「ああ、同居人です。気にしないでください。」息子の嫁が、私の孫の4歳の誕生日会で、招待された客の前で私をそう紹介した。私はこの家の持ち主で、8年間も息子夫婦を支えてきた母親なのに。朝5時に起きて料理を作り、洗濯も掃除も育児も、すべて無償でやってきた。援助した総額は1500万円を超える。それなのに、最近の息子夫婦は「物忘れ多くない?」「味が濃いよ」と、私を年老いた同居人扱いするようになった。そ…

「ああ、同居人です。気にしないでください。」息子の嫁が、私の孫の4歳の誕生日会で、招待された客の前で私をそう紹介した。私はこの家の持ち主で、8年間も息子夫婦を支えてきた母親なのに。朝5時に起きて料理を作り、洗濯も掃除も育児も、すべて無償でやってきた。援助した総額は1500万円を超える。それなのに、最近の息子夫婦は「物忘れ多くない?」「味が濃いよ」と、私を年老いた同居人扱いするようになった。そ...

「ああ、同居人です。気にしないでください。」

息子の嫁がそう言った瞬間、私はこの家の持ち主であり、8年間も息子夫婦を支えてきた母親だというのに、根の奥がすっと冷えていくのを感じました。

私は田崎え子、68歳。かつて大手企業で総務部長を務め、38年間働き続けました。10年前に夫を亡くし、それからはこの家で一人、息子のけ太郎、その妻のナツ木さん、そして孫のひとと一緒に暮らしてきました。

40年前に夫と一緒に買ったこの家は、今では5000万円の価値があると言われるほどです。私にとっては、努力と思い出が詰まった大切な場所です。

その日、私は孫の4歳の誕生日会のために、息子夫婦に3万円のプレゼントを用意し、朝から8時間かけて料理を作りました。けれど、2人はまるで私がいないかのように振る舞い、目すら合わせようとしませんでした。

胸に広がったのは怒りではなく、静かなきつさでした。もう十分。これ以上耐える必要はない。この家を手放そう。

け太郎が結婚したのはもう8年前のことです。私はナツ木さんを温かく迎え入れました。2人が新婚生活を始めた時、家賃は一切も止めませんでした。それどころか、生活費として毎月10万円を援助してきたのです。

やがて孫が生まれると、私は週に一度、毎日8時間、無償で育児を手伝いました。ナツ木さんが職場に復帰できたのも、全て私の支えがあったからだと自負しています。

冷静に計算すれば、この8年間で援助した生活費だけでも960万円。さらに育児の労働を時給換算すれば500万円に相当します。合わせれば1500万円近い支援をしてきたことになります。

それでも、ここ1年ほどで息子夫婦の態度は少しずつ変わっていきました。

「母さん、この料理ちょっと味が濃いよ。」
「最近物忘れ多くない?大丈夫?」

そんな言葉が増えていき、次第に私の存在は当たり前になっていきました。朝5時に起きて朝食を作っても感謝はなく、洗濯も掃除も夕食の支度も当然のように受け取られるだけ。

それでも私は我慢しました。家族だからこそ、不満があっても飲み込もうと。

しかし、その日、ナツ木さんが私を「同居人」と呼んだのは、我慢の限界を超える出来事でした。

翌日、私は弁護士のところへ行きました。そして、この家を売却する手続きを始めたのです。

「お母さん、これ、どういうことですか?」

数日後、け太郎が書類を見せながら詰め寄ってきました。

「この家を売ることにしたの。」

「何で?ここが俺たちの家だろ?」

「違う。これは私とあなたのお父さんが買った家よ。そして、私はこの家を出ていくことに決めた。」

「母さん、本気で言ってるの?」

「ええ、本気よ。新しい持ち主が再来月に引っ越してくるから、それまでに出て行ってください。」

け太郎が必死に食い下がります。「母さん、本当に俺たちを追い出すのか?」

「追い出すわけじゃない。私はもう十分に尽くした。あなたたちが私を同居人としてしか見ていないなら、私はここにいる意味がない。」

ナツ木さんは怒り出しました。「何を勝手なことを!私たちの家なのに!」

「この家の名義は私よ。あなたたちはただ住まわせてもらっていただけ。」

その言葉に、2人は黙り込みました。

私は荷物をまとめ始めました。8年間の思い出の品々。夫との写真、孫の成長記録。それらを一つ一つ段ボールに詰めながら、私は涙をこらえました。

「ばあば、どこに行くの?」

孫のひとが不安そうに聞いてきます。

「ばあばはね、新しい家に引っ越すよ。でも、ひとのことは大好きよ。」

「じゃあ、また会える?」

「ええ、いつでも。ばあばはひとのことが大好きだから。」

その日、私は家を出ました。振り返らずに。

新しい住まいで、私は静かに暮らし始めました。60代半ばの女性が一人で生きていくのは決して楽なことではありません。それでも、私は自由になりました。

誰の世話もしなくていい。誰の顔色をうかがう必要もない。

数週間後、け太郎から電話がありました。

「母さん、ごめん。俺、間違ってた。」

「あなたが私をどう見ていたか、よく分かったわ。でも、もう遅いのよ。」

「本当に謝る。もう一度やり直せないか?」

「やり直す必要はない。私は新しい生活を始めたから。」

私は電話を切りました。心は驚くほど静かでした。

今、私は月に一度、孫のひとに会いに行きます。公園で一緒に遊び、アイスクリームを食べます。息子夫婦とは距離を置きながらも、孫との関係は大切にしています。

家を売ったお金で、私は小さなアパートを借り、残りは老後のために蓄えました。誰のためでもない、自分のためのお金です。

時々、昔の家の前を通ることがあります。新しい家族が住んでいて、窓から明かりが漏れています。

私は微笑みます。あの家は、もう私の家ではないけれど、あの家で過ごした年月は決して無駄ではなかった。

私はこれからを自分のために生きていきます。誰に何と言われようと。

Thumbnail