義母の介護に明け暮れる日々。夫の美紀夫は、私の努力を無視して休日もソファでテレビを見ている。「ねえ、お母さんの世話、少し手伝ってくれない?」と勇気を出して言った日のこと。返ってきたのは「俺は平日働いて疲れてんだよ。お前は仕事もしてなくて暇なんだからもっと家庭に尽くせ」という怒鳴り声だった。
しかも「大体お前の介護なんてお前1人で十分だ。楽勝だろ」と捨て台詞まで。新聞すら「取ってこい」と命令され、私はただ黙って従うしかなかった。まるで使用人扱い。そんな生活が3ヶ月も続いていた。
ある日、妹の千佳が遊びに来た。年が離れた妹で、私とは比べ物にならないほどきちんと化粧をしている。すると夫は私と千佳を並ばせ、「同じ姉妹なのに全然違う生き物じゃん。妹のちかちゃんの方が魅力的だな」と平然と言った。千佳は照れくさそうに笑って「お姉ちゃんと比べられても嬉しくないんですけどね」と返す。夫と妹が私の悪口で盛り上がる光景に、胸が引き裂かれる思いだった。
そんなある日、夫のスマホに妹からのLINEが何件も届いているのを見つけた。尋ねると「お前には関係ないだろう」と一蹴される。
数週間後、義母が突然言った。「妹の千佳さんの方があんたより女として優秀ね。千佳さん、美紀夫の子を妊娠したんでしょ?」
その瞬間、世界が止まった。そこへ夫が帰ってきて、私に離婚届を突きつけた。「ちかちゃんを妊娠させた。今すぐ離婚してくれ。本当にお前は何の役にも立たなかった。こんなことになるくらいなら最初からちかちゃんと結婚すればよかった。さっさと出て行ってくれ」
義母も「これでやっと孫の顔が見られるわ。よかった」と続ける。2人の目に私への愛情のかけらは1ミリもなかった。
翌日、私は荷物をまとめて家を出た。離婚届を市役所に提出し、実家へ戻った。
その夜、夫から電話がかかってきた。「おい、お前どこで何してんだよ。さっさと戻ってお袋の介護しろ。飯が食えないんだよ」
当然だ。以前の私はこの言葉に従っていた。でも今はもう赤の他人だ。「御子さんの介護は、今後は千佳さんに頼んでください」と淡々と返した。
夫は「ちかちゃんはこれから出産と子育てで大変なんだ。お袋の介護はお前の仕事だろう」と怒鳴る。
「仕事? なんで私が元夫の母親の介護をしないといけないの? 私の役目ではありません」
さらに夫は脅し文句を並べる。「ちかちゃんはお前の妹だろう。白々しい姉だな」
私は内心ほくそ笑んでいた。赤の他人になった私にどれだけ圧力をかけても、もうその手は通じない。そして真実を告げることにした。
「私と千佳に血の繋がりはないので、本当に他人ですよ」
電話の向こうが止まる。「は? どういうことだ」
「私の実の両親は離婚していて、私は母の元へ。大学生の時に母が再婚した相手の連れ子が千佳なんです。再婚相手も数年後に亡くなりましたが、その頃には千佳も自立していましたし、私自身ほとんど実家にいなかったので、関係性はとても薄かった。だから、あなたたちがどうなろうと知ったことじゃない。自分たちで決めたことなら、最後まで責任を持った方がいいんじゃない?」
「ふ、ふざけるな。そんな話、お前らの口から一度も聞いたことがないぞ!」
夫は文句を垂れるが、事実は変わらない。たとえ血が繋がっていたとしても、あんな地獄のような家にいてやる義理なんてない。
「お前だって俺に振られた時泣いてただろう。本当はまだ俺が好きなんだろう」
私は半笑いで返した。「何を言ってるの? あれは、やっと地獄のような日々から抜け出せるって安堵して泣いてたのよ」
「な、なんだと?」
「誰があなたに惚れてるって? 自惚れるのも大概にして」
「さよなら」と、冷たく言い放って電話を切り、すぐに着信拒否にした。
数分後、今度は妹の千佳から電話がかかってきた。電話に出ると開口一番「お姉ちゃん、ちょっと聞いてよ。美紀夫さんたらひどいの」と始まる。
「なんか美紀夫さんがお袋の介護お願いとか言ってきてさ、マジでそんな面倒な老人がいるなんて聞いてなかったんだけど。知らずに妊娠させられたのやばくない?」
要するに、私が介護を断ったので、夫が千佳に介護を押し付けているらしい。
「お姉ちゃんがやってよ。私、妊婦なんだよ。世話だったらお姉ちゃんがやった方がいいじゃん」
「もちろんお断りするわ。あなたが愛するご主人のお母さんよ。心を込めてお世話してあげてね」
千佳は一気にヒートアップして叫ぶ。「誰があんなババアの介護なんてするか。お前がやれよ。お似合いだろ」
私は冷静に笑って返した。「こんな風に大声をあげて大丈夫? あなたの愛するご主人とお母さんに聞かれちゃうんじゃない?」
千佳が激昂する中、「じゃあ頑張ってね」と告げて電話を切り、こちらも着信拒否にした。
まあ、千佳も美紀夫も結局は自分のことしか考えていないから起こったこと。散々バカにしていた役割に自分が立たされたら、と考えることなんてなかったんでしょうね。
それから1週間後、私が実家でくつろいでいると、玄関のチャイムが連続で鳴らされ、ドアを叩く音が響いた。訪問者は分かりきっていた。連絡手段を全て断たれたら、当然実家に乗り込んでくるだろう。
ドアを開けると、そこには青ざめた千佳と、怒り心頭の美紀夫がいた。
「萌え、お前、着信拒否しやがって!」
かつての私は恐怖で支配されて言い返せなかったけど、今は違う。私は2人が口を開く前に先手を打った。
「あら、千佳、そんなにやつれてどうしたの? いつもメイクを欠かさないあなたが珍しいわね」
千佳は顔を歪める。「当たり前でしょ。こっちは1週間もあの鬼姑の介護を続けてるのよ」
「そうね。大変よね。私はそれを1人で数年続けたわ。あなたたちに虐げられながらね」
私が笑顔でそう言い切ると、千佳は怯えた声を漏らした。「これからどんどんお腹も大きくなっていって、私じゃ手に負えなくなる。だから、お母さんの介護、お姉ちゃんが何とかしてよ」
「ごめんね。お断りするわ」
千佳の顔色がさらに悪くなる。私は視線を美紀夫に移した。
「そんなに介護が大変なら、ご主人に手伝ってもらったらいいじゃない」
すると千佳が賛同する。「そうよ。あんたが手伝いなさいよ! 私、こいつの実家に行くとすぐにあの鬼姑に捕まって命令が止まらないのよ。近くにいてもこいつは何もしないしさ」
千佳が美紀夫を厳しく非難する。私はかつて美紀夫が言っていた言葉を思い出して千佳に言ってやった。
「確か、『介護は1人で楽勝だろ』って以前美紀夫が言ってたわよ。でも自分は働いているから休日は休みたいんですって」
千佳は完全に怒り狂った。「介護してるこっちは、働いてるお前より疲れてるんだよ! 1人で楽勝ならお前がやれよ!」
最初は驚いていた美紀夫も、「それがお前の本性か」と反論を始めた。
「お袋の面倒を見るのは嫁の義務だろう。俺が働かなかったら、お前も子供も飯を食えねえんだぞ」
「いつの時代の話よ! そもそもあんた、介護が必要な親がいるなんて私に一言も言わなかったわよね。たくせに何言ってるの?」
「ふざけんな。知らないわけないだろ。萌えがあんだけ介護してやってたんだから」
ヒートアップする2人の言い合いを、私は涼しい目で見ていた。すると千佳がとうとう決定的な言葉を放った。
「もういいわ! 冗談じゃない。結婚はなし。あんたとは別れる!」
「子供はどうするんだ? シングルでやっていけるほど世の中甘くないぞ」
美紀夫が問いただすと、千佳は衝撃的な事実を口にした。
「うるさいわね。お腹の子はあんたの子じゃないから」
その場が静まり返る。美紀夫はポカンと口を開けたまま止まっていた。千佳も慌てて口元を手で押さえ、「やばい」とだけ呟いた。
混乱する美紀夫が、「そうやってお袋の介護から逃げたいだけだろう」と声を震わせて尋ねる。千佳は黙ったまま。
美紀夫が千佳の肩を掴んで揺らす。「まあ、俺の子じゃないって嘘だよな。本当は俺の子で間違いないんだよな」
「千佳の話は本当よ」
そこで私が割って入った。私は探偵事務所に調査を依頼していたのだ。美紀夫のスマホに千佳からのメッセージが何件も届いていた時から、2人の関係を疑っていた。そして調査で明らかになった事実がある。私は、用意しておいた調査報告書を2人に見せつけた。
「なんて読みにくいんだ…!」
驚いたのか、報告書を手に取り、震えて読めなくなっている様子の2人に代わり、私が内容を読み上げた。
「千佳には、実は内縁の夫がいるっていう事実よ。その人は無職の漫画家志望で、お金が必要だったから、会社員の美紀夫に近づいて生活費をもらおうとしていたの」
「ってことは…俺との付き合いは金目的…。子供も…俺の子供じゃない…」
やっと理解が追いついた美紀夫は、力なく千佳の肩から手を離した。
そう、千佳にとって美紀夫は、本当に金目的だけの都合のいい存在でしかなかった。本命はあくまでも内縁の夫の方だったのだろう。私は哀れな元夫にこう言った。
「あなたは自分で地獄に落ちたのよ。本当にバカな男ね」
美紀夫は何も言えずにへたり込む。
「介護は楽勝って散々私に言ってきたんだから、あなたも1人で介護、頑張ってね。そして、どれだけの仕打ちを私にしてきたかを、身を持って思い知ればいいわ」
絶望した様子の美紀夫が最後に助けを求めて私の足にすがりついてきたが、私はそれを一蹴した。
「何かしたら警察を呼ぶからね。ここはもう他人の家だから」
呆然としたままの2人を追い返した。
それから月日が経ち、私は探偵事務所の報告書を武器に、美紀夫から慰謝料をもらえることになった。風の噂によると、千佳に逃げられた美紀夫は、義母に命令されながら介護も含めて家事全般を押し付けられているらしい。介護サービスを依頼しても、みんな義母にうんざりしてすぐに断られてしまうとか。
千佳は、美紀夫から逃げて子供を出産したが、内縁の夫である無職の男では家庭を養っていくことはできず、結局別れることになったそうだ。その後は子供を保育園に預けながら友人を頼りつつ、シングルマザーとして働いているらしいが、その顔には以前のような余裕もファンデーションもなかったという。
一方の私は、新しい職場を見つけて、毎日自分の未来のために生きる新たな人生を楽しんでいる。同僚たちとの関係も良好で、職場では支え合い、刺激し合う環境に恵まれていた。
離婚という辛い経験を乗り越えたことで、自分自身の強さと価値を再確認することができた。私は、人生のどんな困難も乗り越える力が自分にはあると確信した。



