「あんたなんか、ただのおっさんだもん」――家を見た瞬間、彼女はそう言い放ち、そのまま去っていった。社長だと聞いて寄ってきた28歳の彼女は、下町の古い一軒家を見て、俺を見放したのだ。それから3年後、オフィス街で偶然再会した彼女は、年収1000万のエリート彼氏を自慢しながら、「金松さんにはそんな給料稼げないですもんね」と見下してきた。俺が何も言わずに高層ビルへ向かうと、彼女は嘲笑った。「あんたみ…
「信じられないんだけど、なんでこんな古臭いボロ小屋みたいな家なのよ。社長なのに」 彼女の甲高い声が、下町の路地に響いた。数分前まで、俺の家が見たいとはしゃいでいた女性が、今はまるで害虫でも見るような目で俺を睨んでいる。 俺の名前は金松は彦。40歳。一応、IT企業の社長だ。「一応」と付けたのは、実質社員が自分一人だけだからだ。企業や学校向けの専用アプリやSNSを開発する仕事で、専門学校を出てから数年だけ会社に勤めた後、ほぼ独りでやってきた。 そんな俺を見かねた既婚の友人が、ホームパーティーに誘ってくれた。「食いに来る感覚で来いよ」と言う言葉に甘えて参加すると、そこには予想以上の人数が集まっていた。その中で、磯部みなほという28歳の女性に声をかけられた。 「独立するって勇気がいると思います。もうそれだけで尊敬しちゃいますよ」 会社を経営していると話すと、彼女は目を輝かせて「社長」と呼び、楽しそうに話しかけてくる。夢や考えを語る姿は魅力的で、俺もいい女性だと思った。こうして俺たちは付き合い始めた。 「ねえ、は彦さん、もう少したくましい格好に挑戦したら?」 付き合い始めると、彼女はデブだった俺を外に連れ出してくれた。気になる映画や話題の場所に挑戦する日々。「社長なんだから、もっといいお店選んでみたら」と言われることも増えた。 「社長には社長としての品格が必要だと思うの」 みなほは、社長という肩書きにやけにこだわっていた。前向きで社交的で、常に前進する性格。それはつまり、野心家ということだ。社長の彼氏を持つ自分を生かしたい。そんな隠れた意思を感じるようになった。 「ねえ、は彦さんのお家に行ってみたいな」 酒が進んだ夜、みなほにそうねだられた。これまで何度となく断ってきたが、彼女は引き下がらない。仕方なく、繁華街から下町エリアにある自宅まで連れて帰った。 家の前でタクシーを降りると、みなほが小さな木造の一軒家を指さして固まっていた。 「何、これ?」 「何って? これが俺の家だよ」 「信じられないんだけど。なんでこんな古臭いボロ小屋みたいな家なのよ。社長なのに」 彼女は「ありえない」を繰り返し、最後にこう言い放った。 「最悪。騙された。あんたなんか社長でも何でもないわよ。社長だから年が離れていても我慢していたのに。もういい。あんたなんかただのおっさんだもん」 その場で振られ、俺は元の独身自営業者の男に戻った。ショックがないと言えば嘘になるが、一人でいるのは慣れている。仕事に生きて、やるべきことをやればいい。そう思って、俺は以前よりも一層仕事に熱を入れた。 「頼む。うちの仕事に専念してもらえないか? 結果は必ず出す。引き受けてもらえれば、後悔はさせない」 後輩たちを、俺にしては珍しく熱い言葉で口説き落とした。見切り発射のタイミングだったが、彼らは気持ちよく合流してくれた。さらに友人にも声をかけ、優秀なプログラマーも連れてくる。会社としての体も整い、俺だけではこなせない依頼も多く受けられるようになった。脇目も振らず怒涛の勢いで短期集中。気づけば3年が経っていた。 取引先との打ち合わせを終え、オフィスへの道を歩いていると、覚えのある声に呼びかけられた。 「金松さん」 振り返ると、みなほがハンドバッグを手に笑っていた。オフィス街の広場にはキッチンカーが並び、会社員が昼食を買いに来ている。みなほも昼食を買いに出ていたらしい。 「ああ、みなほちゃんか。久しぶりだね」 「ええ、本当に。ていうか、こんなところで会うなんて。こんな場所、金松さんには似合わないし」 彼女は相変わらずだった。俺を見下すような視線と物言い。付き合っていた期間は短かったが、情があった相手なだけに、どこか寂しくなる。すると、みなほは近くに立っていたスーツ姿の若い男を呼び寄せた。 「金松さん、紹介しますね。私が今お付き合いしている方です」 細身のコートをスマートに着こなす男。みなほは俺のすぐ後ろにそびえる高層オフィスビルを指さして、ドヤ顔で言った。 「彼、このビルの中の会社に勤めているんですよ。リスクと情報分析を司る部署で働いていて、留学経験もあって英語も喋れるんです。年収だって1000万クラスなんですよ」 俺には全く興味がない話だが、みなほは止まらない。彼氏自慢が止まらないのだ。 「金松さんには、そんな給料稼げないですもんね」 「え?」 「だって、社長だっていうのに、自分だけで会社やってるだけじゃないですか? そんなのただの強がりですよ。才能がないだけ」 「ちょっと、そんなこと言ったら元彼さんがかわいそうじゃないか」 調子のいいみなほに、彼氏も火をつける。なんとも子供っぽい嫌がらせに、俺は何も言えずに並行した。 「だから、家だってあんなみすぼらしい小屋なんでしょ。彼なんて、タワーマンションに住んでるんですよ」 みなほの明るく乾いた笑い声が響き、彼氏が小さく吹き出した。これ以上相手にするのも馬鹿らしい。俺は別れを告げると、くるりと背を向け、先ほどみなほが自慢していたオフィスビルに足を向けた。すると、彼氏が半笑いで呼び止める。 「あの、元カレさん、このビルに何のご用ですか? あんたみたいな貧乏社長が近づいていい場所ではないですよ。ちょっと、そこまで行ったらダメじゃない?」 俺を指差して楽しそうな2人に、俺はビルを指差し返した。 「あのね、俺の会社のオフィスが最上階に入ってるの」 俺のオフィスが最上階。強調しておいた。 「何言ってんの? そんな出たらめ、騙されるわけないじゃん」 みなほは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに吹き出して笑った。その隣で彼氏も肩を揺らしている。余裕の笑みを浮かべてみなほを見ると、彼女は急に笑い顔を凍らせた。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。 「だって、最上階の会社って、このビルを所有している会社だよ。これから海外のIT大手を買収しようとしてるって噂があるくらいの大手」 「え、嘘? そんなのあり得るわけないでしょ。金松さんみたいな冴えない人が、そんな大きなことできるわけがない」 「だから買ってないって。本当のことを言ってるだけだよ」 全く嘘偽りのない真実だ。この高層オフィスビルの最上階に入居する俺の会社は、今や海外の有名企業からも注目される存在になっている。みなほと付き合っていた頃に比べたら、俺個人の収入も何百倍に膨れ上がっていた。 「嘘よ! … Read more