「もう2度と会うことはないから、そのつもりで。」――老人ホームのロビーで、嫁が私にそう宣告したのは、68歳の誕生日の一週間前でした。37年間、会社と家庭を両立させ、定年後は息子夫婦のために身を粉にして尽くしてきた私を、彼らは「いない方が楽になる」と、施設に送り込んだのです。しかも、これまで毎月13万円も家賃と食費として搾り取っておきながら、最後には「もう家族じゃない。連絡もするな」と言い放ち…
「もう2度と会うことはないから、そのつもりで。」 老人ホームのロビーに響いた嫁の冷たい声に、私は息を呑んだ。68歳。37年間、大手企業で事務職として働き、定年後も息子家族のために尽くしてきた私が、今、まるで不用品のように施設に運ばれてきた。 健二が事務的に手続きを進める横で、弓は腕を組んで壁に寄りかかっていた。二人の表情からは、長年世話になった母親を預ける申し訳なさなど、微塵も感じられない。 「お母さん、ここが新しいお住まいですから。もう、私たちの家には戻れませんので。」 弓の言葉の一つ一つが、鋭い刃物のように私の心を切り裂いていった。でも、不思議なことに、怒りも悲しみも湧いてこない。ただ、心の奥底で何かが静かに、でも確実に変わっていく感覚だけがあった。 「ええ、わかりました。」 私は静かに頷いた。二人は安堵の表情を浮かべて、そそくさと帰っていく。その後ろ姿を見送りながら、私の唇に小さな笑みが浮かんだ。 ――明日、あなたたちは思い知ることになるでしょう。静かな人間を怒らせることが、どれほど恐ろしいことなのかを。 施設の個室で荷物を解きながら、私は37年間の苦労を思い返していた。毎朝5時に起きて弁当を作り、満員電車に揺られて出社。夜10時まで残業しても、家では夕食の支度が待っていた。 「お母さんがいてくれたから、僕は勉強に専念できた。」 かつて大学に合格した健二が、涙ながらに言ってくれた言葉だ。教育費は総額800万円。さらに結婚する時には貯金を崩して300万円を援助した。それでも私は幸せだった。息子の笑顔が全ての苦労を忘れさせてくれたのだ。 定年後は孫の世話に明け暮れた。 「おばあちゃん、今日も来てくれてありがとう。」 と抱きついてくる孫の温もりが、老後の生きがいだった。朝から晩まで家事を手伝い、時には深夜に及ぶ孫の看病も、全ては家族のためだと信じていた。 しかし、半年前から様子が変わり始めた。 「母さん、もう孫の世話はいいから。」 という健二の言葉。料理の味付けがおかしいという弓の小言。次第に私はあの家で邪魔者扱いされるようになっていった。 そして、今日、ついに捨てられたのだ。でも、不思議と悲しくはなかった。むしろ、ある種の解放感さえ覚えていた。なぜなら、私には誰も知らない切り札があるからだ。 ――明日、全てが明らかになるでしょう。 半年前のある日曜日。私はいつものように健二の家で朝食の準備をしていた。孫たちの好物のフレンチトーストを焼いていると、弓が台所に入ってきた。 「お母さん、ちょっといいですか?」 振り返ると、弓は腕を組んで私を見下ろしていた。その目には、今まで見たことのない冷たい光が宿っていた。 「もう孫の世話は結構です。私が全部やりますから。」 突然の言葉に、私はフライ返しを持ったまま固まってしまった。 「でも、弓さんはお仕事が忙しいでしょう。私なら時間もありますし。」 「だから、もういいんです。」 弓は私の言葉を遮った。そして、畳みかけるように続けた。 「正直言って、お母さんの料理、最近味が変なんです。塩加減もめちゃくちゃだし、子供たちも『ママの方が美味しい』って。」 胸が締めつけられるような痛みを感じた。40年以上、家族のために腕を振るってきた料理を否定されたのだ。 その日から私への当たりは日に日に強くなっていった。リビングでテレビを見ていれば「うるさい」と言われ、洗濯物を干せば「やり方が違う」と注意される。まるで何をしても気に入らないといった様子だった。 ある平日の夕方、健二が仕事から帰ってきた。私は玄関で出迎えたが、彼は靴も脱がずに言った。 「母さん、ちょっと話があるんだ。」 リビングに通されると、弓もすでにソファーに座っていた。二人の表情から、これが重要な話だということは分かった。 「単刀直入に言うよ。母さんにも生活費を負担してもらいたい。」 私は耳を疑った。今まで無償で家事を手伝い、孫の世話をしてきたのに、さらにお金まで要求されるとは。 「でも、私は年金暮らしで。」 「母さんには退職金もあるでしょう。それに、うちに住んでるんだから家賃を払うのは当然じゃないか。」 健二の言葉に、弓が付け加えた。 「そうですよ。家賃として8万円、食費として5万円。これでも相場より安いんですから。」 月13万円。私の年金の大半を持っていかれる計算だ。 「でも、私は毎日家事をして。」 「それとこれとは別でしょう。」 弓の声は氷のように冷たく響いた。 数日後、私は仕方なく要求を飲んだ。退職金を切り崩しながらの生活が始まったのだ。しかし、お金を払っているにも関わらず、私への扱いはさらに悪化していった。 「お母さん、また同じ話してますよ。もしかして認知症?」 夕食時、昔の思い出話をしただけで弓はそんなことを言った。健二も笑みを浮かべて「母さんも年だからな」と相槌を打つ。 「私は元気です。この記憶もありません。」 必死に否定しても、二人は聞く耳を持たなかった。それどころか、私の行動の一つ一つを「おかしい」「変だ」と指摘するようになったのだ。 「お母さんの考え方、本当に時代遅れですよね。今時そんな考えの人いませんよ。もっと柔軟に生きないと。」 テレビのニュースを見ながら意見を言っただけで、弓はため息をついた。私が何を言っても「古い」「遅れてる」「分かってない」。まるで私という存在そのものを否定されているようだった。 最も辛かったのは、孫たちまでもが私を避けるようになったことだ。 「おばあちゃん臭い。ママがおばあちゃんとあまり話すなって。」 無邪気な子供の言葉ほど、心に突き刺さるものはない。 ある朝、私がキッチンに立っていると、健二と弓の会話が聞こえてきた。 「もう限界だよ。母さんがいると息が詰まる。」 … Read more