孫の無邪気な言葉で、私の世界は一瞬にして崩れ去った。「ばあば、これパパたちのお部屋にいっぱいあるよ」薬局で五歳の孫が指さしたのは、強力な睡眠導入剤だった。最近急に優しくなった息子夫婦。毎晩の温かいミルク。増える生命保険の話題。すべてがつながった時、私は自分の寝室に忍び込み、証拠の山を発見した。偽名で集めた大量の薬。そして、夫婦それぞれにかけられた三億円の保険金。「もう少しの辛抱よ。そうすれば…
薬局の棚の前で、五歳の孫のリオが指を差しました。 「ばあば、これパパたちのお部屋にいっぱいあるよ。青い箱がたくさん並んでるの」 それが強力な睡眠導入剤だと気づいた瞬間、全身の血の気が引きました。私は六十八歳の杉浦芳恵。三十五年来、保育士として幼い命に寄り添ってきた。その勘が、今、警鐘を鳴らし続けているのです。 最近の息子夫婦の行動が、急に不自然になったのは三ヶ月前からでした。 「お母さん、疲れてるでしょ?これ飲んで早めに休んで」 義理の娘・美紀が差し出す温かいミルク。以前はこんなに気遣いなんてなかったのに。夫の秀夫も素直に飲んでいました。でも私は何度か、こっそり捨てたことがあります。なぜか、本能的に警戒していたのかもしれません。 息子の直樹も妙でした。 「父さん、母さん、生命保険の見直しをしたんだ。もしものことがあっても安心だよ」 急に保険の話を持ち出す。詳しい内容は教えてくれない。 そして、夫の異常な眠気。日中も居眠りすることが増えていました。 「あなた、最近よく眠れてる?」 「ああ、美紀さんのミルクのおかげでぐっすりだよ。ただ、朝がだるいんだ」 その言葉に、胸のざわつきは収まるどころか、大きくなるばかりでした。そして、その日の午後。息子夫婦がリオを連れて外出した隙に、私は決心しました。胸の高鳴りを押さえ、息子夫婦の寝室に足を踏み入れました。普段は決して入らない場所。母として、してはいけないことだと分かっていました。でも、この胸騒ぎを無視することはできなかったのです。 ベッドサイドテーブルの引き出しを開け、私は息をのみました。リオの言った通り、青い箱の睡眠導入剤が大量に入っていたのです。しかも、様々な種類の睡眠薬や精神安定剤まで。どれも医師の処方箋が必要な強い薬ばかりでした。手が震えながら奥を探ると、複数の病院の診察券が出てきました。すべて違う名前で取得されている。偽名を使って、複数の病院から薬を集めていたのです。 次に、息子の書斎へ。パソコンが開いたままになっていました。画面を見た瞬間、息が止まりました。 検索履歴には、信じられない言葉が並んでいます。睡眠薬、致死量、高齢者、薬物、自殺、生命保険、自殺情報、遺産相続、手続き、老人ホーム費用……さらにブラウザの履歴を遡ると、もっと恐ろしい検索が残されていました。睡眠薬で殺されない方法、病死に見せかけられない保険金受け取り、税金。 もう、疑いの余地はありませんでした。息子夫婦は、私たち夫婦の命を狙っている。足が震えて立っていられず、椅子に崩れ落ちました。四十二年前、この子を産んだ時の喜び。初めて「ママ」と呼んでくれた時の感動。高熱を出した夜、一晩中看病したこと。どうして。どうして、直樹? でも、泣いている場合ではありません。スマートフォンで薬の山と検索履歴を撮影しました。すると、机の引き出しから書類の束が見えました。取り出すと、それは生命保険の書類。私たち夫婦それぞれに、三億円もの生命保険がかけられていたのです。契約日は三ヶ月前。ちょうど息子夫婦が急に優しくなった時期と重なります。受取人の欄には、息子夫婦の名前がありました。そして、消費者金融からの催促状も。息子夫婦は、相当な借金を抱えているようでした。 だから、私たちの命を保険金と引き換えに、借金を返済しようとしているのです。怒りと悲しみ、そして恐怖が入り混じりました。念のため、すべての証拠を写真に収めました。そうして部屋を出ようとした、まさにその時。玄関のドアが開く音がしました。慌てて廊下の物影に身を隠すと、息子夫婦とリオが帰ってきたようです。 「リオ、先におやつを食べていてね。パパとママはちょっとお話があるから」 美紀の声。二人は寝室に入っていきました。私は廊下から、耳を澄ませました。聞こえてきた内容は、私の心を完全に打ち砕きました。 「そろそろ量を増やしてもいいんじゃない?」 「そうだな。でも、急に増やすと怪しまれるかもしれない」 「でも、このままじゃ借金の返済が……今月も催促が来てるのよ」 「分かってる。けど、慎重にやらないと。医者に見せた時に薬物が検出されたら、全てが水の泡だ」 「お父さんは順調に弱ってきてるけど、お母さんがなかなか……」 「母さんは用心深いからな。ミルクも全部飲んでないみたいだ」 「もう少しの辛抱よ。三ヶ月もすれば、保険金が下りるわ。そうすれば六億円。借金も返せるし、新しい家も買える。リオにもいい教育を受けさせられる」 リオの名前が出た瞬間、私の中で何かがプツンと切れました。この子たちは、人の命を奪ってまでお金が欲しいのか。しかもその血で濡れた金で、わが子を育てるつもりなのか。 「親父もお袋も、もう長くないだろうし。どうせなら、俺たちのために役立ってもらわないとな」 「そうね。いつまでも生きられても介護とか面倒だし、老人ホームだって金がかかる。それなら保険金をもらった方がずっといい」 二人の会話は、まるでモノの処分の相談のようでした。私たち夫婦は、彼らにとっては邪魔な存在でしかないのです。 涙が頬を伝いました。でも、気配を消すので精一杯でした。 「今夜も薬を入れるか」 「ああ。でも、少し種類を変えよう。同じ薬ばかりだと耐性ができるかもしれない」 「ところで、保険金が入ったらまず何をする?」 「そうね。まずは借金を全部返して、それから海外旅行でも行きましょう。みんなでハワイとか、ヨーロッパとか。リオも喜ぶわ」 私たちの命と引き換えに、海外旅行。怒りで体が震えました。でも、同時に悲しみが込み上げます。もう私たちは、彼らにとって家族ではないのです。 「そろそろ出ようか。母さんが心配してるかも」 「そうね。今日は特別に優しくしてあげましょう」 足音が近づいてきます。私は静かに自分の部屋へ戻りました。ドアを閉めてベッドに座ると、こらえていた涙が一気にあふれ出しました。声を殺して泣きました。もう、この家にはいられません。でも、夫をおいて逃げることもできません。今夜も、夫の飲み物に薬を入れられるかもしれない。私は決意しました。もう、息子を庇うことはしません。たとえ実の子供でも、人の命を奪おうとするものは許せない。それが、保育士として私が胸に刻んできた信念です。 夕方、息子夫婦がリビングにやってきました。 「母さん、今日は体調は?」 直樹が心配そうな顔で聞いてきます。もう、その優しい仮面には騙されません。 「ええ、大丈夫よ」 私は努めて普通に答えました。 「お母さん、今夜も温かいミルクを用意しますね」 美紀が微笑みながら言いました。その笑顔の裏に、恐ろしい企みが隠されている。そう思うと、吐き気がしました。 「ありがとう。でも、今日は遠慮しておくわ。ちょっと胃の調子が悪くて」 美紀は少し不満そうな顔をしましたが、それ以上は追及してきませんでした。 その夜、私は眠れませんでした。午前四時。息子夫婦がまだ眠っている時間に、静かに行動を開始しました。まず、撮影した証拠写真を自分のスマートフォンとクラウドに保存し、信頼できる友人にもメールで送りました。「もし私に何かあったら、これを警察に」と書き添えて。そして、夫を起こしました。 「あなた、起きて。大事な話があるの」 夫は眠そうに目をこすりながら起き上がりました。 「どうしたんだ、こんな朝早くに」 私は震える声で、昨日の全てを話しました。最初、夫は信じられないという顔をしていました。しかし、写真を見せると、夫の顔から血の気が引いていきました。 … Read more