石黒がニヤニヤしながら、海外本社の役員たちの前で俺に言った。
「いい機会だから、直接談判してみたらどうだ?リストラのこと、納得いってないんだろう?俺たちをリストラしないでくれって、泣いて土下座したら考え直してくれるかもしれないぜ。ただし英語でな。おっさんが話す必死の英語、聞いてみたいなあ。ハロー。なんちゃって。」
こいつ、完全に俺を無能だと思って馬鹿にしている。俺は胃を引き締めて、一人の役員に近づいた。そして俺が話し出した途端、石黒の顔が真っ青になっていく。彼の転落人生が、まさに今始まろうとしていた。
俺の名前は森川史郎。この会社に入って三十五年、もうすぐ六十歳の定年を迎える。海外に本社を持つこの会社で、俺は長年ある工場の工場長として働いてきた。取引先とも家族ぐるみの付き合いが続き、部下たちからも「森さんがあと一年でいなくなるなんて」と寂しがられるような関係を築いてきた。
だがそんなある日、本社から突然、若いエリート社員の石黒和夫が部長としてやって来た。彼は一流大学卒の看板を背負い、順調に出世してきたエリート中のエリートだ。
「初めまして。工場長の森川です。」
「ああ、どうも。あなたが工場長さんね。」
自分の名前も名乗らないまま話を始める彼に、俺は面食らいながらも仕事の説明を始めた。しかし彼は途中で話を遮り、鞄から書類を取り出した。
「実はさ、俺がここに来たのはあなた方と仕事をするためじゃないんですよ。これ。」
差し出された書類を見て、俺は思わず声を失った。そこには「リストラ実施計画」と書かれていた。
「今回こちらの工場で大規模なリストラをすることになったので、よろしく。」
まるで荷物を整理するかのような言い方に、俺は反論した。しかし石黒は俺の問いかけを無視してスマホを見るだけだ。
「石黒部長、今のクオリティを保つにはこの人数が精一杯なんです。これ以上人が減るのは…」
「これは本社の決定なんだよ。お前らは上の言うことをただ聞いてりゃいいんだよ。」
「だからと言って急すぎますよ。」
「言っておくけど、お前たちは所詮本社の駒なんですよ。あんたも工場長として何もかも知ったような顔してるけど、こちらからしたらそんなもの一切通用しない。」
そして石黒は下げんだような目で俺を見て言った。
「工場長さんはあと少しで定年だそうですね。あなたとしては定年退職までなんとかいわってやろうという根性があるのでしょうが、そうはさせませんよ。」
だが俺は負けじと言葉を返した。
「あなたが私をどう思おうが構いません。だが何の理由もないまま彼らを切り捨てることは、工場長として断じて認めることができません。」
「ふん。高が工場長のくせに、一端の口をききやがって。あんたが認めようが認めなかろうが、そんなことはこちらには一切関係ないんだよ。」
そう言って石黒は部屋を出て行ってしまった。翌日、工場内は大騒動となった。朝のミーティングでリストラの話を聞かされた社員たちは一様に動揺し、その日は仕事どころではなくなってしまった。
「工場長!」ある社員が俺の元へ駆け寄ってきた。「去年子供が生まれたばかりで、何かとお金がかかるんです。なんとかならないんでしょうか?」
他の社員も次々と声を上げ始める。
「このご時世、次の仕事が見つかるかどうか分からないのに、なんでいきなりリストラなんですか?」
「俺たち何か悪いことでもやってしまったんでしょうか?」
俺は彼らの不安を聞きながらも、どう返すべきか分からないまま、ただ耳を傾けることしかできなかった。工場にいる社員の三分の一がリストラ対象になるという。まだまだこれからの社員も含まれているのだ。
俺は早速石黒の元へ向かった。
「石黒部長、あまりに乱暴なやり方ではありませんか?こういうのは順序を踏んで…」
「お前らは俺たちの言うことに従えばいいんだ。私の場合は定年が早まったと思えばいい。だが、まだ若い社員たちのことはどうするんだ?彼らにとっては生活問題だぞ。」
「そんなのあいつらの問題だろう。俺には関係ない。なんなら、あんたが責任を持って再就職先を世話したらどうだ?」
そう言って石黒はせら笑いしながらスマホを弄り始めた。俺は打ちのめされた気持ちでその場を後にした。
そんなある日のこと、海外本社の役員たちが俺の工場に視察にやってくることになった。石黒を始め日本本社の役員たちの間には、何とも言えないそわそわした空気が流れている。俺は部下たちに「いつも通りに仕事に全力で取り組むこと」を伝えた。彼らはしっかりと頷いてくれた。
工場内を一通り見て回り、役員たちからの話も終わったところで、そろそろ昼食でもどうかという流れになった時だった。
「皆様、今日はこちらの工場長から皆様にお話があるそうなんですよ。なあ、森川君。」
石黒がニヤニヤしながらこちらを見ている。そして俺の耳元でささやいた。
「いい機会だから、彼らに直接談判してみたらどうだ?リストラのこと納得いってないんだろう?俺たちをリストラしないでくれって泣いて土下座したら考え直してくれるかもしれないぜ。ただし英語でな。おっさんが話す必死の英語、聞いてみたいなあ。ハロー。オーマイゴッド。なんちゃって。」
こいつ、完全に俺を馬鹿にしている。俺は胃を引き締めて、ある役員の一人に近づいた。
「是非ともお話しさせていただきたいことがあるのですが。」
いきなり地味なおじさんが英語で話しかけてきたことに、彼は驚いていたものの笑顔で頷いてくれた。石黒が目を丸くしている。俺は構うことなく流暢に話を続けた。
「私は入社して三十五年近くこの工場で工場長として働いてきました。ここにいる社員たちは真摯に仕事に向き合い、常にレベルの高いものを一緒に作り続けてきました。私は彼らを心から信頼しているし、安心して定年を迎えることができます。だが…」
俺は石黒をちらりと見た。
「石黒という人間が本社にやってきました。そして彼はこの工場の社員をリストラすると言い出しました。申し訳ないが、これだけのレベルの高い製品を作り続けてこられたのは、社員たちが一生懸命頑張ってくれたからこそです。もしここの社員を切るというのならば、今後同じ品質での取引を継続することはできません。」
俺は相手が役員であることも忘れ、一気にまくし立てた。周囲にいた部下たちも俺から発する尋常じゃない雰囲気に驚いている。話を聞き終わった役員は、こうつぶやいた。
「その石黒というやつを出せ。」
その声は石黒にも聞こえていたらしく、彼は顔を真っ青にしながらおずおずと出てきた。部下たちが日差しのような鋭い目で石黒を睨みつけている。
俺の地味な風貌から、何もできない中年社員だと思われることが多い。しかしうちの工場は当たり前のように海外との取引も多い。英語が堪能な社員も多く、自慢ではないが俺自身も大学は語学部に入り、在学中にいくつかの海外に留学した経験がある。そのため英語を話すことはたやすいのだが、石黒は俺を無能な工場長と判断し、応望な態度を取っていたようだった。
役員は石黒に一通りの確認をした後、俺に対し笑顔で口を開いた。
「あなたは大変優秀な人だ。先ほど案内していただいた時も説明が分かりやすく、ここで働く社員たちの表情は大変生き生きとしており、仕事が楽しいことがよく伝わりました。社員たちはあなたのことを心から信頼しているのですね。」
すると一人の部下が歩み出て言った。
「ありがとうございます。工場長は常に私たちのことを気にかけてくれています。しかもうちの製品に何かあれば真っ先に対応し、取引先からも厚く信頼されています。私たちは工場長が森川さんで良かったと心から思っています。」
他の部下たちも次々と「僕もです」「私も」と同意の言葉が飛び出してきた。俺は思わず涙が出そうになった。
すると別の役員が近づいてきてこう告げた。
「思い出したことがある。確か日本にいくつかある工場の中で、飛び切りクオリティがいいものを作っている工場があると聞いた。もしかしてここの工場のことではないか?」
そして部下の一人を指差しながら言った。
「さっきあなたのことを森川と言っていた。ミスター森川のことは私たちの間でも話に出ているんだ。」
他の役員たちもざわめきだし、噂のミスター森川に会えたことが嬉しいと俺を取り囲んできた。俺は思わず苦笑いしてしまった。
最初に俺が声をかけた役員が言う。
「ここの工場のものは他とは比べ物にならないほど一線を画している。我々も非常に助けられている。心から感謝する。」
そしてその分厚い手を差し出してきた。俺は思わず握手を交わした。そして、こっそりその場を去ろうとしている石黒に声をかけた。
「部長、このご時世でも経費を削減しなければならないという会社の考えを否定するつもりはありません。ただ、リストラを断行したところで製造数は変わらない。今よりも足りない人数で仕事をすることになるでしょう。人が減った分、ミスは必ず増えてきます。その結果、不良品が増える。そうなれば取引先からの信頼は地に落ちるでしょう。結局石黒部長がなさろうとしていることは、経費の無駄になるだけではなく、会社の信頼そのものも大きく落とす行為だということを、よくよく考えていただきたい。」
石黒はぐうの根も出ないようだ。俺は部下たち一人一人の顔を見ながら続けた。
「この大規模なリストラに関しても、対象となった者たちはもちろんのこと、後に残った人たちのメンタルにも気を配らなければなりません。仕事の負担も増えるのですから。」
「そうだそうだ!」という声が部下たちから上がってくる。
「前にも言いましたが、彼らには家族がいるんですよ。私は子供たちもすでに独立し、妻と二人食べるのに困らない程度の生活ができれば十分だ。だが彼らはまだまだ先が長い。大切な家族もいる。そういう意味において、会社は責任を持って次の就職先も含めて彼らのフォローをしていく必要があるのではないですか。」
口を真一文字に結んだまま絶句してしまった石黒とは対照的に、役員たちは俺の話に痛く感動したらしく、大喝采が起きた。一人は口笛を吹き出し、まるでコンサート会場のオーディエンスのような雰囲気に包まれた。
「素晴らしい!彼こそが真の侍だ。ミスター森川がここにいる限り、会社の未来は明るい。」
そうして後日、今回のリストラにおいて私たちの工場は対象外とする決定が、本社から正式に下ったのである。
そして今、石黒は冷や汗を垂らしながら、しどろもどろな英語で弁明を続けていた。
「社長、私は社長の決定事項に従っただけで、それなのに…」
今日は月に一度の役員会議が行われる日だ。日本の社長は月に一度の会議に合わせて来日していた。会議が終わった後、「話がしたい」と俺に呼びがかかり、石黒と一緒に社長室へ向かった。俺は隣に立ち、静かにこの成り行きを見守った。
「確かに私は経費削減につながる取り組みを提示し、実行するよう伝えた。だがそれは何もリストラに限ったことではないよ。人を辞めさせる前にできることはたくさんあるはずだ。」
そう言って社長は立派な顎髭をいじくり回している。
「経費削減と言ったら、人員削減しかできることはないのでは?」
「もっと他に目を向けるべきだよ、ミスター石黒。先日のことは他の役員からしっかり話を聞かせてもらったよ。全てはミスター森川の言う通りだ。我が社の肝となる製造にはしっかりとした人材を配置しなければならない。良いものを作り続けることは我が社の信頼へと繋がっていくわけだからね。逆にどんな立場であろうとも、不必要な出張や接待ばかりに時間を取られるのは無駄な経費だと思うが、君はどうかね?」
心当たりがあるらしく、石黒は何も言えず、ただ口をパクパクさせている。そんな彼を社長は一瞥した後、俺に問いかけた。
「ミスター森川はどう考える?」
「社長がおっしゃるように、私も会社は人が全てだと考えています。特に社員を大事にしないことにはいい物づくりもできませんし、製品の良さも伝わっていかないでしょう。」
そうして俺は石黒の顔を見た。
「石黒部長、あなたは今まで感情を殺してビジネスを進めてきたのでしょう。確かにそういう考え方が時としては必要なのかもしれません。しかし、そこには必ず人がいることを忘れないでほしい。あなたが今回やろうとしたことは、そういった人たちの人生や未来や希望を握りつぶすような行為に他なりません。会社はお金だけではない。人と信頼関係があって成り立つものだと思いますよ。」
「だが、私がやってきたことが全て間違いとは言えないはずだ!」
石黒はなおも最後まで食い下がるつもりのようだ。その目は真っ赤になっており、彼の信念やプライドが粉々に崩されたことが伺えた。
「そこまでにしないか。」
社長が厳しい声を石黒に投げかけた。
「ですが社長!」
「石黒君の処遇を伝える。」
そして彼が俺の方を向いた。
「君が工場長として長年会社に貢献してきてくれたことを誇りに思うよ。本当にありがとう。」
そう言って社長は満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。」
結果として石黒は部長から下ろされ、地方の工場への異動を命じられた。いわゆる左遷ということだろう。しかしエリートであるというプライドがそれを許さなかったのか、彼はいつの間にか会社をやめてしまった。
社長から聞いた話によると、石黒は様々な支社や関連会社を回っては経費削減に徹底的に取り組んできたのだという。本人曰く、それらを成功させてきたことへの自負があるそうだが、そのやり方はあまりにも強引すぎると問題になっていたようだ。事実、彼が手掛けてきた施策は現場にそぐわないものが多く、機械メンテナンスに関わる経費や人員を大幅に削ったことで製造計画に影響が出てしまい、取引先に多大なる迷惑をかける事態が度々起こっていたそうだ。強引なリストラも、結果的には優秀な人材を流出させることにしかならない。石黒がやってきたことはどれも会社の不利益にしかならなかった。
今、彼がどこで何をしているのかは分からないが、人間的に大きく成長していてくれることを願っている。
「森川さん。」
社長がそばに歩み寄ってきた。
「会社がさらなる発展を遂げていくためにも、あなたの存在はとても大きい。どうかこれからもこの工場で働いてほしい。」
そうして彼は右手を差し出してきた。俺はそれに答えるように、強くその手を握りしめたのだった。
会社を存続させていく上で、お金で物事を判断することは必要不可欠だ。しかしお金のことばかりに振り回され、人の心や温かさを失ってしまっては本末転倒だと思う。俺は長年ものづくりの現場でいろんな人と出会い、人間としても成長させてもらった。
細かい仕事だからこそ、人との信頼関係をしっかりしていなければならない。部下たちには常に「人を大事にするように」と伝えてきたが、その思いは脈々と受け継がれてきているようだ。
今日もうちの工場は和気あいあいとした雰囲気に包まれている。こんな職場で彼らと一緒に働けるのもあとわずかだと思うと、とてつもなく寂しい気持ちになる。しかし、これだけの頼もしい部下たちがいれば、この工場は安泰だろう。
俺は今日も、元気に働ける喜びを噛みしめながら仕事に向かうのだ。



