕事に復帰できたのも、私の協力があってこそだったはずです。 「お義母さん、本当に助かります」 あの頃の絵美さんの笑顔を思い出すと、今日の冷たい言葉との落差に胸が締めつけられます。 仏壇の遺影を見つめながら、私は独り言ちました。 「私たちはあなたたちのために全てを捧げてきたのに。でもそれはただの親の義務だったというの…夫が生きていたら、なんて言ったかしら」 翌週の日曜日、優太から電話がありました。 「今度の土曜日、また行くから」 先日の発言を謝りに来るのかと思いましたが、その期待は残酷にも裏切られることになります。 土曜日の午後、息子夫婦は手ぶらでやってきました。以前は必ず手土産を自慢していたものですが、最近はそれもなくなりました。 リビングに座るなり、絵美さんが切り出しました。 「お義母さん、この前の話の続きなんですけど、私たちの考えをはっきり伝えておきたくて」 私は黙って耳を傾けました。 「正直言って、親が子供に恩着せがましいのってすごく嫌なんです。教育費を出したとか、面倒を見たとか、それって親として当然のことじゃないですか?」 優太も頷きながら続けます。 「そうだよ。俺たちの世代は、新世代とは価値観が違うんだ。俺が今情報関連企業で管理職として成功しているのは自分の実力だ。親の金で大学に行ったからじゃない」 私は静かに尋ねました。 「でも、その学ぶ機会を与えたのは誰だったのかしら」 「機械。それは親の義務でしょう。子供を一人前に育てるのは当たり前。それを恩に着せるなんて時代遅れもいいところだよ」 絵美さんが追い打ちをかけます。 「私の実家もそうですけど、今時子供に老後の面倒を期待する親なんていませんよ。お義母さんももっと自立した考えを持った方がいいんじゃないですか」 私は深呼吸をして平静を保とうと務めました。 「老後の面倒というのは、具体的にどういう意味かしら?」 優太が面倒臭そうに答えました。 「介護とか同居とかそういうことだよ。はっきり言うけど、俺たちにはそんな余裕はない。仕事も忙しいし、陸の教育費だってかかる。母さんが将来体の不自由になったら、施設に入ってもらうしかない」 「施設…そう、今は良い施設がたくさんあるでしょう。その方が専門的なケアも受けられるし、お互いのためだよ」 絵美さんも同調します。 「私たちも共働きですし、正直介護なんてできません。それに、お義母さんも私たちに迷惑をかけたくないでしょう」 迷惑。 その言葉が胸に突き刺さりました。 「迷惑ですか…?」 「あ、いえ、そういう意味じゃなくて…」 絵美さんが慌てて取り繕おうとしましたが、優太が遮りました。 「いや、はっきり言った方がいい。母さん、俺たちは自分たちの人生を生きる権利がある。親の介護に縛られて自分の人生を犠牲にするなんてもう古い考えだよ」 私は2人の顔を見つめました。幼い頃に熱を出せば一晩中看病し、受験の時は一緒に徹夜して勉強を見守った息子。その息子が今、私を迷惑と呼んでいるのです。 「それで、遺産についてはどう考えているの?」 突然の質問に、2人は顔を見合わせました。そして優太が答えました。 「遺産は当然、息子である俺がもらう権利があるでしょう。息子なんだから」 「権利ですか?」 「そうだよ。法律でも子供には遺留分があるし、親の財産は子供が継ぐもの。それは変わらない」 … Read more