「母さん、もう必要ないから。じゃあね」…
「母さん、もう必要ないから。じゃあね」 その軽い口調がリビングから聞こえてきた時、私の手から包丁が滑り落ちそうになった。夕食の支度をしていた台所で、思わず動きを止めてしまった。 「うちにいる意味ないよね」 嫁のさやさんの声が続く。笑い声まで混じっていた。 「確かに。母さん、何してるんだろうな」 息子のあらが同意する声。二人で私のことを話しているのだと気づいた時、胸が締めつけられるような感覚に襲われた。 私は黒田あ子、六十三歳。二十七年間、副食販売員として働いてきた。朝は五時に起きて夫の弁当を作り、家事を済ませてから出勤する。そんな日々を当たり前のように続けてきたのだ。 「正直いらない」 さやさんの言葉が、まるで刃物のように心に突き刺さる。 「母さん、じゃあね、もう家族やめよっか」 あらの笑い声。まるで冗談を言うかのような、あまりにも軽すぎる口調だった。包丁を持つ手が小刻みに震えていることに気づく。リビングからは二人の笑い声が聞こえてきた。その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。 二年前、息子夫婦が同居を始めた時、私は心から嬉しく思った。賑やかな家が戻ってくる。そう信じていた。夫の義久と出会ったのは三十年以上も前のこと。息子のあらが生まれた時、私は副食店で働き始めた。夫の収入だけでは不安定な時期があり、息子には何不自由ない生活をさせたい。その一心だった。 大学までの教育費、総額七百二十万円。全て私の給料から出した。結婚する時には三百万円を援助し、二人の新生活を応援した。同居が始まってからは、月に十五万円を生活費として渡していた。食費が十万円、光熱費が三万円。その他の雑費で二万円。毎日五時に起きて朝食を作り、夫の弁当を詰め、掃除と洗濯を済ませてから出勤する日々。私なりに家族を支えてきたつもりだった。でも、それが当たり前だと思われていたのかもしれない。 夫の義久は優しい人だけれど、仕事が忙しく、家庭のことは全て私任せ。息子夫婦の態度にも全く気づいていない様子だった。 「まあ、あ子が何とかしてくれるだろう」 そう言って義久は新聞を広げるだけ。私の味方はどこにもいなかった。 変化は半年ほど前から始まっていた。ある夕食の時、私が準備した食卓を見て、さやさんが顔をしかめた。 「え、今日も和食ですか? もう飽きたんですけど」 「ごめんなさい。明日は洋食にするわね」 そう答える私に、あらが冷たい視線を向けた。 「母さん、もっと若い人向けの料理作れないの?」 「正直古臭い」 小声で二人が話す声が聞こえてくる。 「時代遅れよね。お母さんって」 「仕方ないよ。年だから」 私の料理がそんなに悪いのだろうか。二十七年間、毎日家族のために作り続けてきた料理。胸の奥がじわりと痛んだ。 翌週、さやさんが私のところへやってきた。 「お母さん、今月の生活費なんですけど、もう少し出してもらえませんか?」 「え、でも先月十五万円出したばかりよ」 「足りないんです。お母さんも住んでるんですから、当然ですよね」 あらも後ろから口を挟む。 「母さん、働いてるんだから出せるでしょ。ケチケチしないでよ」 私は黙って追加で五万円を渡した。 「ありがとうございます」 さやさんの声には感謝の気持ちなど微塵も感じられない。まるで当然の権利を受け取ったかのような、そんな冷たい口調だった。 洗濯物の畳み方、掃除の仕方、全てに文句を言われるようになった。 「お母さん、私のやり方でやってください。あなたのやり方、古いんです」 二十七年の経験など、全く意味を持たないのだった。 ある日、買い物から帰った時、リストの一つを忘れてしまった。 「お母さん、大丈夫ですか? まさか認知症じゃないですよね」 さやさんが笑いながら言う。その笑顔がどれほど私を傷つけたか、彼女は知らないのだろう。 「母さん、もう六十過ぎだしね。病院行った方がいいんじゃない?」 「ただのもの忘れですから」 必死に笑顔を作る私。でも心の中では涙が溢れそうになっていた。認知症。そんな言葉で私を馬鹿にするなんて。夫の義久は隣でただ新聞を読んでいるだけ。 「まあ、年だからな」 妻を擁護する言葉など、一つもなかった。 ある週末、私の服装を見てさやさんが花で笑った。 「その服、いつの時代のものですか? お母さん、センスなさすぎ」 「母さん、もう少しマシな格好できないの? 外で会うの正直恥ずかしいんだけど」 あの言葉が胸に突き刺さる。二十七年間副食店で働いてきた私が、自分なりにセンスには自信があったのに。その日、部屋で一人になった時、初めて声を出して泣いてしまった。 「まるまるさんのお母さんは、孫の面倒もよく見るし、お金もたくさんくれるんですって」 … Read more