「やっぱり外で会おう」――息子の裕介から届いたメールを見た瞬間、手が震えました。
元旦の朝、夫の高志と二人きりの食卓に並んだおせち料理が、急に色を失ったように見えました。今年も裕介は帰ってこない。これで三年連続です。
「また嫁の実家優先か」
高志の声が悔しさに震えていました。私は何も言えず、ただ携帯の画面を見せるだけ。寂しさが静かに胸の中に広がっていきました。
私は介護福祉士として27年間、多くの方々の最期に寄り添ってきました。家族の絆がどれほど大切か、誰よりも知っているつもりでした。だからこそ、裕介には精一杯のことをしてきたのです。大学までの教育費850万円。就職活動中の生活費は毎月15万円を2年間。結婚式と新婚旅行のお祝いに350万円。マンション購入時の頭金として500万円。
「恵、そんなに出して大丈夫か?」
あの時、高志が心配そうに言いました。
「息子の幸せのためよ。私たちの老後は何とかなるわ」
私はそう答えて、笑顔で送り出したのです。
でも裕介が美里さんと結婚してから、少しずつ様子が変わりました。結婚式の時、美里さんの冷たい態度。
「お母さん、私の実家のやり方とは違うので」
そう言われた時の胸の痛み。その後も、訪問回数は減り、電話も短くなり、孫に会える時間も制限されていきました。
そして三年前の正月、
「母さん、今年は美里の実家で過ごすから」
裕介の気まずそうな声が、今でも耳に残ります。
「でも去年も美里さんの実家だったわよね」
私の言葉に、裕介は何も答えませんでした。
それから、裕介は帰ってこなくなりました。連絡は時々来るものの、会うのはいつも外。私たちの家に来ることはありませんでした。
私は何か悪いことをしたのかしら。そう思うたびに、自分を責めました。でもその答えは、思いもよらない形で訪れます。
「たかしも同じ気持ちだったのね」
ある日、高志が机の引き出しから古いノートを取り出しました。それは、私たちが若い頃に書き綴っていた家計簿と日記でした。その中に、私たちが裕介に払ってきた金額の記録が残っています。
「私たち、間違っていたのかしら」
私は独り言のように呟きました。
それから数日後、私は決意しました。裕介に会って、真実を確かめようと。しかし、その思いとは裏腹に、予想外の出来事が起こります。
「お母さん、ごめんなさい」
電話の向こうで、裕介の声が震えていました。
「え? 何の話?」
「美里のことで、話があるんです」
裕介の声から、何かが終わろうとしている気配がしました。
私は息を呑んで、受話器を握りしめました。



