「たった1個の特許で偉そうに。うちの技術者がすぐに開発できるよ。」…
「それでは契約は終了ということで。」 私は静かに、しかしはっきりとそう言った。会議室の空気が凍りつく。田辺という男の顔から、それまでの傲慢な笑みが消え去った。 私、吉村、40歳。電気自動車事業を展開する大企業を親会社に持つ技術開発子会社で、技術開発部長を務めている。18年前に入社して、ただひたすら技術開発に打ち込んできた。5年前に開発に成功した電気自動車用の電池冷却部品。これが私の最大の発明だ。特許も取得済みで、この技術を搭載すれば電池の性能が従来品より30%も向上する。親会社が市場で競合に差をつけるための、決定的な技術だった。 特許発明者として、私には契約先についての決定権が認められている。本来なら複数の企業と契約することも可能だが、親会社への義理を優先して、単独取引を続けてきた。来月には契約更新を控え、今日は定例の技術報告会。我が社の社長である木下も同席している。 部下の白井が報告を始めた。 「吉村部長、例の冷却部品について、大手自動車メーカー数社からライセンス契約の打診が続いています。」 私は頷いた。やはりそうか。でも、今まで通り親会社への義理を優先しよう。 木下社長が満足そうに微笑む。 「吉村君の技術と誠実な対応で、我が社の評価は業界でも非常に高い。来月の契約更新も問題ないだろう。」 私も充実感に包まれていた。しかし、その平穏はすぐに崩れることになる。 契約更新を1週間後に控えた日、親会社の新しい担当者が挨拶に来ることになった。長年担当していた営業部長が定年退職し、後任として田辺という男が着任したのだ。事前の話では、田辺は35歳の一流大学出身者で、将来の有望株らしい。 しかし、約束の時間から30分が経過しても田辺は現れない。ようやく会議室のドアが開くと、スマートフォンを片手に電話をしながら、田辺は入ってきた。 「ああ、うん、ゴルフの約束ね。その件はまた後で連絡するよ。」 私達の前で平然と電話を続け、謝罪の言葉もない。電話を切ると、田辺は椅子にどさっと座り込んだ。 「営業部長の田辺です。普段は大型案件やってるんですけど、子会社周りも勉強しとけって上から言われまして。」 その言葉には、明らかな子会社への軽視と優越感が滲んでいた。仕方なく来たという態度に、私は白井と顔を見合わせた。木下社長が釈明しようとしても、田辺は軽く手を上げるだけで挨拶を済ませてしまう。 「来週の契約更新の件ですが、率直に言って条件を見直す必要があると思ってるんだよね。親会社としては、もっと効率的な取引をしたいわけ。」 嫌な予感がした。 「ま、詳しい話は来週ってことで。」 そう言って田辺はそそくさと席を立ち、会議室を後にした。田辺が帰った後、木下社長は深いため息をついた。 「吉村君、今度の担当者は少し厄介かもしれないね。」 私も同感だった。これまでの誠実な担当者とは、明らかに空気が違う。 翌週、田辺が契約更新の打ち合わせのため、再び我が社を訪れた。田辺は資料も見ずに話し始めた。 「単刀直入に言わせてもらうが、取引価格を3割値下げして、納期も半分にして欲しいんだよね。親会社としては当然の要求でしょう。」 勝ち誇った顔で理不尽な要求を突きつける田辺。私は困惑しながら抗議した。 「ちょっと待ってください。それでは技術開発費も回収できません。これまでの取引条件には合理的な根拠があるんです。」 田辺は鼻で笑いながら、手をひらひらと振った。 「技術開発費?たった1個の特許で偉そうに。そんなもん、うちの技術者がすぐに開発できるよ。」 「この部品の開発には長い研究期間と多額の投資が必要でした。簡単に代替できるものではありません。」 しかし田辺は聞く耳を持たず、面倒くさそうに答えた。 「親会社に逆らう気か?いくらでも下受けはあるんだ。子会社が逆らうなら契約終了だ。」 木下社長も、田辺の応答ぶりに怒りを抑えきれずにいた。 「田辺部長、これまで誠実に取引してきた実績を無視するような発言は控えていただきたい。」 だが、田辺は木下社長に対しても、椅子にふんぞり返りながら嘲るような表情で言い放った。 「実績?それがどうしたの、社長さん。親会社の意向に従えないなら、契約終了になっちゃうけどね。」 会議室の空気は最悪になった。白井も青ざめた表情で私を見つめている。私の心の中で、何かが吹っ切れるのを感じた。ここまで侮辱されて、黙って耐えることに意味などない。 私は田辺の顔をじっと見つめながら、静かに口を開いた。 「わかりました。それでは契約は終了ということで。」 田辺は一瞬、ポカンとした表情を見せる。まさか反発されるとは思っていなかったのだろう。 「え?何それ?そのつもり?だったら本当に契約終了だ。」 田辺が再び契約終了を口にした瞬間、私は微笑んだ。 「喜んで。そのような不当な条件なら、こちらから願い下げです。」 「ちょっと待てよ。本気で言ってるの?高が部品1個で向きにならないで欲しいな。代わりなんていくらでもあるじゃん。」 私は穏やかに言い返した。 「我が社の特許部品は、御社の電気自動車の中核を担う部品です。これがなければ、間違いなく他社製品に劣ってしまいますよ。」 それまで強気だった田辺の表情が一瞬崩れたのを、私は見逃さなかった。しかし田辺は、一度振り上げた拳を下げることもできず、複雑な顔で私を睨んでいる。 そこで木下社長が私の決断を支持した。 「吉村部長の判断は正しい。我が社は上場企業として株主への責任がある。親会社と言えども、技術を軽んじる相手との取引は継続できない。」 白井も頷く。 「部長、他の自動車メーカーからの取引の打診、改めて検討してみましょう。」 田辺は慌てふためき始めた。ようやく事態の重さを認識したようだ。 「おいおい、冗談だろ?話し合えば何とかなるだろ…」 だが私の決意は固い。 「申し訳ありませんが、契約終了の書類を準備させていただきます。」 私は立ち上がり、田辺に向かって深々と頭を下げた。 … Read more