病院のベッドで、余命3ヶ月と宣告された日の夜。震える手で息子に電話をかけた私に、スピーカー越しに聞こえてきたのは、嫁の笑い声だった。「いなくて清々するわ。やっと邪魔者がいなくなって」…
病院のベッドで、私はその言葉を聞いてしまった。68歳、中川せつ子。息子に電話をかけた時、スピーカーから漏れ聞こえてきたのは、嫁の本音だった。 その日の朝、医師から衝撃的な宣告を受けたばかりだった。「中川さん、検査結果ですが、残念ながらがんがかなり進行しています。長くて3ヶ月程度でしょう」 68歳の私にとって、あまりにも突然の宣告だった。震える手で、3年前から同居している一人息子の申午に電話をかけた。 「申午、お母さんよ。大切な話があるの」 「今忙しいから後にして。マリエの母さんの還暦祝いの準備で手いっぱいなんだ」 「でもお母さん、今入院していて」 「え、入院?」 電話の向こうから、嫁のマリエの声が聞こえてきた。「まだ電話?早く切ってよ」 「母さんが入院だって」 「へえ。いなくて清々するわ。邪魔者がいなくなって」 私の手からスマートフォンがゆっくりと落ちた。嫁の3ヶ月の命より、義母の還暦祝いの方が大切。そして私は、邪魔者でしかなかった。 その瞬間、私の中で何かが静かに、そして確実に変わった。 夫が10年前に他界してから、私は女手一つで申午を育ててきた。教師として朝5時に起きて弁当を作り、深夜まで教材研究。大学までの教育費は総額1000万円。私立の医学部を諦めさせたことを今でも申し訳なく思っているが、精一杯のことはしたつもりだった。 3年前、申午が結婚する時だ。「母さん、マリエと一緒に住んでくれないか?母さんがいてくれれば安心だから」。その言葉を信じて、退職金で建てた家に、同居を始めた。 最初は幸せだった。3人で囲む食卓。マリエも優しかった。「お母さんの料理、本当に美味しいです」。そんな言葉に、私は心から嬉しく思ったものだ。 しかし半年も経つと、状況は変わり始めた。「お母さん、もう少し静かにしてもらえます?」「その髪型、センスないですね」。小さなことから始まり、次第にエスカレートしていった。 「年金もらってるんでしょう。月8万円は家に入れてください」。生活費として要求される金額も、次第に増えていった。週7日の家事労働。朝から晩まで働いても、感謝の言葉一つなかった。 体調を崩し始めたのは半年前。目まいや胸の痛みを訴えても、誰も心配してくれなかった。そして今日、一人でタクシーを呼んで病院へ向かい、あの宣告を受けたのだ。 思い返せば、私への扱いが本格的にひどくなり始めたのは1年ほど前からだった。ある朝、激しい目まいに襲われて壁に手をついていると、マリエが冷たい視線を向けてきた。 「お母さん、大げさね。そんなことで騒がないでください。最近本当に体調悪いんですか?病院なんて行かなくても大丈夫でしょう。医療費の無駄です」 申午も同調するように言った。「母さん、マリエの言う通りだよ。年を取れば誰だって体調は悪くなるものだ」 その日から、私の体調不良は大げさのせいで片付けられるようになった。家事の負担も日に日に増えていった。朝5時に起きて朝食の準備、洗濯、掃除、買い物、夕食の支度。マリエは専業主婦だったが、家事は全て私の仕事だった。 「お母さん、今日の料理、味が薄いです。もっとしっかり作ってください」「洗濯物の畳み方が雑ですね。やり直してもらえます?」 どんなに頑張っても、感謝されることはなかった。 さらに辛かったのは、経済的な搾取だった。 「お母さん、来月から生活費として10万円いただきますね。でもこの家は私の名義で住ませてもらってるんですから、当然でしょう」 私が38年間、教師として働いて貯めた退職金で建てた家。その家に住むために、なぜ私が家賃を払わなければならないのか。それでも、息子夫婦との関係を壊したくない一心で、要求に応じ続けた。 2ヶ月前のことだ。胸の痛みがあまりにも激しくなり、真夜中に救急車を呼ぼうとした。 「やめてください」マリエが鬼のような形相で入ってきた。「ご近所に何と思われるか分かってます。恥ずかしい」 「でも、本当に苦しくて」 「いつも大げさなんです。朝まで我慢してください」 申午も冷たく言い放った。「母さん、マリエの言う通りだ。救急車なんて大げさすぎるよ」 結局、朝まで一人で苦しみ続けた。布団の中で、涙が止まらなかった。 1ヶ月前、ついに倒れてしまった。台所で夕食の準備をしている最中、激しい目まいと共に意識を失いかけた。なんとか椅子に座り込んだが、動けなくなってしまった。 「お母さん、夕食まだですか?」マリエが嫌そうな様子でやってきた。 「すみません、少し体調が」 「またいい加減にしてください。私たちだって疲れてるんです」 その言葉を聞いて、私は決意した。もう限界だった。家族に内緒で、貯金を崩して病院へ行くことにしたのだ。 3日前の朝、息子夫婦が出かけた後、一人でタクシーを呼んだ。雨が降っていた。玄関を出る時、振り返ってこの家を見つめた。夫との思い出、息子を育てた日々、全てが詰まったこの家。でも今は、私にとって牢獄のような場所になっていた。 病院での検査は、予想以上に深刻だった。「中川さん、なぜもっと早く来なかったんですか?症状がかなり進行しています」 「家族に迷惑をかけたくなくて」 そして、あの宣告を受けた。3ヶ月。 病院のベッドで、私は今までの人生を振り返った。息子のために全てを捧げてきた人生。でも、その息子は私の命より、義母の還暦祝いを選んだ。「いなくて清々する」。あの言葉が頭の中で何度も響いた。 看護師さんが心配そうに声をかけてくれた。「中川さん、ご家族には連絡されましたか?」 「はい。でも、忙しいそうで」 「そうですか。こんな時は、ご家族の支えが一番大切ですからね」 私は力なく微笑んだ。家族の支え。それは、私にはもう存在しないものだった。 病室の窓から雨に濡れた街を眺めながら考えた。残された時間で、私は何をすべきなのか。このまま黙って、邪魔者として消えていくべきなのか。 いいえ、違います。私にも人としての尊厳があります。最後まで、自分の人生は自分で決める権利があるはずです。 病室で一晩過ごし、翌朝、私は震える手で再び息子に電話をかけた。今度こそ、きちんと話を聞いてもらわなければならない。 「申午、お母さんよ。昨日は途中で切れてしまって」 「ああ、母さん。今日はマリエの母さんの還暦祝いの本番なんだ。会場の準備で朝から大忙しでさ」 私は深呼吸をして、言葉を続けた。「申午、お母さん、本当に大切な話があるの。お母さんの命が」 「命?何それ?とにかく今は無理だよ。今日は大切な日なんだから」 背後から、マリエの声が聞こえてきた。「申午さん、まだ電話?もう会場に向かわないと」 … Read more