「お母さん、明日から新しいアパートに住んでもらうから。亜鳥の両親がもう少し長く住むことになったんで、部屋が足りないんだ」 六十八歳の私は、三十八年間教師として働き、女手一つで息子を大学まで育て上げました。そして、この家の頭金として五百万円を出し、名義も自分のものにしていました。でも、息子夫婦は私を「お荷物」と呼び、追い出そうとしている。私は静かに決意しました。本当の地獄を見せてやると。…
今日で同居解消だね。荷物はもうまとめた。 息子の蒼太が、まるで不用品を処分するかのような冷たい声で言った。嫁の亜鳥も、リビングでくつろぐ自分の両親を振り返りながら、当然のように付け加える。 「うちの両親はここに住み続けるけど、お母さんは出て行ってもらうから」 ゆみ子は手に持っていた写真を見つめたまま、言葉を失った。三十八年間、教師として働き、息子を一人で育て上げ、この家の頭金五百万円を出したことなど、何の関係もないと言わんばかりだった。私の居場所はないのね。 その時、ゆみ子は決意した。本当の地獄を見せてやると。 夫を早くに亡くし、女手一つで息子を大学まで進学させた。教育費は総額一千万円にも上った。約四十年間、教師として働き続け、退職後は孫の面倒を見ながら穏やかな老後を送るはずだった。 二年前、蒼太が同居を提案してきた時、ゆみ子は心から喜んだ。新築の家を建てる際も、頭金として五百万円を快く提供した。「おばあちゃんと一緒に住めるなんて嬉しい」。当時の孫たちの笑顔が、今でも心に温かく残っている。 しかし現実は期待とは大きく異なった。蒼太の態度は日に日に冷たくなり、亜鳥からは「古い人」「時代遅れ」と罵られるようになった。 同居が始まって三ヶ月後、亜鳥の両親が突然やってきた時、蒼太はゆみ子に相談もなく宣言した。 「亜鳥のご両親は別格だから、一番良い部屋を用意したんだ」 ゆみ子に与えられたのは家の奥にある六畳の和室。亜鳥の両親には十二畳の洋室と専用のバスルームが用意されていた。 「お母さんは和室の方が落ち着くでしょう」 表面上は気遣うような口調だったが、その目には明らかな軽蔑の色が浮かんでいた。ゆみ子は何も言えず、ただ頷くしかなかった。 食事の時間になると、格差はさらに露骨になった。亜鳥の両親には豪華な手作り料理が用意され、ゆみ子には簡素な食事しか出されない。 「うちの父は血圧が高いから特別な食事が必要なんです」 「うちの母は糖尿病だから、オーガニック食材じゃないとダメなんですよ」 亜鳥は自分の両親への配慮を説明しながら、ゆみ子には見向きもしなかった。 「お母さんは丈夫だから、普通の食事で十分でしょう」 その言葉にゆみ子は胸が締め付けられる思いだった。自分も六十八歳という高齢者であることを、彼らは完全に忘れているようだった。 さらに屈辱的だったのは家事の分担だった。 「お母さんは時間があるから、掃除と洗濯を一通りお願いします」 亜鳥は当然のようにゆみ子に家事を押し付け、自分の両親には一切の負担をかけなかった。 「うちの両親は体が弱いから、ゆっくり休んでもらわないと」 ゆみ子が疲労で息を切らしながら洗濯物を干していても、亜鳥の両親はリビングでテレビを見てのんびりと過ごしている。蒼太もそんな状況を見て見ぬふりだった。 「母さんは元気だから大丈夫だろう」 息子のその言葉が、ゆみ子の心に深い傷を残した。 ある日、ゆみ子が風邪で体調を崩した時のことだ。 「お母さん、今日の夕食の準備はどうするんですか?」 亜鳥はゆみ子の体調を心配するどころか、食事の心配しかしなかった。一方で、亜鳥の母親が少し咳をしただけで大騒ぎになった。 「お母さん、大丈夫? すぐに病院に行きましょう」 その差別的な扱いに、ゆみ子は愕然とした。 日が経つにつれて、亜鳥の態度はさらにエスカレートしていった。孫の教育方針について口を出したゆみ子を、亜鳥は公然と批判した。 「お母さんは古い人だから、新しいやり方についていけないんですね」 「時代遅れの価値観を押し付けないでください」 ゆみ子が教師として培った経験や知識も、亜鳥にとっては無価値なもののようだった。 「お母さんの常識はもう通用しないんです」 そんな言葉を浴びせられるたびに、ゆみ子は自分の存在価値を疑うようになっていった。 そして決定的だったのは、ある日の出来事だった。ゆみ子が偶然リビングを通りかかった時、亜鳥が電話で友人と話している声が聞こえてきた。 「うちの義母、本当にお荷物で困っているの。何をやらせても要領が悪いし、古臭い考えばかり押し付けてくるのよ」 ゆみ子は足を止め、その場で固まってしまった。 「いつまでいるつもりなのかしら。早く老人ホームにでも入ってくれればいいのに」 「うちの両親は本当に大切な人たちだけど、義母はまあ、お荷物よね」 その瞬間、ゆみ子の中で何かが音を立てて崩れていった。自分が家族から完全に疎外され、不要な存在として扱われていることを、改めて思い知らされたのだ。 部屋に戻ったゆみ子は、一人静かに涙を流した。長年の教師生活で培った誇りも、息子を育て上げた母としての自信も、全てが失われていった。 ある朝、蒼太が朝食のテーブルで、まるで天気の話をするかのような軽い口調で言った。 「母さん、明日から新しいアパートに住んでもらうから」 ゆみ子は味噌汁の椀を持ったまま、息子の顔をじっと見つめた。 「え? 亜鳥の両親がもう少し長く住むことになったんだ。部屋が足りないから」 蒼太はゆみ子の目を見ようとしない。亜鳥は隣でスマートフォンを見ながら、まるで関係のない話のように聞き流している。 「でも、私はどこに?」 「駅前にワンルームのアパートを借りたから。月八万円。母さんの年金で十分払えるでしょう」 ゆみ子は言葉を失った。自分が頭金を出して建てた家から、追い出されようとしているのだ。 「ちょっと待って。どうして急に?」 … Read more